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日本語文法:日本語をどう見るか4

2014/12/03(水)

(8)日本語の動詞時制をどう評価するか

 日本語動詞の時制体系は、絶対時制(過去・現在・未来を時計通りに表現)ではなくて、相対的な完了形(出来事の完了を表現)と未完了形(未完了の出来事、動作)を区別して表現することで成り立っています。
〇時制の簡単な例文:
・食べる:未完了(現在または未来に食べていてもよい。相対的には過去の未完了の出来事を表現する)
・食べた:完了(過去ではなく、食べ終わった直後でもよい)
・「よかったら、おかわりしてください」:(一杯目が完了したら、または、良いと判断を完了したら、おかわりをしていいですよ)
・「食べる前に手を洗いましたか」:(食べた前にとは言わない。絶対時計に縛られない)
〇絶対時制よりも相対時制のほうが日本人には分かりやすいし、それでも絶対時刻をきちんと守る習慣は健在ですから、何も問題ありません。

(9)動詞態の「開始」と「結果」を感得してほしい

 時間的な相対関係を表現する方法は、動詞の態活用でも使われています。残念ながら多くの方には見過ごされていますが、動作の「開始」と「結果」を動詞態の形式で表現しています。
〇動詞態で開始/結果を表す:
・可能態=開始可能態。
・結果態+可能接辞=受動態=結果可能態。
〇簡単な例文:
・食べれる:開始時点での「可能性」を表明する。「開始可能態」と覚えるとよいでしょう。
・食べられる:動作した「結果の可能」を表明する。受動態が表す「可能」とは「結果可能態、習慣的可能態」なのです。
・「大食いの彼なら、3人前くらい食べられるよ」の食べられる:「結果可能態=習慣的可能態」を意味しています。結果的に食べきれるのを判っていて、食べる前は「食べれる」というべきだ、とは言いません。「食べられる」は結果を見通して言う言葉です。
(受動態の用法では、受け身でもなく、尊敬でもなく、結果可能・習慣的可能を表現することが多い)
・ですから、開始可能態「食べれる」と結果可能態「食べられる」を混同してはいけないのです。
〇学校文法には、開始可能態・結果可能態の区別認識がまったくありません。結果態の認識がないからです。結果態の接辞は、+(r/s)aruで、食べるの場合は「食べらる」です。文語体っぽいので単語としては使われませんが、可能接辞を付加した「食べられる」と結果可能態=受動態にして使われているのです。
・つまり、動作主が行う「食べられる」は、受身ではありません。尊敬表現と同様に動作主自身が行う動作を表現したものです。(もちろん尊敬の意味ではなく、一般の人が普通の習慣的動作をやり抜いたときの表現として使います)
・「食べらる」:結果態が文語体っぽいとの理由で「食べられ・る」と口語体化になったのでしょう。
・「食べさす」:強制態が文語体っぽいとの理由で「食べさせ・る」(強制可能態=使役態)と口語体になったのも同じ理由でしょう。(同じ接辞:(r/s)eruが使われている)

 「食べれる」と「食べられる」の違いを感得することが可能なのだろうか、いささか心配になります。
〇「態の双対環」思考実験の成果で1、2年前から確信を持てるようになった概念ですから、「開始可能態」と「結果可能態」を感覚として多くの方々に納得していただく段階はまだまだ遠い先でしょう。
・例えば、本多勝一『実戦・日本語の作文技術』:朝日新聞社:1994年9月15日第一刷 では、故郷の伊那弁で「見られる」は受け身であって可能の意味はなく、「見れる」は可能だけであって受け身の意味はない。ところが東京弁の「見られる」は、受け身と可能の双方を意味するから区別がつかず、・・・と記述がある。
・関西語では「熱うて飲まれへん」という打消し型の「結果不可能態」をよく使うので、おそらく双方の違いを感得しているでしょう。今のところ、関西人文法家の解説などで「結果態」、「結果可能態」を見たことがないので残念です。
〇どの地方でも「食べれる、見れる、飲める」に対しては「可能の意味で理解する下地」がすでにあると思える。強烈に「ら抜き言葉」だと言い立てるからには、「可能」の意味での使用例であることは観察できているわけですから。また、「食べられる、見られる、飲まれる」が受け身を意味する場面での使い方に対しても、異論は上がらないだろう。

 では、残る問題は「尊敬」と「結果可能態」との区別判断ができないと言うことだろうか。
・本多本では「見れる」を正常として、「見られる」形態のほうを「ら入れ言葉」と名付け多義性を問題視している。
 実際に公の場で問題になるのは、敬語表現が必要で、なおかつ受け身表現もしなければならないときです。
つまり、「受け身」と「尊敬」の両立ができるだろうかということ。
〇受動態「食べられる、見られる、飲まれる」を表現する場合には、受け身の意味では被動作主が主格補語に想定され、尊敬態・結果可能態の意味では動作主が主格補語に想定されるから、必ず補語として動作主、被動作主もしくは対象補語・目的語をそろえて言明するのが正しく理解してもらうための礼儀なのだろう。
・文法的には「受け身」表現を優先して解釈できるようにしたいですね。これの解釈には「辞」:格助詞を考察する必要があります。
〇日本語がどう見えるか、ではなく、日本語をどう見るか、という視点で疑問を解消していきたいですね。

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