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態文法:新しい動詞活用表の練習要領

2018/10/13(土)

 前回の[挿入音素]の6種類を見て、どのように思われますか。
「小難しいことを言ってるわりに、意外に少ないんだな」と感じられたのでは?
(このうち、当態文法が独自に追加提案する挿入音素が[・/k]です)

 さて、学校文法で習う『動詞活用形』の並びを基本枠組にして練習をはじめます
が、ローマ字つづりを交えた[挿入音素]一般形式の体系で表記します。
動詞語幹:Dで一般化すると、五段活用、一段活用を両方同時に把握できます。
次項は最新提案の動詞活用形であり、すべてを然相:(未然、已然だけでなく)で
考察したものです。

     7.提案:最新の動詞活用形([挿入音素]採用)
・未然:打消、打消意向勧奨:D[a/・](na[・/k0]i、z[]u、mai)
      →書かない、食べない、 (ない:イ音便で[k]無音)
      →書かず、食べず、書かまい、食べまい、
 将然:意向勧奨:D[・/y]ou→書こう、食べよう、
・正然:連用:D[i/・](Ø、te、)→書き、食べ、書いて、食べて(イ音便でk無音)
・事然:終止・連体:D[・/r]u→書く、食べる、(現代口語では、終止連体同形態)
  奈良平安時代の二段活用:終止:D[・]u、連体:D[・]u[r]u←終止[r]u、
  (二段活用動詞の終止形:落つ、投ぐは、直接已然へつなげない→おてば、なげ
  ば、ではダメ。 落つ・る、投ぐ・るとなれば立派に事象然で、已然につながる)
・已然:連用・仮定:D[・/r]e(Ø、[i/・]te、[+]ba、)→書け、書けて、書けば、
     食べれ、食べれて、食べれば、([+]:助詞・ばと複合化でつながる)
・已然:命令:D[・/r]e【yo】→書け【よ】、 (【 】内は発音なし)
     命令:D[・/r]【ey】o→食べ【れよ】ろ、(二段活用の命令は連用:食べよ)
〇江戸期から『動詞活用形』を、未然、已然などの然相(動作相:アスペクト)で捉
 えていますが、部分的で一貫しないものでしたが、それを修正しました。

★当態文法では動詞活用形の全体を然相:動作相で捉えるべきだと上記のように
 提案します。
・「文章の切れ続き」の動詞形態に注目するのではなく、動作状態の未然、進行、事
 象、完遂、を陳述・描写する派生形態を区分するものと規定します。
・国語文法では、『動詞活用形』と『助動詞活用形』を基に動詞活用を説明するが、
 自他交替の造語や態派生の仕組との関連性などを詳細には説明しない。
・当態文法では、活用形の全体を然相の集合体と規定し利点を得ます。

     8.提案の動詞活用形表の然相(動作進捗状況相:アスペクト)とは
      動詞が意味する動作状態を実行するとき、その進行度、実行程度を
      初めから完遂までを言い表す活用形態を定義したもの。
     〇活用形表の前半と後半では然相の意味合いに違いがあります。
     ・前半:未然:いまだ然らず、・将然:これより然る、・正然:今まさに然る。
     ・後半:事然:事象・出来事が/を然る、 ・已然:事象完遂をすでに然る。
      (前半は動作そのものを然る・する、後半は動作事象、出来事を然る)
     ★自他交替の派生は、前半:動作を然る範疇で意味を探る。
      ただし、古語の動詞は子音語幹が多く、母音語頭の接辞に対して[挿入
      音素]の必要も少なかったろう。
     ★態派生は後半:生じた事象に如何に態応するかの表現が「態派生」だか
      ら、事然形態に連結するのが原則である。
     〇つまり、事然:D[・/r]、またはD[・/s]、に態の接辞を連結する。
      国語学の論理:「態接辞は『未然形』につなぐ」は全く筋が通らない。

     9.正然・連用形と已然・連用形の存在復活を目指す
      提案の動詞活用形表で重要な点が、已然の功績復活です。
     ・正然・連用形、事然・連体形、已然・連用形は、3つの連続構文生成形
      態と位置づける。(通常、已然連用形を全く指摘しないことが多い)
     〇正然/已然・連用形は常に並行して派生できるはずです。
      正然連用:D[i/・]te / 已然連用:D[・/r]e[]te、
      書いて/書けて、食べて/食べれて、読んで/読めて、渡して/渡せて
      (自他交替も):開いて/開けて、立って/立てて、割って/割れて、
      砕いて/砕けて、など、動作着手:正然/完遂:已然の対向性で区分。
     〇古語時代には、已然・連用形が大活躍してしまい?二段活用の時代を
      長引かせてしまったのかもしれない。
     ・二段活用の事然・連体形は事然・終止形に[r]uを追加して事象確実化
      した。(この知恵は苦し紛れとして、法則にならなかった?)
     ・もしも、已然・連用:D[・/r]eに直接[r]uを追加して事象化する知恵
      が当時に働いてたら、可能態動詞:D[・/r]e[r]uが平安時代に現れ
      てただろう。(ら抜き言葉は平安時代に勝名のりを受けれた?はず)
     ★現在でも、任して/任せて、果して/果せて、輝かして/輝かせて、
      なびかして/なびかせて、と、正然/已然の連用形態は併存している
      のです。
     ・正然:動作の取っかかり、已然:動作の完遂(成就を目指す、仮定する)
      の動作相を表現する機能だから、併存するのが当り前なのです。
     (已然連用が可能態・使役態の意味を感じさせるのは、どちらも態接辞
      として已然接辞:eを含む派生法だからです)
     ★動詞活用形表の概念は、全体で動作相:アスペクトを表現する構成な
      のだと解釈するほうが言語実態に合致する利点がある。
     ・然相視点で見れば、命令形を已然に含めるのも実態に合致する。
      二段活用では正然連用で「食べよ、見よ」の動作取りかかりを命じた。
      一段活用では已然命令で「食べろ、見ろ」と動作完遂を命じる形態で
      あり、四段活用の命令形と然相が一致したことになる。
 (正然と已然の深層の意味については後述する)

態文法:態文法を再生する練習要領:はじめ

2018/10/06(土)

 態文法を再生するための練習要領、用語の新定義を順に書き起します。
広く練習体験につながることを願っています。(再生の要領集、定義集録)

 1.「態文法を再生する」とは
  日本語動詞の活用形態をローマ字つづりで書き出して、態接尾辞
  などを正確に切り出すことにより、接辞の文法機能を解き明かし
  て、現状の国語学、学校文法の説明不足を補完すること。

 2.動詞の活用とは:その1
  動詞:用言などは、自立語であり活用する語と定義されてるが、
  動詞語幹そのものは変化しないので、これに助動詞:接尾辞(以下、
  接辞と呼ぶ)が連結して接辞固有の意味を追加するのが動詞活用
  である。(本来は動詞派生と呼ぶのがふさわしい)
 〇動詞語幹に1つ以上の接辞が連結して派生形態を生み出す。

 3.動詞の派生形態とは
 〇動詞派生形態=動詞語幹[挿入音素]接辞語幹[挿入音素]接辞語幹
  ・・という繰り返しの派生が多い。
 〇接辞自体も活用:二次派生するので、接辞語幹に[挿入音素]を配
  置して次の接辞と連結する。
 例:読まれてる→yom[]ar[]e[]te[r]u (動詞語幹[]接辞語幹[]接
  辞語幹・・、[挿入音素]:[]無音、[r]単子音、詳細は後述する)
 〇上例を見て分かるように、語幹を正確に切り出し、接辞の語幹を
  正確に把握するには、一度はローマ字つづりで書き出しする練習
  が必要となる。(詳細は後述)

 国語学、学校文法で上例を分析すると、
例:読まれてる→読ま・れ・て(・い)る:と区切ってしまうので、動詞語幹も接辞
 もずたずたにこま切れにされてしまう。(かな分析の宿命とも言える)
・動詞語幹は「よ:yo」で切られる。語幹末尾音と接辞語頭音の結合で「ま:m‐a」
 となり、これを『活用語尾』と呼ぶ。 通常、『動詞語幹相当と活用語尾を連結』
 した形態を『活用形』と称する。 (よま→「読ま」で『未然形』と呼称する)
・読ま・れ、の切り残りの「れ」が受動態の接辞だと言い張るのが学校文法です。
・『活用形』に「切れ残り接辞」をつなぐ、という巧みな方便的手法で活用形態の
 説明を乗り切ります。 方便は真実を現わさない。
 (学校文法の『活用形』には、『 』で囲んで注意喚起の表記にします)

 4.挿入音素とは:その1
  動詞語幹と接辞語幹の密な音素連結でも滑らかに発声できるように
 〇動詞語幹が子音末なら、母音語頭の接辞と[挿入音素:無音]で連結、
  子音語頭の接辞とは[挿入音素:単母音]を介在させて連結する。
 〇動詞語幹が母音末なら、母音語頭の接辞と[挿入音素:単子音]を介
  在させて連結、子音語頭の接辞とは[挿入音素:無音]で連結する。
 ★以上の2つが密な音素結合の全条件を表現してるので、一般形式に
  仕立上げることができます。
 〇[挿入音素:一般形式]表記として、[無音/挿入子音]、[挿入母音/
  無音]を使い分ける。

 5.動詞派生を一般形式で表記する:その1
 〇動詞語幹を一般形式化して、D記号で示す。 (慣れるまでは、
  DにはDs(子音末)とDb(母音末)が含まれるから、Ds/bと想定し
  てもよい)
 〇[挿入音素一般形式]:[無音/挿入子音]、[挿入母音/無音]を
  使い分ける。(後続の接辞語頭音素が母音か/子音かで決る)
 例:読まれてる→yom[]ar[]e[]te[r]u を[挿入音素:一般形式]で
  表記すると、yom[・/r]ar[・/r]e[i/・]te[・/r]u となる。
 ・Ds/b→D[・/r]ar[・/r]e[i/・]te[・/r]u から、動詞:食べるは
  食べられてる→tabe[r]ar[]e[]te[r]u の派生形態で表される。
 〇動詞語幹や接辞の語頭・語末の違いが[挿入音素の有音・無音]で調整
  されている。([挿入音素]の母音、子音の種類については後述する)
 〇読む、食べるの語幹をD表記すると、最初に連結する機能接辞との
  [挿入音素]形式を何にするか、その選択を求められる。
 ・能動系の態派生では、D[・/r]ar[]e[]te、:読まれて、食べられて、
 ・強制系の態派生では、D[・/s]as[]e[]te、:読ませて、食べさせて、
  の挿入音素:[・/r]、[・/s]、を選ぶ。
 ([挿入音素]の母音、子音の種類については後述する)

 日本語は膠着語であるが、語幹と語幹が密結合する際に、子音・子音の連続や
母音の連続する発声方法を避ける傾向も顕著にあり、回避の仕方は結合の間に
[挿入音素]を挟み込む言語体系なのです。
もし、子音連続をいとわない言語だったら、ローマ字つづり方式の言語形式にな
っていただろう。でも、[挿入音素]のお蔭で「かな方式言語」で発展し続けて来ら
れたわけだから、少なくとも文法研究の場では動詞派生を[挿入音素]・ローマ字
つづりで解釈するという「道具の使い方」をするべきなのだと思う。

 6.挿入音素の一般形式は何種類?
  詳細な解説は後回しにして、[挿入音素]の形態だけを示します。
  〇[a/・]、[i/・]、[・/r]、[・/s]、[・/y]、[・/k]、の6種類です。
  これですべてです。

(つづく:再生の要領集、定義集録)

態文法:哲学でする動詞活用7

2018/09/23(日)

 前回、動作の「律仕方」区分に新たに「受律」を定義し追加した。
「受律動作」とは、「イチゴが売っている」のように、対物他動詞の動作を受ける状
態の対象物を文の主格にして描写することを言う。
(「農家の門前でイチゴを売っている」では、自律動作の対象物にイチゴが配役さ
れてる)
→当態文法は、文法再生を目指して独特な視点で態動詞派生を考察しているだけ
 でなく、正確に態動詞を活用するための法則を提起したいと考えている。
・独特な法則の一つが、「動作の律仕方」法則である。
<★当態文法の「動作律仕方」定義を再掲すると、(前回の「受律」を追加した)
・能動系→自律(自他共に:対物、対人に関わる)→自らの動作意図で律する。
・強制系→律他(対人他動詞になる)→対他に指示し対他の自律動作を律する。
・使役系→律他互律(対人他動詞)→律他し、完遂に必要なら手助けする。
・可能態→互律(人・物・事の相互律)→完遂に向け相互尽力する。
 「已然」連用形も互律が適用可能。
・結果態→果律(結果事象が生ずる)→動作結果、結果物が律する。
・受動態→果互律(結果事象が関与する人・物を律する)→動作主:実績、動作習慣
 、客体:受け身、対象物:受け身、自発、習慣、第三者発話:敬語。
が基本定義である。
・使役受動態には律他互律果互律=使役果互律として複合の律形態で解釈する。
★なお、語形態として態構造を作らないが、対物他動詞の正然・連用形による動
 作完了相、進行相の表現は、確かに「簡略的な受動(受け動作)」を想起させる。
・対象物をして構文の主格に配置させて、「イチゴが売っている」、「字が書いてあ
 る」、「付箋が貼ってある」、「看板が立ててある」などの律仕方を「受律動作」と
 定義する。(対物他動詞の対物主格が「受ける連用形完了相に限定した動作」)
(一方、受動態は果互律動作→動作結果が対物に如何に関与・影響するかを述べ
る視点で描写する)
・もしも「イチゴが売れて、」「字が書けて、」「付箋が貼れた」「看板が立てれて、」
 の已然・連用形ならば「互律動作」であり、動作主と対象物の相互関係が濃密に
 顕在する描写心理が働くはずで、動作完遂の顛末を想起し描写を期待する。
★次に、今回は「無律」動作について追記する。(強制態を対人他動詞へ転換)
・「無律」については、すでに当ブログで古語「ク語法」の考察記事などにより20回
 以上の回数で取り上げている。
・「だます」、「だまかす」、「だまくらかす」:「だまくらかす」も3回記事にしており
 、少しづつ考察が深まってる。>

10.「無律動作」とは
 古語辞典では「ク語法」を動作概念の名詞化・抽象化の機能で説明する。
「無律」、「無律動作」に使われるとは明確に説明してない。
・語例:曰く:iw[]ak[]u→言うところ、言わんとすること、
 望まく:nozom[]ak[」u→望むこと、望むらく:nozom[]u[r]ak[]u(誤用?)
 すべからく:subekar[]ak[]u→するべきであること、
など、多くは動作名詞化の意味合いが強い使用法であったが、
・遊ばかす:asob[]ak[]as[]u→「若君を遊ばかし奉り、」のように、意図的に
 「遊ばす:律他動作(若君に指示・命令し、若君の自律で遊ばす)」を使わずに、
 「遊ばかす:対人他動詞・自律動作(若君が何でも遊べるように直接に配慮いた
 しました)」と表現した例が記載されている。
(強制態や使役態が内包する律他性:指示命令と服従自律の二重構造、を回避し
 て、単純な対人他動詞化にしたい、という細やかな配慮意図が古語の時代から
 存在していたのだ)
 
→★当態文法では、ク語法の接辞:ak、を動作概念の名詞化、抽象化する機能と
 見なすが、同時に動作律仕方も「無律化」するものだと見なす。
(この接辞を単に、~すること、~するところ、の意味付けで終らしてはもったいな
い)
・近世には、拡大抽象化や無律化への応用が広がり新造語が増えてきた。
例:散る→散らかる、散らかす、 たぶる→たぶらかす、 ずる→ずらかる、
  やる→やらかす、 あまゆ→あまやかす、 おびゆ→おびやかす、
  (やる:動作目的を理解し合ってる、やらかす:動作内容が勝手なこと、
   甘えさす、怯えさす:程度を相手自律に放任?、甘やかす、脅かす:程度を主体
   側の自律で決める)
  だます→だまかす→だまくらかす、(この派生の列を次項で解説する)

→〇「だまくらかす」を解き明かす。
・だます:damas[]u:四段他・あざむく(damar[]u黙ると同根:真実を黙す)
 世間の解釈として、dam[]as[]u:四段他・真実を隠して対他の自律・誤解釈
 を誘う動作と判じられた。 特にだまされた人は、自律誤解釈が原因で被害を
 受けたと思いたくないから、誤解釈を無律(動作主の自律へ戻す)化しようと、
・だまかす:dam[]ak[]as[]u:四段他・虚偽を並べて惑わす。(自律・対他)
 だまかされたのなら、自分の誤判断ではなかった、うそつきが悪者だ。
・だまくらかす:dam[]ak[]u[r]ak[]as[]u:四段他・虚偽を五万と並べ立てて
 対他の判断を惑わせる。(だまく?る:嘘で塗り固める、だまくらく:うそ八百で
 周囲が見えない状況) 少々大げさな詐欺的主体の自律・対人他動詞。

→★「おれおれ詐欺」の撃退に役立てるには
〇だます、だまかす、だまくらかす、のどれを取っても、「うそ、虚偽、」が八百、五
 万と並べ立てられるはずだから、「虚偽の包囲網」に囲まれないように、何度も
 何度も最初の「うそ、虚偽」に戻って「状況を質問し直す、くり返し問いただす」
 ようにして、あやふやな妥協の納得や、先に進むことをしない、これが大事。

態文法:哲学でする動詞活用6

2018/09/09(日)

9.正然・已然の連用形に絶妙な力
 当態文法では、自動詞と他動詞の活用形に区別を与えず、動作意図を示す「律仕
方」の解釈でも、能動系なら「自律」、強制・使役系なら「律他・律他互律」と定義し
て、自他区別をしない法則である。
しかし、「正然」連用形には隠れた選択力が働いてるので、法則を追加すべきかも
しれない。

→今回の考察で、自他交替と正然・已然の連用形との絶妙な関係を調べる。
〇ネット検索すると国語学の研究分野で議論されている問題のなかには、
(1)「直売所でイチゴが売っている」→正然連用形 (イチゴが売る)は不成立。
(2)「ケーキが六等分に切れた」→已然連用形(ケーキが切ってある)正然連用形。
のように、他動詞でありながら連用形になると擬似的な自動詞用法が現代の会話
文で成立するという。

★当態文法の「動作律仕方」定義を再掲すると、
・能動系→自律(自他共に:対物、対人に関わる)→自らの動作意図で律する。
・強制系→律他(対人他動詞になる)→対他に指示し対他の自律動作を律する。
・使役系→律他互律(対人他動詞)→律他し、完遂に必要なら手助けする。
・可能態→互律(人・物・事の相互律)→完遂に向け相互尽力する。
 「已然」連用形も互律が適用可能。
・結果態→果律(結果事象が生ずる)→動作結果、結果物が律する。
・受動態→果互律(結果事象が関与する人・物を律する)→動作主:実績、動作習慣
 、客体:受け身、対象物:受け身、自発、習慣、第三者発話:敬語。
が基本定義である。
・使役受動態には律他互律果互律=使役果互律として複合の律形態で解釈する。

→「正然」連用形に対しての律仕方は未定義であり、考察をして新提案しよう。
〇動詞派生を一般形式で表記する。
・正然連用形の一般形式:D[i/・]te、このうち、対物他動詞の連用形を考察。
 売って、切って、書いて、読んで、立てて、見て、食べて、壊して、盗んで、叩いて
 、返して、などが対物他動詞の正然連用形に該当する。
・通常、他動詞の対象物を主格に立てる構文では、受動態表現にするはずで、
 受動態連用形の一般形式:D[・/r]ar[]e[i/・]te、で示すと、
 売られて、切られて、書かれて、、、壊されて、盗まれて、叩かれて、返されて、
 などとなる。(受動態:are→果:ar、互律:e)
・上記の受動態連用形から結果接辞:arを外すと、可能態連用形・已然連用形にな
 る。已然連用形の一般形式:D[・/r]e[i/・]te、の形態で、
 売れて、切れて、書けて、読めて、立てれて、見れて、、盗めて、叩けて、返せて、
 などとなる。(可能態・已然:e→互律、完遂尽力)
★已然連用形は動作完遂の経過での主体・対象物の行動を肯定的に考慮する動作
 を表現する。(売れて、切れて、書けて、盗めて、叩けて:人も物も肯定協力的)
・受動態連用形は動作事象の結果に反応・態応する心情、感情を表出する準備表
 現である。(売られて、切られて、書かれて、盗まれて、叩かれて:動作結果が支
 配的である) 普通、結果に由来する喜怒哀楽の描写が後続することが多いが、
 「イチゴが売られ、」「ケーキが切られ、」「物 書かれ、」が単独で語られると、対
 象物に対する日常、必然の習慣行為だと述べているように感じられる。
〇さて、正然連用形は一般形式:D[i/・]te、であり、完了接辞:te(下一段)が付加
 され、売ってる、書いてある、見てる、食べてる、盗んである、叩いてある、置い
 てある、貼ってある、並べてある、干してある、などの形態となる。
・この形態により対象物への動作が完了した状態を表現することになるから、
 已然接辞や受動接辞が付かない「直接の連用形:特段の感情移入がない動作」を
 受けたことになる。
・特段の感情移入がないので、正然連用形:「イチゴが売っている」「字が書いてあ
 る」「朝飯はちゃんと食べてる」「ケーキが六等分に切ってある」「看板が立てて
 ある」などが文法的に違和感が少ない動作完了相と見なされる。
・この正然連用形の律仕方を「受律動作」と新定義したい。
★受律動作:対物他動詞の対象物を主格とする構文での正然連用形の動作意図:
 律仕方を「受律」と名付け、動作を受けた完了状態、進行状態を保持することを
 表現する。 (動作の経緯や結果に対する利害関係を内包しない)
・感情移入がある「財布が盗んで、」「扉が壊して、」などは意味不明となる。
 それには、受動態・受け身表現:つまり→「財布が盗まれて、」「扉が壊されて、」
 という、結果が人・物を律する:果互律動作として表現するのが最適である。
(受律動作は、動作主との関係性が互律よりも希薄で、動作を受けたことだけを
意味する。 つまり、動作主を伏せたまま対象物が動作を受け取ること)

→「受律」は適用範囲が限定的であることを納得しておきたい。
 (対物他動詞の対象物が主格文となり、D[i/・]te[r]u、D[i/・]te[+]i[r]u、
 D[i/・]te[+]ar[]u、などの動作完了相、進行相を表現する場合に限定)
・日本語話者の感覚は、わざわざ動作主を言わなくても、動作主との関係性の強
 弱を動詞の律仕方:「受律」「互律」「果律」「果互律」(「律他」「律他互律」)の使い分
 けで表現してることになる。

態文法:哲学でする動詞活用5

2018/09/02(日)

 現代動詞活用法のなかで用法が揺れている?もう一つの問題を考察しよう。

8.(正然)連用形と(已然)連用形を使い分ける
 国語学者のなかで動詞活用の揺れ問題と捉える方々がある。
〇他動詞を使うか、使役動詞を使うかの用法が揺らいでいる、ということ。
実例:任す:他動詞、任せる:使役動詞、の使い分けについて
 ①その件は彼に任してある。(←清雅な表現ではない:国語学の評価)
 ②その件は彼に任せてある。(←こちらが清雅な表現:国語学の評価)
→当態文法の視点からは、何らの問題でもなく、①任す②任せるの両者の意味の
 違いが表現された文章だと捉える。 清雅であるかないか、ではなく、意味の違
 いをしっかりと講釈してほしい。
 (理由なく「任して」を避けて、「任せて」を優遇するのは筋が通らない)
〇この実例の動詞については、ひとつだけ補足しておく。
・古語:任く:mak[]u→任す:mak[]as[]u→任せる:mak[]as[]e[r]u、とい
 う単語派生の流れが想定できる。
・任す:対人他動詞→強制態動詞とも解釈でき、律仕方は律他動作を表す。
・任せる:使役他動詞→強制+e[r]u(已然接辞、可能態接辞)で、律他互律動作と
 解釈する。
 →すでにこの実例については、態文法:日本語を研究するための道具4のなかに、
 (部分:松下電器創業者・松下幸之助の名言「任せて任さず」)で詳細に説明して
 あるので、省略する。 用法に揺れはない。

 この問題を一般形式で表記すると、
〇強制:D[・/s]as[]uと、使役:D[・/s]as[]e[r]u、の選択問題である。
 特に強制動詞の場合には、e[r]uが付加されて使役動詞に変わっても、意味の
 大部分は能動的な対人他動詞性(律他:他を律する)が残ってる。
〇さらに一般化して、自律・能動動詞:D[・/r]uと、D[・/r]e[r]u、の場合
例:戻る:modor[]u、を検討すると、
・「無事に戻って来れてうれしい」
 →「戻って」:戻るの連用形、「来れて」:可能動詞の連用形とみるのが普通か。
 (来るの已然仮定形は「くれば」で、可能の連用形「これて」と形態が違う)が、
 または、「来れて」:来るの已然形と見るか。
・「無事に戻れてうれしい」
 →「戻れて」:可能動詞の連用形と分析するのが普通か。
 または、戻るの已然・連用形とも考え得る。
→★この例を哲学活用の立場から解釈すると、
・可能動詞、可能態の由来が、動詞活用の已然形:D[・/r]e、にあると見てるので
 、「戻れ・ば:已然・仮定形」「戻れ・て:已然・連用形」、「戻れ・!:已然・命令形」のよ
 うに解釈することが全く自然に思える。
・つまり、「戻る」の活用形のなかに、戻って(正然:まさに然る)、戻れて(已然:
 すでに然る)、の二つの連用形が同列に並んでるように感じられる。
・また、戻るの已然形:戻れ、と、可能動詞:戻れるの連用形:戻れ、は同形、同義で
 あると解釈できる。 だからというか、だけれどと言うべきか、「戻れて」を「戻
 ることができて」と可能流儀で毎回感じる必要はないだろう。
 「戻れて」に対して、「戻るを完遂するため懸命に尽力をして」と已然形で感得す
 る人々が存在することも当然である。
〇「戻って」は自律動作であり、「戻れて」は自律・互律動作である。
 互律動作とは、動作主体が動作を完遂するにあたり対人、対物、対自然、対環境
 の助力や順法適合などの条件を得て成就することを言う。
・「戻れて」には努力の末の成就だという万感の思いが内包される。
 「戻って来れて」も「来れて」があるので、同じく万感の思いを感じるが、
 「戻って来てうれしい」だけでは成就の万感の思いが伝わらない。

→★整理:連用形には、2種類あり、動作相:アスペクトの視点から区別すると、
 ①正然:せいぜん=まさに然る、(通常の連用形)→正然連用形、
 ②已然:いぜん=すでに然る、(通常の已然形)→已然連用形、
 と命名しておこう。(新定義)
〇未然、正然、已然という名称は、動詞活用のアスペクト側面を明確に表現する
 もので、連用形・仮定形は文章構造に関連した用法名称である。
(試しに、動詞活用形の全体を動作相:アスペクトで区分する方式を考察して
みたい。
<実験例はじめ:動詞語幹Dと[挿入音素]で一般形式の表記で示す。
・未然:D[a/・]nai打消形、将然:D[・/y]oo意向、勧奨形、
・正然:D[i/・]Ø中止形、te連用形、
・事然:D[・/r]u終止、u連体形、
 →事然:じぜん=事象が/を然る(事象が出来する)
・已然:D[・/r]e[]te連用、e[]ba仮定、e!【yo略】命令形/【ey略】o!命令形、
〇事然:D[・/r]、D[・/s]からは態各種の態動詞へ派生する。
実験例おわり>)

 最後にもう一つ、正然・已然の連用形を示す。
例:正然連用形と已然連用形の使い分け(動詞活用の揺らぎではない)
〇「さすが、名人の落語は全席をしっかり笑わしますね」:笑わし:律他、正然、
 名人の語り口が律他か自律か判らぬくらい自然に、おのずと客の笑いを引き出
 す様子が目に浮ぶ。
〇「人気の漫才コンビ、全席をしっかり笑わせますね」:笑わせ:律他互律、已然、
 漫才コンビが客を笑わそうと反応や手応えを斟酌しながら、ネタを盛り上げる
 様子が目に浮ぶ。

→国語学では動詞活用の全体像(自他交替、態派生、動作相、切れ続き、構文法)
 を個々の活用として、ばらばらに「かな文字の字面に従った解釈」をしてきたの
 だろう。 だが、実際の日本語は全体像を一貫して、「共通の接辞は共通の深層
 意味を持つ」という透徹した機能接辞、助動詞を駆使して発展して来れたのだ
 と思う。

態文法:哲学でする動詞活用4

2018/08/18(土)

7.国語学文法が可能動詞、可能態を正しく説明できない理由
 参考表(追加分)を見ていただきたい。

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古語時代から現代へ動詞活用形が移行したとき(鎌倉・室町~江戸期)、
②、③上下二段活用は④⑤上下一段活用へ収れんし、変化なしの四段活用と併せ
て一般形式で表すと、①四段・一段活用の一行ですべての規則動詞の活用を表現
できるようになった。(国語学文法の表現には「ローマ字の一般形式」はないが)

→★動詞活用の転換期に、日本中でいろいろな試行錯誤があったであろうが、
・その錯誤の悪影響が今も続くものに、次の2つがある。
〇已然形の概念を変質?:→已然は「すでに然る」、「動作着手、完遂」の意味。
 仮定形と名前を代えて、「已然は文語の飾り物に置去り」にしたかのよう。
〇安定・不変の四段活用を一時、二段化へ逆行?:→読むる、知るるで可能・自発?
・已然形概念の薄れが始まったのも悪影響したのか、転換期の試行錯誤で、四段
 動詞の「読む」を→「読むる:yom[]u・[r]u」として、「字が読むれぬ」などの(打
 消)自発・可能性表現とする試行例が出始めた。 錯誤で「終止形+[r]u」という
 二段化へ逆行するような→D[・]u[r]u:読むる、知るる、の形態で、対象物の可
 能状態を表す表現例が江戸期の文献に残っているらしい。
→当時は、二段活用動詞の「終止形+[r]u」をやめて、「連用形+[r]u」に取り替え
 て一段活用動詞に大転換していく最中であった。(例:受け/受くる→受ける)
・四段活用動詞は、語幹自体が挿入音素なしのD[・]形態で事象化できるので、
 歴史的必然の「已然形+[r]u」→D[・]e[r]uへ向かえるはずだが、まだ試行が成
 熟してなかったか? 江戸後期・明治期まで待たなければならなかった。
(後遺症は現在も続いてるから深刻だ。 「古き錯誤の実例」が四段動詞で起きた
から、錯誤修正の可能動詞を四段動詞だけに認め、一段動詞の可能動詞を認めな
いという風潮が続く)
〇これが、国語文法が可能動詞を四段活用動詞にしか認めない根拠だろうと推測
 する。

→★一方、当態文法の可能動詞の定義は簡明で独特なものだ。
〇追加表の①四段・一段活用を見て判るように、四段・一段は一般形式として共
 通の一行で表記できる。つまり、[挿入音素]に違いがあっても後続する機能接
 辞は同一である。
・活用前段の「未然・連用」では[挿入音素]の母音が動作識別に有効であり、一段
 動詞は語幹末の母音が効力を利かすから、[挿入音素]は無音でよい。
 活用後段の「終止・連体・已然・命令」では[挿入音素]の[r]接辞が事象識別に有
 効であり、四段動詞は子音語幹のままで事象表現に効力を利かす。
・だから、四段動詞は語幹そのもので動詞の事象化に態応できる。つまり、態動詞
 化への対応が語幹でできる。
実例:D[・/r]、D[・/s]で態派生に対応する。(当態文法の一般形式)
 D[・/r]ar[]e[r]u:読まれる、使われる、渡される/覚えられる、来られる、
  着られる。
 D[・/s]as[]e[r]u:読ませる、使わせる、渡させる/覚えさせる、来させる、
  着させる。
 D[・/r]e[r]u:読める、使える、渡せる/覚えれる、来れる、着れる。
(D[・/s]e[r]u:読める、使える、渡せる、〇着せる/×覚えせる、×来せる、
 古語に「見す」、「着す」が存在し→「見せる」、「着せる」が現在も使える)
→★国語文法は態派生に対して弱点がある。(かな分析はkana分析ができない)
 未然形:D[a/・]に「れる/られる:異形態接辞」、「せる/させる:異形態接辞」
 の助動詞を連結する、という「かな分析」の不都合さが現れる。
・さらに不都合の例:「さ入れ言葉」の錯誤:(未然形は打消接辞と連結するだけ)
 未然形:D[a/・]は、子音語頭の打消接辞と組み合せての形態であり、母音語頭
 の態接辞と連結するときは、D[・/r]、またはD[・/s]の形態だから、未然形と
 無関係だ。(この法則を国語学文法の「かな分析」では全く気づいていない)
→「さ入れ」:読まさせていただく→yom[]as[]as[]e[i/・]te+いただく、
 音素分析する態文法では、asが二連結した二段階の強制・使役と解釈するから
 単なる代読なら「読ませて」でよい。「読まさせて」は孫受け、二段階指示の代読
 の受託表現となる、と素早く解き明かせる。
→×ところが、国語文法に従い未然形:D[a/・]を万能だと信じ込んでいると、
 「読ま・させて」いただく→yom[a]+s[]as[]e[i/・]te+いただく、と解釈して
 錯誤を峻別し排除できない。 実際に著名な文法学者や教育者は峻別・否定より
 も、「一段とへりくだった言い方と感じる」と言う。(市販本の対談・講演などで
 の記述。 二段階使役とも、錯誤とも感じないで、「一段とへりくだった」表現と
 無頓着な解釈をする?)
→態動詞の機能概念は、動作に関与する登場人・物の「数」と「態応の仕方:動作の
 律仕方」を描写すること、だから、二段階使役の動作構造を感知できない国語文
 法は致命的な不都合を抱えている。
→★正しくは、態文法の上記実例のような「事象形」とでも言うべき、
 事象形:D[・/r]に「are」、「e」、の助動詞(受動、可能態接辞)を連結する、
 事象形:D[・/s]に「ase」、「e」、の助動詞(使役、可能態接辞)を連結する、
 という活用哲学が有効である。
(当態文法は、態の接辞に、ar/as/eを根源にして、その已然形として、are
 /ase、があるのだと提唱する)

〇蛇足ながら付記する。
 可能態接辞:e[r]u、は已然接辞:e、に由来してると推測する。
 已然形:→已然は「すでに然る」、つまり「動作着手、完遂へ尽力」の意味があるか
 ら、事象の完遂が成し遂げれる→動作可能の意味につながる、と推測する。
 当然ながら、四段動詞、一段動詞の別なく動作完遂は有るのだから、同じ機能接
 辞で描写するのが基本だろう。
(可能態接辞:e[r]uはいろいろな原動詞に組み込まれている:読める、見せる、
渡せる、割れる、立てる、泳げる、知れる。動作を完遂するために、(対人)他動詞
なら相手と協力し相互尽力して完遂する意味を含み、(対物他動詞、)自動詞なら
自然条件、対人条件、物理条件にうまく適って完遂する意味を含んでる)


態文法:哲学でする動詞活用3

2018/08/04(土)

 参考表:表:動詞活用形の概念哲学

5.国語学文法に活用哲学なし?
 前回の後段4節に記した項目を詳説する。
→★「活用の流れ」が2本あり。国語文法では指摘なし。しかし、継承すべきこと。
→活用哲学を国語文法は忘れ去ってるのか、気づいてないのか、古語時代の哲学
 論理を指摘しない。 使いにくい二段動詞を無理やりにでも活用するため、
 ①その動詞自体の活用形、②傍流への活用形(自他動詞への派生、態の派生)の
 2本の活用形式を試すことが古語時代には日常的に起きていただろう。

〇国語学文法が活用哲学を指摘・重用しない実例を示す。
 (「可能動詞」に対する説明を『国語学大辞典』国語学会編から抜粋する)
<可能動詞とは、  → (注釈を付加)実例を示すと、
・五段動詞を     → 書く、立つ、(なぜ五段動詞に限定するのか?)
・下一段に転じて  →e音付加:(kak[]e[r]u、tat[]e[r]u)書ける、立てる、
・可能の意味を    →(理由説明なし)
 表すようになった。
・五段以外に    → 見る、食べる、(五段以外の動詞も同等に)
・「れる」を付けて →e音付加:(見[r]e[r]u、食べ[r]e[r]u)見れる、食べれる、
・簡便な可能動詞表現するのは   →(↑正規な生成手順のはずだが?)
・正規のものと認められていない。  →(理由説明なし)
と説明がある>
〇学校文法や文法学者は『国語学大辞典』の見解に不思議を感じないらしい。

6.態文法の活用哲学:可能動詞を実例に
→★当家態文法は、動詞活用の概念哲学を継承したいから、考える舞台を一般形
 式にする。つまり、対象の動詞が五段活用、上下一段活用、カ行変格、サ行変格
 であっても通用する哲学論理を用いる。
→:可能動詞とは、  → (注釈を付加)実例を示すと、
・すべての動詞活用形の事象形態を準備 →立つ、食べる、来る、する、の(内包:
 接辞添加型式→変格の来る語幹:ko、する語幹:s)
・[挿入音素]付加して →tat[]、tabe[r]、ko[r]、s[]、(外延へ備える:哲学的)
・「e音付加」し(已然形へ) →立て、食べれ、来れ、せ:互律感強い、(動作完遂相)
・これを独立事象化させる →立てる、食べれる、来れる、せる。(態派生の論理)
(立て・立て・立てる・立てる・立てれ・立てろ)→立てる:自→他動詞に交替、また
 自動詞で可能の意味にも)→②傍流活用=動作の外延(自他交替)、事象の外延
 (態派生)の両方の哲学論理の機能が働くからである。
〇この活用哲学を簡単に言えば、どんな動詞も已然形に「る」を付加すれば、新し
 い独立動詞になる。 已然形に「る」を添加するという発想法が哲学論理に合致
 する。(正確に哲学論理を説明すると上記のような手順を踏んでいる)
★已然形を独立させるのであり、決して仮定形の独立ではない。
 (仮定形は動作が完遂するのを条件描写する段階を越えて、念押し的にその先
 の状態を仮定することも可能だが、それを事象化すると、完遂の完遂を事象化
 するという不可思議な世界になる。書ける:OK、書けれる:ダメ)
(可能動詞は動作動詞で、いれる、たべる→入れれる、食べれる:OK、見える→
見えれる:ダメ:二重可能、などダメ条件が存在するが、一律禁止は不適当)
・古語時代、基本形に「る」を添加して、「おつる」、「来る」、「する」の連体形を生成
 したのと同様、また、連用形に「る」を添加して、「落ちる」、「投げる」、「起きる」
 の一段動詞終止形を生成したのと同様の新語派生の論理に適うものだ。
〇なぜ、可能動詞と定義できるのか?
 已然形の意味に深く根差してると判れば、素直に納得できる。
・已然形→もう既に成し遂げる、完遂するように動作してる、という根源的な意
 味である。(古語時代の係り結びの用法や、現代語での仮定形に惑わされないで
 ほしい) 已然形の最重要な意味が江戸後期~明治期に復活して、可能表現が確
 実にできるようになった。
〇立つ→立てる(他動詞化)、割る→割れる(自動詞化)のように、自他交替と他自
 交替という一見すると相反する機能のように見做される。
 已然接辞:e[r]u(正式には可能態接辞と命名するが)が果す役割を文法学者に
 理解できないようである。 当家態文法は敢えて已然接辞:e[r]uを正視する。
・見す→見せる、任す→任せる、この已然接辞:e[r]uによる動作も他者にさせる
 だけでなく、完遂させるために必要なら手助け、介助をするという意味だ。
 (見せるために資料を出したり、見やすく支えたり、また、任せると時々完遂状
 況を確認して助言したりするのが、「任せる」の意味と心得る必要あり)
・立てる、割れる、の已然接辞:e[r]uも動作主・対象物どちらの視点で見るかに
 よる違いはあっても、動作が完遂するには相互の力関係、物理法則に適う行動
 だから、動作が完遂できるという意味だ。
・書く→書ける、走る→走れる、見る→見れる、数える→数えれる、来る→来れる
 の已然接辞:e[r]uも、動作を完遂する、尽力することを確言するから、可能動
 詞、可能態動詞と見なすわけだ。
 (現在、文法学者の多くが世間的に「ら抜き」可能態を認めない立場であるが、
 五段活用だけでなく、一段活用動詞、変格活用動詞でも可能態を生成できると
 已然形の力を見直してほしいものだ。 文法学者なら、「ar抜き」e[r]u可能態と
 「ar付き」e[r]u可能態=受動態との本当の意味の差をたやすく説明できるはず
 だし、どちらも共存すべき動詞だと気づくはずだ)
★可能態接辞、已然接辞:e[r]u、の深層で共通する意味は、
・文字通り、已然→動作を完遂する、完遂に尽力する、完遂に向けて手助けする、
 完遂できる物理法則に則る、相互に助け合って完遂する、である。
(特に、使役動作:任せる、着せる、読ませる、では動作を命じるだけでなく、完遂
のため必要なら手助けする意味を含んでいる。 強制態:任す、着さす、読ます、
ならば、動作を命じるだけと解釈してよい)

態文法:哲学でする動詞活用2

2018/07/31(火)
 参考表:表:動詞活用形の概念哲学

2.動詞活用に必要な哲学、論理とは:
 当家の態文法では、動詞派生(活用)を一般形式で以下のように表現する。
〇動詞派生=動詞語幹[挿入音素]接辞語幹[挿入音素]接辞語幹[挿入音素]統語
 接辞。
(最短:動詞語幹[挿入音素]統語接辞の形態で、通常中間に幾つかの[挿入音素]
 接辞語幹が連結して意味を付加する)
〇一般型式で動詞活用、自他交替派生、態派生などを区別なく表記できる。
→古語時代から続いている四段活用と上下一段活用を表記するのに、一般型式
 を使えば一行で表せる。
★四段・一段活用の一般形式:(動詞語幹:D←子音末、母音末の両方表現)
 D[a/・]-,D[i/・]-,D[・/r]u,D[・/r]u-,D[・/r]e-,D[・/r]e/o.
<一方、国語文法では、四段と一段を別々に型式化して説明する。
・四段活用の型式を→母音交替型式と呼ぶ。
 (動詞子音語幹に「-a,-i,-u,-e」母音を交替付加して活用する)
・上下一段活用の型式を→接辞添加型式と呼ぶ。
 (動詞母音語幹に「-,-,[r]u,[r]e」のように接辞[r]を添加して終止形以降
 を派生する)
★国語文法のような場当り的な把握方法では、概念哲学の論理を見出せない>

〇態文法での一般形式表記により、
→[挿入音素]の配列を眺めてみると、哲学論理の痕跡が見えてくる。
・四段・一段活用の一般形式から、[挿入音素]に注目すると、
 [挿入音素]の並び方→[a/・],[i/・]←動作、事象→[・/r],[・/r],
 [・/r],[・/r].
〇未然形、連用形→母音交替(a,i)と無音(・,・):母音語幹の音素に任す。
 (母音添加して動作意味の外延化を果す。母音語幹はそれ自身で動作を示す)
〇終止形~命令形→無音(・,・):語幹に任す、動作事象化の「r」接辞を添加。
 (子音語幹はそれ自身で事象化が可能、母音語幹は「r」、「s」接辞で事象化する)
→つまり、四段動詞は語幹自身が事象・出来事の表現向きの動詞であり、動作の
 表現には母音を選んで[挿入音素]とする。
 一段動詞は語幹自身が動作表現向きの動詞であり、事象・出来事の表現には
 「r」、「s」接辞を添加する。
 という概念哲学が古語時代から続いてるのだ。
→さらにつまり、活用表の未然・連用は動作表現、終止形~命令形は事象・出来事
 としての描写を優先する形式である。と説明すると哲学論理が生きてくる。

3.古語二段活用の試行錯誤:
 次に古語時代の上下二段活用を哲学するため、当家態文法で一般形式を表記し
よう。(動詞例に、落つ、投ぐを思い浮べながら考察してみよう)
→二段活用の一般形式:動詞語幹:Dが子音末ながら、四段活用になれない。
 D[i/e]-,D[i/e]-, D[・]u, D[・]u[r]u-,D[・]u[r]e-,D[i/e]yo.
 ([挿入音素]→便宜的に[i/e]で上/下一段活用の振り分けを表現した)
〇未然・連用は、落ち:ot[i]、投げ:nag[e]、固定の母音添加で動作を外延表現し
 (ot[a],nag[a],nag[i]の母音添加では動作意味が湧かない)
〇古語時代は基本形(終止形)を変形したくなかったらしい。
 しかし、連体形・已然形は後続する詞辞を支えるために事象化・内包化の形態に
 整える必要があるから、基本形に[r]を添加し→D[・]u[r]u-,D[・]u[r]e-を
 生み出した。
〇つまり、二段活用動詞の基本形:D[・]uは、それ自身が活用に不向きの形態で
 あり、動作表現:外延化に母音添加するし、事象表現:内包化にも基本形+[r]u
 を無理やり接辞添加する方法をとったのだ。概念哲学の深層論理が働いてる。
→連体・已然を事象化・内包化形態にすべきだという論理が古語時代から働いて
 たことがすばらしい。
 (oteba→otureba、nageba→nagureba:比較すれば事象化すべきだという
 哲学論理が判るはず)
★古語時代の二段活用、変格活用などでは基本形を変えずに、前段(未然連用)を
 母音交替、後段(連体已然)を[r]接辞添加するという混合形式の活用形であっ
 た。
→日本語動詞活用の哲学論理は、古代から単純明解だった。人称や単複などの
 要素に拘らず、動作表現と事象表現を大きな区分とし活用形に合体させた。
 さらに、関連動作動詞の造語にも同じ哲学論理が応用でき、自他交替には動作
 表現の方法:語幹と接辞を直結(外延派生)を採用し、態の派生には事象表現の
 方法:語幹[r]態接辞の連結(内包派生)を採用した。
 (使役系の態派生には動作事象を[s]接辞で内包化する。[s]が顕在するのは、
 母音語幹動詞が使役系に派生するときで、tabe[s]as[]u,ko[s]as[]e[r]u
 など例示できる)
〇動作派生(外延派生)と事象派生(内包派生)による「新動詞の造語生成の区分」
 の視点は、最近の思い付きなので十分な検証ができていない。
→たたきあふ:tatak[i]0[+]afu複合動詞なのか、
 たたかう:tatak[]afu内包派生の造語なのか。 古語時代でも外延/内包の
 扱いに揺らぎがあったであろうが、多くは順当な論理判断がなされてきた。
 だから、現代でも哲学の試行錯誤をして論理判断を高めていくべきだろう。
 思考停止で踏み外してはいけないだろう。

4.現代の動詞活用論理:
 古語時代から順当に継承してきた動詞活用哲学の形態は、参考表の下段に示す
ものである。再掲:表:動詞活用形の概念哲学
★「活用の流れ」が2本あり。国語文法では指摘なし。しかし、継承すべきこと。
①当該動詞自身の外延/内包による活用形→
 (未然・連用:動作外延/終止・連体・已然・仮定・命令:事象内包)
②分岐動詞(関連動詞へ)の外延/内包外延による態派生→
 (自他交替、関連動詞:動作外延/態動詞:内包・事象の外延)
古語時代は、子音語幹動詞が多いものの、自動詞・他動詞の分離が未完状態であ
る動詞も多かった。 そのため、未完状態の基本動詞を部分的に:未然・連用の動
作外延形態だけで(自他変換)活用することもあったはずだ。
(『岩波古語辞典』:大野晋他編では動詞見出し語を終止形でなく連用形の形態で
記載した。その意図は、文献上の記述例や複合語生成例などが連用形で残って
いる事実を精査しての新機軸だと明記あり)
→現代では、自他交替が完了した独立動詞(母音語幹)が十分に揃ってきたし、
 態動詞も揃っているので、②派生の論理が目立たなくなっている。
 (しかし、外延/内包のどちらで活用するのかという認識は、動詞の真の意味を
 解釈するのに重要なことだ)
〇当家態文法にしても活用哲学には最近の気づきである。
 思考を深めていこう。

態文法:哲学でする動詞活用1

2018/07/25(水)

 動詞活用の意味するところ、たとえば「巣立ち未然枠」などについて再考実験し
ながら正確な記述をしたい。 前回までは、日本語文法の動詞活用表が意味する
ところは、「動作相:アスペクト」を表すとの解説しました。 その内容は独特で新
規性があり、万人が直ちに納得できるものではないかもしれない。
なぜなら、長い間、学校文法では動詞活用形の捉え方を「文の構成機能、文の組み
立て機能」という閉じた完結型の活用を説明してたのだから。
〇再考実験の視点は、古代の動詞活用の方法を想起すること。
文字もない、文法書もない古代からの日本語が、現代まで連綿と動詞の四段活用
を大きな手直しもなく使い続けている反面、江戸期の前後に二段活用を短期間に
広範囲に一段活用へ転換する歴史的変革を可能にしたその原動力は何だったの
か。 活用の「動作相:アスペクト」よりも高い概念哲学があったはず、いや、今も
生きているはずだ。

 今回は、その原動力の根源に気づいたので、「哲学でする動詞活用」の題名で
連載回を記載する。

1.哲学でする動詞活用とは、
 現代人が普通に行う「動詞活用」は、江戸期の文語文法書を手掛りとした研究を
踏まえた近世期の「国語学文法でする動詞活用」であると言える。
つまり、現代人は「学校文法に基づいた動詞活用」を守って言語運用してるから
、ほとんど無意識・無批判に動詞を使ってることが多い。
(当方が意識的、批判的に学校文法を思索するようになったのは、例えば、受動態
は、なぜ、受け身、可能、自発、尊敬などの多義性を持つのかという疑問に対して
文法書は的確な解説を用意してないからだった)
 一方、これから解説する「哲学でする動詞活用」とは、
古代人の立場に立ち、文字も文法書もない状況で、動詞活用するならどうするだ
ろうか、という視点で再考する。
おそらく、人類が言語に対して持っている概念化:具象化と抽象化の二つの能力
を意識的に使いこなすことで動詞活用させるのだろう。
〇概念の意味:『広辞苑 第六版』:新村出編:岩波書店から引用。
★概念:(哲)事実の本質をとらえる思考の形式。
 ・事実の本質的な特徴とそれらの連関が概念の内容(内包)。
 ・概念は同一の本質を持つ一定範囲の事物(外延)に適用され一般性をもつ。
★外延:(論)ある概念の適用されるべき事物の範囲。
★内包:(論)概念の適用される範囲(外延)に属する諸事物が共通に有する徴表
 (性質)の全体。<引用終り>
→哲学的に分かりやすくいうと、(動詞の意味概念を考えて活用するとき)
★外延:動作の具体表現→意味概念に合致、連関する具体動作の総体(動作進行
 相:連用形や、打消、推量・勧奨:未然形が相当する。 さらに大きく動作の外延
 形:自動詞・他動詞の交替派生、また、精密に区分けすると動作事象(:内包)の
 外延形:使役・受動など、やらす/やらるの態派生)を思い浮べて活用する。
 (前回までは未然形に巣立ち未然枠を想定し、自他交替も態派生も同一の巣立
 枠に分類したが、間違いであった。概念哲学でいう「外延」を動詞動作に働かす
 のが→自他交替であり、動作事象(:内包)に「外延」を働かす→態派生である)
★内包:動作概念を事象、出来事として把握→抽象化、概念化した事象で関連事
 物を修飾したり、事象の完遂・仮定・命令を想起し活用する。(連体形、已然形、
 仮定形、命令形、相当)
 (古来、命令形は外延的:動作として連用形で代用したり、内包的:遂行目標とし
 て発令したり、であったが、現代は形式的には、完遂目標発令の意味で内包的の
 あつかいである)
〇古語、現代語の動詞活用を概念哲学の視点から見直した活用表を示す。
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★上表の細かな説明は次回に記したい。(つづく)

態文法:動詞活用形から巣立つ独立動詞3

2018/06/30(土)

 かな分析を元に文法を組み立てる学校文法や国語学、国語辞典が最も不得意な
説明分野は何だろうか。日常の言語運用でも個人個人が不具合な言回しに困惑し
たり、辞典を引いても意味の違いがはっきりしない経験をするのは、態動詞や態
文法の月並な意味説明に出会うときではなかろうか。

3.音素分析なら、動詞の態派生について正確で清雅な説明をすべきだ。
 ローマ字つづりで音素単位の分析ができると、動詞語幹に連結する機能接辞が
正確に識別・切出しできる。 この正確な切出し効果を生かすべきで、音素分析の
役割であると思う。

★音素分析が果すべき役割と順序:
 学者や辞典編者でなく、一般人としての希望を記述する。
①音素分析で正確な機能接辞を切り出すこと。
 結果態接辞:ar-、(自他交替接辞:ar-との異同を示す)
 強制態接辞:as-、(自他交替接辞:as-との異同を示す)
 可能態接辞:e-、(自他交替接辞:er-との異同を示す)
 受動態接辞:are-、(結果態:arに可能態:eが連結するとの異同を示す)
 使役態接辞:ase-、(強制態:asに可能態:eが連結するとの異同を示す)

②態派生の一般形式を理解し、接辞が汎用的に使えることを確認する。
・態派生の一般形式:動詞語幹:D[挿入音素]態接辞語幹[挿入音素]統語接辞。
例:受動態の一般形式:D[・/r]ar[・/r]e[・/r]u→D[・/r]ar[・]e[r]u
  →D[・/r]are[r]u。(書く:書かれる、考える:考えられる)
 同様に使役態の一般形式:D[・/s]as[・/r]e[・/r]u→D[・/s]as[・]e[r]u
  →D[・/s]ase[r]u。(書く:書かせる、考える:考えさせる)
〇ここまでは、音素分析を提唱する方々がほぼ異議なしで通過できるかと思いき
 や、可能態に異議が飛ぶ。(かな分析・国語学の呪縛から抜け切れないでいる)
・可能態の一般形式:D[・/r]e[・/r]u→D[・/r]e[r]u。(書ける、考えれる)
 書かれる、書けるの両方が必要な可能(意味の差がある)表現だ。
 考えられる、考えれるの両方が必要な可能(意味の差がある)表現だ。
★話が横道にそれるが、一言付け加えておきたい。
 書かれる(態:動作結果が律する)、と同じような表現に、「書けてる」(相:動作
 完遂完了)を当てることができる。同様に書かれてる(態相:動作結果完了相)も
 解釈可能である。
〇しかし、可能(の意味)動詞の仮定形独立やその命令形は意味不明となり、活用
 適用外とする。
 (動作完遂の仮定・仮想に「る」が直結すると、仮想の尽力が現実事象と見做され
 、可能態動作と位置づけられる。 それに再度の仮想を重ねると尽力事象に尽力
 の二段重ね事象という不可思議な事態になる)
 ◎D[・/r]e[r]u:書ける、→再度、可能化するのはダメである。
  →×D[・/r]e[r]e[r]u:×書けれる、×書けれろ、×書けれてる、
 〇D[・/r]are[r]u:書かれる、→再度、可能化するのはダメである。
  →×D[・/r]are[r]e[r]u:×書かれれる、×書かれれろ、×書かれれてる、
 ◎D[・/r]e[r]u:考えれる、→再度、可能化するのはダメである。
  →×D[・/r]e[r]e[r]u:×考えれれる、×考えれれろ、×考えれれてる、
 〇D[・/r]are[r]u:考えられる、→再度、可能化するのはダメである。
  →×D[・/r]are[r]e[r]u:×考えられれる、×考えられれろ、×考えられれてる。
・蛇足ながら、◎D[・/r]e[r]u、と〇D[・/r]are[r]u、を比べて判るように、国
 語文法で◎「ら抜き言葉」という呼び方は見当違いで、本来は〇「ar」を連結して
 結果の視点を表すか、◎e[r]u、により動作完遂の可能を言うのか、の違いなの
 だ。 ◎e[r]u、を四段動詞にだけ認めて、一段動詞で禁止するのは国語学の完
 全な思考停止である。(四段も一段も可能態を認めてよい)
 (考える:語尾のe[r]uは、一段活用の完遂への尽力動作を表す。古語に遡れば
 考ふ:kamuk[]af[]u→kang[]af[]e[r]u→kangae[r]u、と変化してきた
 動作動詞で「考ふ:くり返し問う」の意味で、可能の意味はない。だから、
 考えれる:kang[]af[]e[r]e[r]u、ではじめて、動作完遂可能を表す)

③汎用的に使える機能接辞(自他交替接辞、態接辞、活用形から巣立独立した接
 辞など)の統一的・深層的な意味を探り出す。
★受動態接辞は、受け身、可能、自発、尊敬の意味があると一般的に言われている
 が、一つの接辞は一つの深層意義があり、深層意義は二つ、三つではない。
★可能態接辞は、自他交替の機能(しかも自→他、他→自、の両側交替をする)や
 動作可能、自発、已然形巣立独立動詞、など多義的な機能であるが、一つの接辞
 は一つの深層意義があり、深層意義は二つ、三つではない。
★他の接辞も多義的な機能であるが、一つの接辞は一つの深層意義があり、深層
 意義は二つ、三つではない。
〇現在の国語学、学校文法、国語辞典は、「接辞の切出しができない」、「一つの接
 辞の多義性に注目するが、共通の一つの深層意義」を感じ取れないでいる。
〇音素分析の立場でも「共通の一つの深層意義」を探し求める必要性に気づかな
 ければ、新しい文法は生まれない。
(態接辞の深層意義を解説した図表が、態文法:日本語を研究するための道具3続
にある)
・一般人の希望はこの位置で止り。 夢や仮定想定を語れるが、語らえる時代は
 未だか。

 以上、ここで連載回を打ち止めにする。

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