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2016年3月

日本語文法の論理4

2016/03/31(木)

★今泉喜一:『日本語構造伝達文法』の構造立体モデル(実体属性コマ型?)での工夫は、
・「源さん(感覚主体)が饅頭(帯感主体)がこわい(形容詞属性)」のように、一つの属性に対して二つの主体(主語)構造が並立するモデル図を提起しており、両主体が同時に属性に関わるのを説明できる点が優れています。
・日本語に多い複主語構文(動詞文、態動詞文、形容詞文、名詞断定文などすべてで)を6~8種類に分類している。
〇例:態複主体文:「彼(動作主体)は納豆(態主体)が食べられる(態動詞属性)」。
〇例:因果の複主体文:「この本(原因主体)は(私が・自明の本主体)疲れる(結果属性)」、
〇例:「この本(原因主体)は頭(結果部位・属性主体)が痛くなる(属性)」。

 今泉本「構造伝達文法」では述部を「属性」で記述するから、その属性の「主体実体」が明確であれば文法構造を説明しやすい。
〇例:態の構文で考察する。
・「父①が祖父②に弟③を大学に行かさせられる」の「属性:態動詞:行かさせられる」に対しての「実体と属性の構造」は、次の通り。
・弟③-大学に行k・(能動)
・父①-as・(強制)
・祖父②-aser・(使役)
・父①-areru。(受動)
という二重使役受動態の構造を図解できるものです。(厳密な図解は割愛)
〇発話者としては、
・父①-弟③を大学に行かs・(強制)
・祖父②-aser・(使役)
・父①-areru。(受動) と表現したつもりでしょう。

 以下、独自の思考実験に進みます。(述部を属性と捉えることに少々違和感があるが、)
このように、態動詞は合成する態接辞ごとに属性が増えるから、対応する実体関係を明確に把握、表現しなければならない。
★「主体・属性関係」で一番むつかしいのは、受動態です。
いわゆる、受動態:受け身、実績可能、自発、尊敬など多重意義があるからです。
・上例の二重使役受動態「行かさせられる」の「られる」受動態と構文主語の関係で解析すると、
〇父①、弟③-「~られる」:受け身。(祖父が能動者)
〇祖父②-「~られる」:結果可能、実績可能。(能動者が受動態主体になると、動作の結果可能を表現できる)
〇祖父②-「~られる」:尊敬(自ら尊敬語は使わない。第3者が発話者の場合)
のように意味解釈できる。
★受動態接辞:areruは、結果態:aruと可能態:eruの合成です。
この「aru」は「ある、在る、有る」に通じる意味がありますから、「動詞+ある、在る、有る」の意味合いになります。
・「行かさせr・あれる」属性が被動作者と結びつけば、「受け身態」となります。
・「行かさせr・有れる」属性が動作者と結びつけば、動作の結果・実績を有することを意味します。
・「行かさせr・在れる」属性が第三者の発話により表現されれば、尊敬態になります。
〇つまり、日本語の受動態(動詞終止形+あれる)の意味機能は大胆な比喩で言うならば、
・英語系言語での受け身形式(be+動詞過去分詞)と完了形式(have+動詞過去分詞)に近似した表現になるわけです。
・事故現場から「やっと、戻られたので、ほっとしました。」は、この意味で受動態表現にする意味があります。「戻る動作そのものが結果となって有る」と言うことです。
・可能態「戻れる」を使い、「戻れた」と完了形で表現してもよいでしょうが、それでは「動作意思の可能の表現」にしか受け取れません。

日本語文法の論理3

2016/03/24(木)

★時枝誠記:詞辞入れ子型(風呂敷型)に回帰する。
 思考実験を記述する。

・山口明穂:『日本語の論理』に記述の「がにをは」助辞に対する研究は、日本語の底流に流れる構文文法の根源法則を明示するものだ。強い共感を抱くのだが、研究成果としての「がにをは」機能を如何に図解表現したらよいだろうか。

・今泉喜一:『日本語構造伝達文法』の構造立体モデル(実体属性コマ型?)は、深層論理を見事に説明する図解方式であり、最先端の研究成果だと思う。
ただ、残念なのは、文=実体(+格助詞)×属性(+描写詞)と規定しているから、「通常の文=主語+述語と根本は変わらない」と一般読者は理解するかもしれない。
つまり、一般読者にとっては「構造立体モデル」の目新しさを感嘆するものの既成概念を捨て切れないかもしれない。

・ロジャー・パルバース:『驚くべき日本語』第3章日本語-驚くべき柔軟性をもった世界にもまれな言語:
 ・形容詞の使い方に見る日本語の驚くべき簡潔さ①(えらい)、②(若い)、
 ・自分の感情を移入して相手を形容する形容詞の不思議(惜しい、もったいない)、などを記述した節項がある。
パルバースが形容詞の使い方に「驚くべき簡潔さ」と驚嘆したことは、4か国語を話す彼自身の言語感性が幅広く柔軟である証拠かもしれない。
幸いなことに日本人ならば、「全く当然の当り前」にしか感じないでしょう。
なぜなら、形容詞は主語:客観実体がもつ属性を形容するだけの専用でなく、構文の話者が感覚する形容表現を入れ込む使い方も普通のことですから。

・山口明穂本にいわく:「~が格」は(西欧語の)主語を表すのではなく、「~が」なにかを引き起すもと:ものざねに「それ~が」なっていることを表すものだという。
「饅頭がこわい」の意味は、怖いという感情を(話者に)引き起す根源に饅頭がある、なのです。
×「饅頭が(主語であり)誰に対しても怖い感情を引き出す性質である」という意味ではない。
〇「「饅頭が怖い」なんてあるものか!」と長屋の仲間連中が反応して、「饅頭攻め」にする落語の筋は、果して饅頭を西欧語流の主語と見立てての反応なのだろうか?
大事な点は、うやむやにせず「饅頭攻め」を決行する長屋連中の心懸けだと思うし、見習いたいものです。教材にも使える噺です。

・北原保雄:『日本語の形容詞』大修館書店:2010年6月第一刷のまえがきに、
--引用開始--
(形容詞の場合、みんなが面白くないと感じている本を「面白い」と言っても誤りにならない・・・)そんな主観的表現と客観的表現の関係について考えるようになったのは、おそらく時枝誠記の『国語学原論』(岩波書店 1941)や『古典解釈のための日本文法』(至文堂 1959)の影響だろう。読んだ後で、とても新鮮に感じ感動したことを鮮明に覚えている。
本書では、形容詞を、客観の表現、主観の表現、主観客観の二面的表現の三種に分け、三者の関係について詳しく考察した。
--引用おわり-- とある。
 北原本の本文では、
「私が仕事がつらい」、「彼が英語が話せる」などの二重主格構文について:時枝誠記、三上章の文法論と異なる立場を記述している。
「私が、彼が、」は、能動主格であり、一方の「仕事が、英語が、」は、所動主格なのだと簡易措置で区分してもよいのだが、思考実験もすっきりしない。

★「饅頭がこわい」の考察をつづけると、
〇「何がこわいのか?」→「饅頭がこわいのだ」
×「誰がこわいのか?」→×「源公がこわいんだ」
〇「誰がこわがるんだ?」→〇「源公がこわがりやがる」
のように、所動主格←こわい、と、能動主格←こわがる、を使い分けると分かりやすい。
ただ、別例の「つらい」と「つらがる」は対向利用がなじまない。
「つらがる」と言う所作に典型的な動作反応を思い浮べられないからですね。
〇「形容詞+あり」の活用でも「形容詞+ある」をほとんど使わないが、
 こわい(性質形容属性・客観的)→こわかる/こわかった(感情形容属性・主観的)
 つらい(性質形容属性・客観的)→つらかる/つらかった(感情形容属性・主観的)
という識別手段も想像できるが、歴史的には「+ある」形態は実績なしのようだ。 
九州言葉では、「こわか~」、「つらか~」が現役だと思うが、、、

★一方、「話せる」:可能態の動詞は、能動主格←話せる、所動主格←話せる、と、同一形態で能力発露の意図動詞性(所動詞化あり)と性能属性形容の両面を表現できる。
先日、ベルギー空港連続爆発テロの関連テレビニュースで聴いた取材談話:飛行経路を変更してようやく帰着した空港で中年女性が応答していわく、「やっと、戻れ・」一拍間が空いて「られたので、ほっとしました。」とあった。
「戻れる」は、(「態の双対環」で考察すれば、戻る/戻れる/戻らる/戻られる)すでに立派な可能態動詞ですから、「やっと、戻れたので、ほっとしました」でいいはずです。
★大変な混乱の末に「戻った」実績・実体験として表現するには「やっと、戻られたので、ほっとしました。」が最適ですね。受動態で表す可能は、意図としての可能でなく実行した実績可能を表すからです。

つづく

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