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態文法:可能態と受動態の違い

2016/12/17(土)

 日本語の動詞派生は規則的に合成できます。
基本規則:考察の利便のため、動詞形態を一般化表記する。
〇動詞語幹:D、挿入音素:[][r][s][x]、態接辞:ar、as、erなど。
・動詞語幹:hanas/kak(子音語幹)/mi/tabe(母音語幹)をDで表示。
例:D[r]u:→話す、書く、見る、食べる:動作終止形、連体形。
例:D[r]e[r]u:→話せる、書ける、見れる、食べれる:可能態。
例:D[r]ar[]e[r]u:→話される、書かれる、見られる、食べられる:受動態。
例:D[s]as[]e[r]u:→話させる、書かせる、見させる、食べさせる:使役態。
〇打消し表現の場合:否定接辞は→(助動詞)ない:nai。
例:D[a]nai:→話さない、書かない、見ない、食べない:動作打消し。
例:D[r]e[]nai:→話せない、書けない、見れない、食べれない:可能打消し。
例:D[r]ar[]e[]nai:→話されない、書かれない、見られない、食べられない:受動打消し。
例:D[s]as[]e[]nai:→話させない、書かせない、見させない、食べさせない:使役打消し。
〇敬体終了の表現の場合:敬体接辞は→(助動詞)ます:masu。
例:D[i]masu:→話します、書きます、見ます、食べます:敬体終了。
例:D[r]e[]masu:→話せます、書けます、見れます、食べれます:可能敬体終了。
例:D[r]ar[]e[]masu:→話されます、書かれます、見られます、食べられます:受動敬体終了。
例:D[s]as[]e[]masu:→話させます、書かせます、見させます、食べさせます:使役敬体終了。

 このように規則性がある動詞派生の文法則がまだ正式に認められないでい
るが、可能態の「話せる、書ける、見れる、食べれる、」が正当だと認める時代
は間もなく来るでしょう。(妄信的な反対者もいるでしょうが)
その時代には、単に「可能態」を認めるだけでなく、上記の一般化表記が示す
「動詞派生の構成法」を含めて共通理解されるようになってほしい。
その共通理解が存在する期待の種子が今でも見れます。(見られますと結果
で言える日が来ることを念じます)

 期待の種子とは「ら抜き言葉」は「ar抜き結果抜き」可能で記述した、
文化庁が9月発表の「国語に関する世論調査」の「ら抜き言葉」調査結果の解
釈でも考察したように、世論で「可能態」を認める傾向が強まったと同時に、
依然として「受動態」表現のほうを選ぶ率が高い言葉もあります。
〇期待の種子:世論調査5項目:全体平均(平成28年2月~3月調査)
(1)こんなにたくさんは:食べられない(60.8%)/食べれない(32%)
(2)朝5時に:来られますか(45.4%)/来れますか(44.1%)
(3)彼が来るなんて:考えられない(88.6%)/考えれない(7.8%)
(4)今年の初日の出が:見られた(44.6%)/見れた(48.4%)
(5)早く:出られる?(44.3%)/出れる?(45.1%)
〇項目4、5:「可能態」が初めて過半数となった。また、項目3:全世代ともに
 圧倒的に「考えられない:受動態」を選ぶ。
・一般大衆が持つこの言語感覚が期待の種子だ。つまり、「可能態」と「受動態
 の結果可能」の意味の差をはっきりと感じとっているのです。
(日本語学者や教育者には残念ながら「考えれる/考えられる」、「考えれな
い/考えられない」の意味差が見えていない。「ら抜き」は間違いだという
見方しかできていないからか。あるいは、受動態の本当の意味を理解できて
いないからでしょうか)

・可能態:D[r]e[r]u:→食べれる、来れる、考えれる、
・受動態:D[r]ar[]e[r]u:→食べられる、来られる、考えられる、
〇可能態は「ら抜き」ではなく、受動態から「ar[]抜き」した形態なのです。
 つまり「ある:結果がある」のある抜き:→結果に到達する前の意図として
 の「意気込みでの動作可能」を表現するのです。
〇まじめに「結果まで見通して可能かどうか」を表現するのが受動態です。
 (1)~(3)の設問文に対して動作・事態の「結果まで見込んで」返事をする
 立場が受動態を選ばせるのでしょう。共感できます。

〇「考えれない」とは、「動作意図として「考える」こともできない」、極端に言
 えば、「傍若無人か、余程の痛苦で意識が制御不能になっている」のか、「思
 考停止の状態か」、という異常事態で、はじめて「考えれない」に合致するの
 だろう。
・一方、「考えられない」は考えて結果(考察結果)をきちんと提示できる状態
 に達してないことを表現する場合と、または、想定(考えた結果)に反して、
 事態の結果が大違いとなったときに発話する場合がある。
・設問(3)は想定外の事態に対しての「考えられない」ですね。全世代が「結果
 の食い違い」を見抜いています。共感します。
〇対する(4)、(5)の設問文では、動作結果の状態に深刻さがないと推測す
 るので、気楽に「取っかかりの動作可能」の可能態を選べるのでしょう。
 (意思先行や意欲先行の可能表現をすることは元気の発露で良い場面も
  あるはずです)

〇可能態は子音語幹、母音語幹に関わらず使用可能です。(挿入音素が連結
 のつなぎ役を果します)
・動作を実行できる場面で個人の意思表明として「可能態」で表現することが
 多いわけです。あくまでも個人の意欲、能力、行動、または個々の事象に対
 する可能を表す態動詞です。(個の可能を意味する)
・大勢のまえで「可能態」を吹聴するのは、個人的な自慢話か大ボラ吹きでし
 ょう。(公の場で「可能態」を使うべき条件がないから使わないのです)
〇他方の受動態の結果可能は、「結果を見通し、考慮した可能」、「実際の結果
 で可能」なことを意味します。(公の場で活動結果の議論では受動態を使う
 のは当然のことでしょう)
・「食べられるキノコ」は食べた結果が問題なかった、つまり個人の可能だけ
 でなく誰でも可能だということで、大勢のまえでも「受動態」で話せます。
 (多の可能を意味する)

 だから、意味の違いを見極めて両方の可能形式を使い分けて、併存すべき
ものでしょう。(世論調査でも併存している状態が分かります)

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