日本語の動詞:「物、行為、事態の授受」表現
2013/01/25(金)
態(ボイス)表現のなかで、「やりもらい動詞」の文法則も重要な部分で、
日本語の特長がでている。
原沢本:『日本人のための日本語文法入門』原沢伊都夫:講談社現代新書
:2012年9月20日 に記述があります。
(1)「物の授受」表現
記載の例文:(物の授受表現)
○太郎が 花子に 花を あげた。○花子が 太郎に 花を もらった。
○太郎が 私に 花を くれた。 ○私が 太郎に 花を もらった。
(「差し上げる/いただく」丁寧語は別にして)
○(あげた/やった)はいくぶん丁寧度が違うが同義扱い。
だが「くれる」は受ける相手が話者(私、私ども、身内にあげる行為)の場合
だけに使われる。
(2)「行為の授受」表現
記載の例文:(行為の授受表現)
○花子が トムに 日本語を 教えてあげた。
○花子が 私に 日本語を教えてくれた。
○トムが 花子から 日本語を 教えてもらった。
動詞:「教える」を連節形「教え~て+」にして補助動詞的に「あげる/くれる
/もらう」を活用させたもの。
(3)「事態の授受」表現
原沢本にこの語句(事態の授受)を使って表現したものはないですが、当方
の思考実験を加えて、原沢本から抜き出します。
①受身形には2種類あり。
・直接受身文:(~を格語が主格扱いになる)
○スリに財布が盗まれた。○満員電車で足が踏まれた。
(日本語の場合、通常は「物」を主格扱い にしない)
・間接受身文:(被行為者が主格扱いになる)
○スリに財布を盗まれた。○満員電車で足を踏まれた。
(日本語では普通。印欧語では邪道扱い)
②使役形には2種類あり。
・積極的関与文:
○子供に部屋を掃除させる。
・消極的関与文:
○生徒に好きなことをさせる。
考察するに、間接受身文には、
○津波に家を流された/雨に降られた/先生に息子の絵をほめられた/本
を贈られた/など、たくさんあり、日本人ならば無意識の言語運用メカニ
ズムとして活用しています。
〇また、間接使役文(正確には二重使役文、下請け使役文)を誤用してしまう
無意識発話は防ぎたいですね。
・親が教師に電話して「こどもが発熱したので休まさせてください」と連絡す
るのは、正しい二重使役文の使い方です。
こどもを休ますのを親にさせてくださいと2人分の許可要請です。
「こどもが発熱したので休ませてください」というと、教師が学童を家まで
連れ戻るように要請されたのかと思う場合もある?
(4)「行為、事態の収まり」表現
私考するに、
○「物の授受」に倣って「行為の授受」表現が発達して文法則になった
わけですね。
○「行為動作の結果物を授受する」ような感覚になり、有難みが増すし、収ま
りがよくなります。
○即物的な「目的物」を主格扱いにする直接受身よりも、「被行為者」を主格
にする受身形ほうが、はるかに合理的だろう。
○「行為者/被行為者の間での行為の収まり具合」が均等、公平に表現できる
から合理的と言える。
金谷本でも「自/他動詞/受身/使役の連続性」を詳細に述べているが、
○「日本語の動詞:語幹+各種接辞で自/他動詞、受身、使役形を派生してい
く」メカニズムを古来より文法学者が研究してきた。
○同じ動詞語幹で「行為者/被行為者」の行為、心情を表そうとする発想が古
代から現在までつながっている。
「事態の収まり」表現とは、
思考実験のなかで感じていることですが、
○(事故で電車が遅延した)んです。 ○(母が北海道から出て来た)んです。
遅刻や休みの理由を説明するとき、(カッコ内の行為文)のままで話しても
、「聞手:被行為者」が「その行為」に対応する「公平な反応行為の表現を思い
つけない」ので違和感が生じます。
○(カッコ内行為文)+(の:名詞化)です。
と名詞文に翻訳して報告すれば、「事態の収まり」がつくのでしょう。
○反対に、「(整列完了しました)んです」
などと、号令の応答に名詞文を使うことはないはずですね。
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