日本語文法:名詞述語文と判断措定3
2014/04/20(日)
(4)日本語の基本文型と判断措定
報告書の中にある留学生の誤用例文のひとつ:
○×姉は二子います。(姉は子供が二人います) がのっている。
○また講演の中で「日本語は省略が多い言語だ」という指摘が複数人から出てきた。
これに関連して思考実験をしてみたい。
上の誤用例に対して、普通の日本人が話す日本語文型は、
①姉はこどもが二人います。
○~が(は)~が ~述語(動詞/形容詞/名詞+だ)の文型でしょう。
・象は鼻が長い/ぼくは君が好きだ/誰が饅頭が怖いのか?/孫が字が読める/ぼくはウナギが食いたい
・ロウソクは煤が出る/原発の話はウソが多い/この本は結末がすばらしい
・太郎は明日の予定が大阪行きだ/太郎は大阪行きが明日の予定だ/太郎が明日の大阪行きが楽しみだと言っていた
日本語の文型は「複数の補語」+「述語」の形式:盆栽型です。
補語には格助詞がついて役目を表します。
○象は(全体) 鼻が(部分) 長い(特徴)。
○姉は(前提) こどもが(範囲) 二人います(数値)。
(「二人」:形容詞でなく副詞的とみて述語につけた)
○ぼくは(取立て) ウナギが(限定) 食べたい(希望)。
○原発の話は(主題) ウソが(判断) 多い(数量)。
○太郎は(取立て) 明日の予定が(限定) 大阪行きだ(具体)。
日本語母語の話者ならばこの基本文型をつかって、「物事、事象をいかに判断しているか」を表現することに慣れている。
補語が2つ、述語が1つの簡潔な盆栽型文体です。
○ペンは字が書ける→ペンで字を書く→字はペンで書く→ペンは絵も描ける
2014/04/23(水)
(5)判断措定:思考の流れ
文の先頭に関心の「主題・取立て」を置いて、話し手・書き手の主観的な視点で「特定の部分を抜き出し・限定」して「可否・良否の判断」や「推論」を提示する構文形式です。
「限定」部分をどう扱うのかが聞き手の間で分かり合っていれば、最後の述語部分が省略されても理解できる。
○「ぼくはウナギだ」がウナギ屋で通用するのは当然だろう。
(文として通用する)
日本語での単語の並べ順は、大きい概念を先にして順次、小さな概念をつなげていく。思考の流れもそれに一致している。
・住所の表し方:都道府県・区市・町・丁目・番地。
・日付の表し方:年・月・日・曜日。
・文の表し方:主題・範囲限定・判断叙述。
・形容・修飾の仕方:全体→部分(思考の→流れ、机の→脚、昨日買った→本、交差点の→信号灯の→色)
○留学生の母語文法が「色←の←信号灯←の←交差点」を基本とする場合、留学生自身はどれくらい日本語文法に戸惑うのだろうか?
(6)主語はいらない
象鼻文やウナギ文がでた後ですから、コンニャク文も登場してもらいましょう。
○「コンニャクは太らない」も省略部分の多い?文ですが、やはり判断措定をしている文章でしょう。
○ドイツ語風に省略なしの表現を考察すると
・「コンニャクは(栄養価のない食べ物だから、あなたがこれを食べても)太ら(されることは)ない」 とか、
・「コンニャクは太らせない」 とかの文になるのだろう。
○主語が途中でコンニャクからあなたに替わってしまったり、コンニャクが主語だと思い込むと、太らせる行為をわざわざ否定する文章にするしかない。
日本語では
・「コンニャクを食べても太らない」と表現することもできるし、会話の場の展開によっては「コンニャクが食べても太らないんですよ」と表現することもあります。
○コンニャクに「が格助詞」や「を格助詞」が付く表現があっても述語部分は変化しません。
・つまり日本語での「コンニャク」はどの場合も構文上の述語に対する主語(動作主)ではないということです。
・「コンニャクは人が食べても太らない(ものだ)」、「コンニャクという食べ物は人が食べても太らない」という言い回しが一番よいのかもしれません。
・行動意思のない無情の「コンニャク」に、動作主の役割や使役態:「太らせない」の表現を使いたくないでしょう。
(主題=主語でない/無情物に使役態を当てたくない:この2つの要請:日本語文法:があって、「コンニャクは太らない」が普通に存在するのだろう)