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日本語文法:日本語をどう見るか6

2014/12/16(火)

(11)普遍的な言語とは

 言語も文明のなかで生まれて、文化のなかで成長していくわけだから、言語ごとに特徴のある形態を持つものとなるだろう。
〇人類が言語を使い意思を伝え合うという能力はおそらく普遍的なのだろう。意味のある語を組み立てる法則があり、法則に従った新しい概念構造を創造していくことを繰り返している。
〇しかし、発音体系や形態構造に対して普遍性のある言語を求めても一つに絞り込むことがむずかしいだろう。つまり、発音や語の形態が直接的に「ことばの意味」を普遍的に決定したり、保証したりするものではないからです。
〇普遍的な言語運用の概念とは、伝えるべき概念内容が何であり、概念の語をどう並べ、どう活用するかに関して、人類が相互に相手方の文法則と照合し、異同を確認できるようにすることだろう。
・西欧語は前置詞を使い、日本語は「テニヲハ」などの後置詞を使う。語順が逆になり、言語の姿はまったく異なってくる。
〇それでもロジャー・パルバースは日本語の普遍的な側面を感得している。
〇時枝誠記:国語学原論:上下を走り読みした段階ですが、時枝国語学の真骨頂が少し分かったように思います。(それで、普遍性を持ち出してしまった)

(12)「時枝:入れ子型」と「金谷:盆栽型」とは相当似ていますね

 日本語の構文形式を把握するのに好都合な模型化図解として、金谷武洋:盆栽型に肩入れしていますが、時枝誠記:入れ子型も厳密な構造過ぎるのですが、基本的には文末に来る述部入れ子が包摂する前段の入れ子全体をさらに統括するという概念を表現している。
・両者の図表化概念は相当似ているものです。
例えば、入れ子を記号表記すると
・[[A]は>B]だ。>
 は、[B]だ。>の内側に[A]は>が包摂され[B]だ。>に統括される関係にある。
・述部(動詞文、形容詞文、名詞文)入れ子:[B]だ。>を盆栽鉢だと想定すれば盆栽型であるし、さらに時枝理論は大胆な解釈を展開する。述部の文節は[B]だ。>であり、[B]を述語格と呼ぶ。述語格に包摂される[[A]は>B]の全体も述語格に転換されていると見なす。
・述語盆栽鉢の中に表現で必要な文節がすべて包含されると考えれば、盆栽型と異なるところはないだろう。さらにもっと強固な盆栽鉢ですね。

(13)述語文節をどう見るか

 金田一春彦:『日本語 新版(下)』に「文法の単位」の項目がある。
2回目に日本語の文節区切りは明確で混同はないとの見方を記したが、金田一本を引用すると、
〇金田一本:現代語の文法は古典語文法に引きずられ、単語という単位をしっかり考えなかったのはまずかった。・・・学者ごとに違っていた。
〇例文:「行かせたから」に対して
・松下文法:「行かせたから」全体で一語。
・山田文法:「行かせた+から」と切り、二語。
・時枝文法:「行かせ+た+から」と切り、三語。
・学校文法(大槻文法、橋本文法):「行か+せ+た+から」と切り、四語。
金田一としては山田の案がいい、と言う。(現代語に限る。もし平安朝時代なら:行かせ+たるより、と言ったから時枝文法は古典には適うのだが、という)

 さて、文節は詞+辞で成り立つから、
・学校文法:詞・行か+辞・せ・た・から、
・時枝文法:詞・行かせ+辞・た・から、
・山田文法:詞・行かせた+辞・から
・松下文法:詞・行かせたから+辞・φ、

 このように述語は語尾活用があり文節の考え方がばらばらになる。考え方を明確にして、「詞典」の範囲、「辞典」の範囲を決めておく必要があるのですね。
〇動詞の態変化について十分な文法説明を聞かずに済ませてしまうと、後年になって調べようとしても詞典にも辞典にも十分な記載がないという困った事態になる。
〇「態の双対環」方式で動詞態を生成する過程を解説すると、
・強制態:行く+asu/rasu/sasu→行k+asu→行かす。
・強制可能態・使役態:行かす+eru/reru/seru→行かs+eru→行かせる。
・平安朝時代の「行かせたるより」:行かs+e(ru)・て+結果態接辞:ある・より→行かせ・たる・より→意味:行かせてしまってから。
(現代語でも、~てあるを~たると言えると好都合なのだが、~たら、~たり、~たれ形式が辛うじて残っているだけです。なんたることか!があるか。連体形も終止形でも使いたいですね)
〇ついでに結果態、受動態を復習します。
・結果態:依頼する+ある→依頼s+aru/raru/saru→依頼s+aru→依頼さる:意味:依頼の動作が行われて結果がそこにある状態を指す。
・受動態:結果態+可能接辞→依頼さる+eru/reru/seru→依頼さr+eru→依頼される:意味:依頼の動作が行われてすでに結果がそこにある状態になることを指す。(結果態を口語体にして情感を増やした形)
・結果態、受動態ともに能動/被動の両面を含意するから、受け身専用ではない。なにが主格になるかで受け身にも結果可能にも尊敬にも意味が対応するわけです。
〇日本語では「動作・行為」を人や物から切り離して、「動作そのもの」のやりとり、ありよう、影響を見つめる視点が強いのです。だから、動詞述語が主格から離れて文末にあっても構わないのです。
・時枝文法の述語格というのは、陳述・判断の動作性そのものを名詞的な概念として捉えた命名法なのだと推測するが、本当ならすごいことですね。

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