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日本語文法:結果態の謎2

2014/11/01(土)

(3)結果態の接辞:(r/s)aru

 一般的には結果態、結果相とは?と訊かれて、明確な動詞形態を思い浮かべれる人は少ないかもしれない。
・「態の双対環」による思考実験では、
 自他対応接辞の一つ:(r/s)aru を結果態生成の接辞に見立てた。
〇「態の双対環」での結果態単語例:
・休まる、始まる、つかまる:(自他対応)語彙的態として結果態を表す。
・行かる、飲まる、食べらる、書かる:(無対動詞)文法的態として結果態を表す、と考察します。
これらの動詞は馴染みあるもの、馴染みのないものが混在するうえ、行かる~書かるなどは受動態へ移行する前の準備形態「さなぎ状態」なのかもしれません。
〇つまり、結果態「ある」接辞は、「終わる、休まる」のように動詞語彙に組み込まれて馴染んでいるものから、後付けで語尾活用的に使う方法:「食べらる、書かる」など文法的態活用まで両面の使用方法があります。
・しかし、多くの人は「結果態」という概念が具体的にどんな形態で語彙に入っているのか分からずにいるでしょう。

〇前回の『再構築した日本語文法』小島本では、「書く」の結果相として「書いてある」をあげています。
小島本結果相例:書いてある、縫ってある、持たせてある、予約してある など。
・「~てある」を結果相として薦めている。
・思考実験で音便変化をゆるせば、「~てある→~たる」:書いたる、縫ったる、持たせたる となります。
・関西語、九州語の音便変化ならば、「~ておる→~とる」:書いとる、縫っとる、持たせとる でしょうか。
 ちなみに継続相では「~い・おる→~よる」:書きよる、縫いよる、持たしよる でしょうか。
・小島本でも「ある」が結果相の表現要素になるわけですが、「~てある」が付属して結果相を表せる動詞は限られると述べてあります。結果相を表せない動詞がある理由については説明がありません。

〇さて気をとりなおして結果態を調べてみよう。
・休まりましたか、始まりましたか、つかまりましたか:馴染みあり。
・?行かりましたか、?飲まりましたか、?食べらりましたか、?書かりましたか :馴染みなし。
と連用形では差がありますが、仮定形(已然形・既然形)になるとほとんど差がなくなります。
・休まれましたか、始まれましたか、つかまれましたか:まあまあ。(結果可能態に感じます)
・行かれましたか、飲まれましたか、食べられましたか 、書かれましたか:馴染みあり。(結果到達態に感じます)
〇これは動詞形態が受動態と同形になったからですね。
・受動態と言うよりも結果可能態・結果到達態と表現するほうが本当は的確な概念なのでしょう。
・通常はこれらを尊敬態のように解釈することが多いのですが、「結果を見据えての表現」だということが肝心の根本意味・原意でしょう。

(4)結果態:書かる=書いてある

 「態の双対環」方式での深層文法則では、書かる=書いてある が結果態として成立する。
同様に、縫わる=縫ってある、持たさる=持たせてある、予約さる=予約してある がなりたつはずですね。
〇文語体の時代なれば、「書かる」で言い切りができたのだが、口語体では、最小でも「書かれる、書かれた」と書く必要があり、これは受動態と同形になります。
・口語体でさらに最悪な?表現になると「書かれてある、書かれていた」と「ある、いる」の二重表現になってしまう。
〇そうするくらいなら、「書いてある」のほうがはるかによい。
(小島本ではこの考察により結果相を「~てある」に絞り込んだのでしょう。同時に受身形以外の受動態を疑似受動態として遠ざけた)
〇念のために、語彙的態で生成された:休まる、始まる、つかまるを考察する。
・当然ながら結果相として、休まる、休まった、始まる、始まった、つかまる、つかまったが使える。
・休まれる、始まれる、つかまれる は、結果可能態:ついに結果としてできたこと、または、受動態と見なされる。
・ここで大事な区別を提起したい。通常の可能態:休める、始める、つかめる、行ける、飲める、食べれる、書ける、縫える、などと、結果である飲まれる、食べられる:結果可能態とは意味が違うことです。
〇通常の文法では、可能態も結果可能態もまったく両者を区別しない悪い習慣が続いていますが、日本語の動詞語彙が誕生してきた過程を見つめれば両者の違いが浮かび上がると思います。次節に記述します。
(通常の言語学者では気づかないだろうが、結果相を峻別される小島本に期待して読んでみたが可能・結果可能の区別に言及する部分はない)

(5)「言うに言われぬ」:結果不可能態です

○以前、寺村秀夫本から例文を引用したものを再掲する。(『日本語のシンタクスと意味①』可能態解説の項節)
・「言うに言われぬ苦しみを」、「止むに止まれぬ気持ちで」、「泣くに泣かれぬ」などの成句に打消しの受動態が使われる。
・「言うに言えぬ」、「止むに止めぬ」、「泣くに泣けぬ」の可能態でなく受動態で表現するほうが定着した。
・寺村本では、なぜ受動態で表現するのかについて、説得力のある理由説明がありません。
〇受動態が結果相の意味合いを含んでいるから、先人は受動態を迷いなく選んで表現したのだろう。
・「言わる→言われる」:形態は受動態ですが、受身ではなく、意味は結果可能態です。打ち消しの「言われぬ」だと結果不可能態と言えばよいでしょう。
・言われぬ:言おうにもたくさんありすぎてとても言い尽くせない。結果到達できない。
・止まれぬ:何度も躊躇し、止めかけたが、先を考えたら止めるわけにいかなかった。結果止めずにやりとげた。
・泣かれぬ:泣いて済むなら泣きたいが、責任ある身で泣いてしまったらおしまいよ。結果不可能態。
〇小島本でも残念ながら、受動態が結果相を含んだ表現であることに気づいていないようです。
・不思議なことに日本語学者の誰からも結果態を取り上げられることがなかったようです。受動態の中に結果態の姿を見出す人がいなかった。
・「言われぬ、止まれぬ、泣かれぬ」が受身表現でなく、話者の能動的心情表現でもあるので、小島本では情動相を定義して日本語特有の受身形態の情動側面をすくいあげたのだろうか。だが、結果態の側面を切り捨てたことになる。(小島本の情動相は受身+情動を指しているから、純粋な結果到達+情動が小島本の情動相に含まれるのか定かでない)
〇さあ、いつになったら日本語文法が正式に結果態を取り上げる時代になるでしょうか。
・昭和30年代のころ、神主の祝詞に「あらしゃります←在らさる:存在の尊敬態」とか、時代劇では「どこへ行かっしゃる←行かさる:行かすの結果態」などの言葉を子供心に興味深く聞いていたように思います。(結果態か受動態か、どちらの意味で使っていたのかわかりませんが、口語として音便変化で「しゃる」となったのでしょうね。また「しゃる」形にすると別語との混同が避けれたのでしょう)
・関西語では「書かれへん、飲まれへん」など結果不可能態を日常的に使っているらしいので頼もしいかぎりです。ずっと続けてほしい言葉使いです。

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