« 2018年8月 | トップページ | 2018年10月 »

2018年9月

態文法:哲学でする動詞活用7

2018/09/23(日)

 前回、動作の「律仕方」区分に新たに「受律」を定義し追加した。
「受律動作」とは、「イチゴが売っている」のように、対物他動詞の動作を受ける状
態の対象物を文の主格にして描写することを言う。
(「農家の門前でイチゴを売っている」では、自律動作の対象物にイチゴが配役さ
れてる)
→当態文法は、文法再生を目指して独特な視点で態動詞派生を考察しているだけ
 でなく、正確に態動詞を活用するための法則を提起したいと考えている。
・独特な法則の一つが、「動作の律仕方」法則である。
<★当態文法の「動作律仕方」定義を再掲すると、(前回の「受律」を追加した)
・能動系→自律(自他共に:対物、対人に関わる)→自らの動作意図で律する。
・強制系→律他(対人他動詞になる)→対他に指示し対他の自律動作を律する。
・使役系→律他互律(対人他動詞)→律他し、完遂に必要なら手助けする。
・可能態→互律(人・物・事の相互律)→完遂に向け相互尽力する。
 「已然」連用形も互律が適用可能。
・結果態→果律(結果事象が生ずる)→動作結果、結果物が律する。
・受動態→果互律(結果事象が関与する人・物を律する)→動作主:実績、動作習慣
 、客体:受け身、対象物:受け身、自発、習慣、第三者発話:敬語。
が基本定義である。
・使役受動態には律他互律果互律=使役果互律として複合の律形態で解釈する。
★なお、語形態として態構造を作らないが、対物他動詞の正然・連用形による動
 作完了相、進行相の表現は、確かに「簡略的な受動(受け動作)」を想起させる。
・対象物をして構文の主格に配置させて、「イチゴが売っている」、「字が書いてあ
 る」、「付箋が貼ってある」、「看板が立ててある」などの律仕方を「受律動作」と
 定義する。(対物他動詞の対物主格が「受ける連用形完了相に限定した動作」)
(一方、受動態は果互律動作→動作結果が対物に如何に関与・影響するかを述べ
る視点で描写する)
・もしも「イチゴが売れて、」「字が書けて、」「付箋が貼れた」「看板が立てれて、」
 の已然・連用形ならば「互律動作」であり、動作主と対象物の相互関係が濃密に
 顕在する描写心理が働くはずで、動作完遂の顛末を想起し描写を期待する。
★次に、今回は「無律」動作について追記する。(強制態を対人他動詞へ転換)
・「無律」については、すでに当ブログで古語「ク語法」の考察記事などにより20回
 以上の回数で取り上げている。
・「だます」、「だまかす」、「だまくらかす」:「だまくらかす」も3回記事にしており
 、少しづつ考察が深まってる。>

10.「無律動作」とは
 古語辞典では「ク語法」を動作概念の名詞化・抽象化の機能で説明する。
「無律」、「無律動作」に使われるとは明確に説明してない。
・語例:曰く:iw[]ak[]u→言うところ、言わんとすること、
 望まく:nozom[]ak[」u→望むこと、望むらく:nozom[]u[r]ak[]u(誤用?)
 すべからく:subekar[]ak[]u→するべきであること、
など、多くは動作名詞化の意味合いが強い使用法であったが、
・遊ばかす:asob[]ak[]as[]u→「若君を遊ばかし奉り、」のように、意図的に
 「遊ばす:律他動作(若君に指示・命令し、若君の自律で遊ばす)」を使わずに、
 「遊ばかす:対人他動詞・自律動作(若君が何でも遊べるように直接に配慮いた
 しました)」と表現した例が記載されている。
(強制態や使役態が内包する律他性:指示命令と服従自律の二重構造、を回避し
 て、単純な対人他動詞化にしたい、という細やかな配慮意図が古語の時代から
 存在していたのだ)
 
→★当態文法では、ク語法の接辞:ak、を動作概念の名詞化、抽象化する機能と
 見なすが、同時に動作律仕方も「無律化」するものだと見なす。
(この接辞を単に、~すること、~するところ、の意味付けで終らしてはもったいな
い)
・近世には、拡大抽象化や無律化への応用が広がり新造語が増えてきた。
例:散る→散らかる、散らかす、 たぶる→たぶらかす、 ずる→ずらかる、
  やる→やらかす、 あまゆ→あまやかす、 おびゆ→おびやかす、
  (やる:動作目的を理解し合ってる、やらかす:動作内容が勝手なこと、
   甘えさす、怯えさす:程度を相手自律に放任?、甘やかす、脅かす:程度を主体
   側の自律で決める)
  だます→だまかす→だまくらかす、(この派生の列を次項で解説する)

→〇「だまくらかす」を解き明かす。
・だます:damas[]u:四段他・あざむく(damar[]u黙ると同根:真実を黙す)
 世間の解釈として、dam[]as[]u:四段他・真実を隠して対他の自律・誤解釈
 を誘う動作と判じられた。 特にだまされた人は、自律誤解釈が原因で被害を
 受けたと思いたくないから、誤解釈を無律(動作主の自律へ戻す)化しようと、
・だまかす:dam[]ak[]as[]u:四段他・虚偽を並べて惑わす。(自律・対他)
 だまかされたのなら、自分の誤判断ではなかった、うそつきが悪者だ。
・だまくらかす:dam[]ak[]u[r]ak[]as[]u:四段他・虚偽を五万と並べ立てて
 対他の判断を惑わせる。(だまく?る:嘘で塗り固める、だまくらく:うそ八百で
 周囲が見えない状況) 少々大げさな詐欺的主体の自律・対人他動詞。

→★「おれおれ詐欺」の撃退に役立てるには
〇だます、だまかす、だまくらかす、のどれを取っても、「うそ、虚偽、」が八百、五
 万と並べ立てられるはずだから、「虚偽の包囲網」に囲まれないように、何度も
 何度も最初の「うそ、虚偽」に戻って「状況を質問し直す、くり返し問いただす」
 ようにして、あやふやな妥協の納得や、先に進むことをしない、これが大事。

態文法:哲学でする動詞活用6

2018/09/09(日)

9.正然・已然の連用形に絶妙な力
 当態文法では、自動詞と他動詞の活用形に区別を与えず、動作意図を示す「律仕
方」の解釈でも、能動系なら「自律」、強制・使役系なら「律他・律他互律」と定義し
て、自他区別をしない法則である。
しかし、「正然」連用形には隠れた選択力が働いてるので、法則を追加すべきかも
しれない。

→今回の考察で、自他交替と正然・已然の連用形との絶妙な関係を調べる。
〇ネット検索すると国語学の研究分野で議論されている問題のなかには、
(1)「直売所でイチゴが売っている」→正然連用形 (イチゴが売る)は不成立。
(2)「ケーキが六等分に切れた」→已然連用形(ケーキが切ってある)正然連用形。
のように、他動詞でありながら連用形になると擬似的な自動詞用法が現代の会話
文で成立するという。

★当態文法の「動作律仕方」定義を再掲すると、
・能動系→自律(自他共に:対物、対人に関わる)→自らの動作意図で律する。
・強制系→律他(対人他動詞になる)→対他に指示し対他の自律動作を律する。
・使役系→律他互律(対人他動詞)→律他し、完遂に必要なら手助けする。
・可能態→互律(人・物・事の相互律)→完遂に向け相互尽力する。
 「已然」連用形も互律が適用可能。
・結果態→果律(結果事象が生ずる)→動作結果、結果物が律する。
・受動態→果互律(結果事象が関与する人・物を律する)→動作主:実績、動作習慣
 、客体:受け身、対象物:受け身、自発、習慣、第三者発話:敬語。
が基本定義である。
・使役受動態には律他互律果互律=使役果互律として複合の律形態で解釈する。

→「正然」連用形に対しての律仕方は未定義であり、考察をして新提案しよう。
〇動詞派生を一般形式で表記する。
・正然連用形の一般形式:D[i/・]te、このうち、対物他動詞の連用形を考察。
 売って、切って、書いて、読んで、立てて、見て、食べて、壊して、盗んで、叩いて
 、返して、などが対物他動詞の正然連用形に該当する。
・通常、他動詞の対象物を主格に立てる構文では、受動態表現にするはずで、
 受動態連用形の一般形式:D[・/r]ar[]e[i/・]te、で示すと、
 売られて、切られて、書かれて、、、壊されて、盗まれて、叩かれて、返されて、
 などとなる。(受動態:are→果:ar、互律:e)
・上記の受動態連用形から結果接辞:arを外すと、可能態連用形・已然連用形にな
 る。已然連用形の一般形式:D[・/r]e[i/・]te、の形態で、
 売れて、切れて、書けて、読めて、立てれて、見れて、、盗めて、叩けて、返せて、
 などとなる。(可能態・已然:e→互律、完遂尽力)
★已然連用形は動作完遂の経過での主体・対象物の行動を肯定的に考慮する動作
 を表現する。(売れて、切れて、書けて、盗めて、叩けて:人も物も肯定協力的)
・受動態連用形は動作事象の結果に反応・態応する心情、感情を表出する準備表
 現である。(売られて、切られて、書かれて、盗まれて、叩かれて:動作結果が支
 配的である) 普通、結果に由来する喜怒哀楽の描写が後続することが多いが、
 「イチゴが売られ、」「ケーキが切られ、」「物 書かれ、」が単独で語られると、対
 象物に対する日常、必然の習慣行為だと述べているように感じられる。
〇さて、正然連用形は一般形式:D[i/・]te、であり、完了接辞:te(下一段)が付加
 され、売ってる、書いてある、見てる、食べてる、盗んである、叩いてある、置い
 てある、貼ってある、並べてある、干してある、などの形態となる。
・この形態により対象物への動作が完了した状態を表現することになるから、
 已然接辞や受動接辞が付かない「直接の連用形:特段の感情移入がない動作」を
 受けたことになる。
・特段の感情移入がないので、正然連用形:「イチゴが売っている」「字が書いてあ
 る」「朝飯はちゃんと食べてる」「ケーキが六等分に切ってある」「看板が立てて
 ある」などが文法的に違和感が少ない動作完了相と見なされる。
・この正然連用形の律仕方を「受律動作」と新定義したい。
★受律動作:対物他動詞の対象物を主格とする構文での正然連用形の動作意図:
 律仕方を「受律」と名付け、動作を受けた完了状態、進行状態を保持することを
 表現する。 (動作の経緯や結果に対する利害関係を内包しない)
・感情移入がある「財布が盗んで、」「扉が壊して、」などは意味不明となる。
 それには、受動態・受け身表現:つまり→「財布が盗まれて、」「扉が壊されて、」
 という、結果が人・物を律する:果互律動作として表現するのが最適である。
(受律動作は、動作主との関係性が互律よりも希薄で、動作を受けたことだけを
意味する。 つまり、動作主を伏せたまま対象物が動作を受け取ること)

→「受律」は適用範囲が限定的であることを納得しておきたい。
 (対物他動詞の対象物が主格文となり、D[i/・]te[r]u、D[i/・]te[+]i[r]u、
 D[i/・]te[+]ar[]u、などの動作完了相、進行相を表現する場合に限定)
・日本語話者の感覚は、わざわざ動作主を言わなくても、動作主との関係性の強
 弱を動詞の律仕方:「受律」「互律」「果律」「果互律」(「律他」「律他互律」)の使い分
 けで表現してることになる。

態文法:哲学でする動詞活用5

2018/09/02(日)

 現代動詞活用法のなかで用法が揺れている?もう一つの問題を考察しよう。

8.(正然)連用形と(已然)連用形を使い分ける
 国語学者のなかで動詞活用の揺れ問題と捉える方々がある。
〇他動詞を使うか、使役動詞を使うかの用法が揺らいでいる、ということ。
実例:任す:他動詞、任せる:使役動詞、の使い分けについて
 ①その件は彼に任してある。(←清雅な表現ではない:国語学の評価)
 ②その件は彼に任せてある。(←こちらが清雅な表現:国語学の評価)
→当態文法の視点からは、何らの問題でもなく、①任す②任せるの両者の意味の
 違いが表現された文章だと捉える。 清雅であるかないか、ではなく、意味の違
 いをしっかりと講釈してほしい。
 (理由なく「任して」を避けて、「任せて」を優遇するのは筋が通らない)
〇この実例の動詞については、ひとつだけ補足しておく。
・古語:任く:mak[]u→任す:mak[]as[]u→任せる:mak[]as[]e[r]u、とい
 う単語派生の流れが想定できる。
・任す:対人他動詞→強制態動詞とも解釈でき、律仕方は律他動作を表す。
・任せる:使役他動詞→強制+e[r]u(已然接辞、可能態接辞)で、律他互律動作と
 解釈する。
 →すでにこの実例については、態文法:日本語を研究するための道具4のなかに、
 (部分:松下電器創業者・松下幸之助の名言「任せて任さず」)で詳細に説明して
 あるので、省略する。 用法に揺れはない。

 この問題を一般形式で表記すると、
〇強制:D[・/s]as[]uと、使役:D[・/s]as[]e[r]u、の選択問題である。
 特に強制動詞の場合には、e[r]uが付加されて使役動詞に変わっても、意味の
 大部分は能動的な対人他動詞性(律他:他を律する)が残ってる。
〇さらに一般化して、自律・能動動詞:D[・/r]uと、D[・/r]e[r]u、の場合
例:戻る:modor[]u、を検討すると、
・「無事に戻って来れてうれしい」
 →「戻って」:戻るの連用形、「来れて」:可能動詞の連用形とみるのが普通か。
 (来るの已然仮定形は「くれば」で、可能の連用形「これて」と形態が違う)が、
 または、「来れて」:来るの已然形と見るか。
・「無事に戻れてうれしい」
 →「戻れて」:可能動詞の連用形と分析するのが普通か。
 または、戻るの已然・連用形とも考え得る。
→★この例を哲学活用の立場から解釈すると、
・可能動詞、可能態の由来が、動詞活用の已然形:D[・/r]e、にあると見てるので
 、「戻れ・ば:已然・仮定形」「戻れ・て:已然・連用形」、「戻れ・!:已然・命令形」のよ
 うに解釈することが全く自然に思える。
・つまり、「戻る」の活用形のなかに、戻って(正然:まさに然る)、戻れて(已然:
 すでに然る)、の二つの連用形が同列に並んでるように感じられる。
・また、戻るの已然形:戻れ、と、可能動詞:戻れるの連用形:戻れ、は同形、同義で
 あると解釈できる。 だからというか、だけれどと言うべきか、「戻れて」を「戻
 ることができて」と可能流儀で毎回感じる必要はないだろう。
 「戻れて」に対して、「戻るを完遂するため懸命に尽力をして」と已然形で感得す
 る人々が存在することも当然である。
〇「戻って」は自律動作であり、「戻れて」は自律・互律動作である。
 互律動作とは、動作主体が動作を完遂するにあたり対人、対物、対自然、対環境
 の助力や順法適合などの条件を得て成就することを言う。
・「戻れて」には努力の末の成就だという万感の思いが内包される。
 「戻って来れて」も「来れて」があるので、同じく万感の思いを感じるが、
 「戻って来てうれしい」だけでは成就の万感の思いが伝わらない。

→★整理:連用形には、2種類あり、動作相:アスペクトの視点から区別すると、
 ①正然:せいぜん=まさに然る、(通常の連用形)→正然連用形、
 ②已然:いぜん=すでに然る、(通常の已然形)→已然連用形、
 と命名しておこう。(新定義)
〇未然、正然、已然という名称は、動詞活用のアスペクト側面を明確に表現する
 もので、連用形・仮定形は文章構造に関連した用法名称である。
(試しに、動詞活用形の全体を動作相:アスペクトで区分する方式を考察して
みたい。
<実験例はじめ:動詞語幹Dと[挿入音素]で一般形式の表記で示す。
・未然:D[a/・]nai打消形、将然:D[・/y]oo意向、勧奨形、
・正然:D[i/・]Ø中止形、te連用形、
・事然:D[・/r]u終止、u連体形、
 →事然:じぜん=事象が/を然る(事象が出来する)
・已然:D[・/r]e[]te連用、e[]ba仮定、e!【yo略】命令形/【ey略】o!命令形、
〇事然:D[・/r]、D[・/s]からは態各種の態動詞へ派生する。
実験例おわり>)

 最後にもう一つ、正然・已然の連用形を示す。
例:正然連用形と已然連用形の使い分け(動詞活用の揺らぎではない)
〇「さすが、名人の落語は全席をしっかり笑わしますね」:笑わし:律他、正然、
 名人の語り口が律他か自律か判らぬくらい自然に、おのずと客の笑いを引き出
 す様子が目に浮ぶ。
〇「人気の漫才コンビ、全席をしっかり笑わせますね」:笑わせ:律他互律、已然、
 漫才コンビが客を笑わそうと反応や手応えを斟酌しながら、ネタを盛り上げる
 様子が目に浮ぶ。

→国語学では動詞活用の全体像(自他交替、態派生、動作相、切れ続き、構文法)
 を個々の活用として、ばらばらに「かな文字の字面に従った解釈」をしてきたの
 だろう。 だが、実際の日本語は全体像を一貫して、「共通の接辞は共通の深層
 意味を持つ」という透徹した機能接辞、助動詞を駆使して発展して来れたのだ
 と思う。

« 2018年8月 | トップページ | 2018年10月 »

最近のトラックバック

無料ブログはココログ