日本語文法:新文法への道4
2014/10/22(水)
(7)語彙に宿る文法則を生かすべき
日本語の動詞は同一語幹から自動詞・他動詞に派生して対応関係(自他対応、または使役交替)を持つものが多い。
〇日本語動詞:自他対応解析表で示すように、語彙の対を見ていると文法則がおぼろげに分かるようになります。
・たとえば、他動詞側の語尾が「-asu」で終わる語彙を並べてみよう。
・増える/増やす、動く/動かす、生きる/生かす
〇「-asu」によって(無情の)物に対して動作を強制するとは、他動詞化の操作と見なされる。
(解析表中でこれらの他動詞に強制としたのは思考実験による命名)
〇この「-asu」を使って、
・歩く/歩かす、飲む/飲ます、立つ/立たす、待つ/待たす が類推され活用しようとするのは自然の流れです。
〇人間が行う動作動詞に「-asu」を付けると、相手に動作を強制して行わせる強制態の意味になります。通常の文法学者も新しい文法学者も強制態をなぜか推奨しない。
(歩かせる/飲ませる/立たせる/待たせる など使役形を示すだけです)
(自他対応を認めるが使役交替には及び腰で、強制態を認めたがらないようです)
〇整理すると、
・強制接辞:+(r/s)asuを付加した動詞が「無情物」を対象に機能する場合は「自力他動詞」となる。
・強制接辞を付加した動詞が「有情の人」を対象に機能する場合は「他力他動詞=相手に動作させる=使役強制動詞」となる。
というのが深層文法でしょう。
〇「動かす」:庭石を動かす、手を動かす、人を動かす、世界を動かす など「抽象概念としての物」を動かす・他動詞です。
〇「歩かす」:彼に10kmの道を歩かす、「飲ます」、「立たす」など強制的に動作させる動詞です。
〇日本語の動詞は「無情の物」を対象とするのか、「有情の人」を対象とするのかで機能・作用が違ってくる言語です。
このように自他対応の接辞は語彙のなかに残りますが、文法的な規則性を声高に明かさないでしょう。しかし人間の言語運用能力が断絶しない限り、隠れた簡潔な法則を伝承していくでしょう。
さらに語彙段階で残る接辞には、可能接辞、結果接辞、受動接辞もあります。
文語体時代からの「自他対応の接辞」が持つ簡潔で効果的な文法則を確実に伝えたいですね。
〇手っ取り早く言えば、文法書や辞書、辞典の最後の付録に必ず「日本語動詞:自他対応解析表」を付加させると伝承問題は解決するということですね。
(解析表:自他対応の語彙対のほか、対応接辞の対、動詞の対象「人/物」区別も付属してある)
(8)動詞の対象が「有情の人」か「無情の物」か
○強制態に可能接辞が付属した強制可能態を考察する。
・動かす(他動詞)→動かせる(強制可能態):動かすことができる、の意味。
・歩かす(強制態)→歩かせる(強制可能態=使役態):歩かすと同様に使役強制的な表現。
同じ強制態の動詞でも、可能接辞がつけば可能動詞になるものと、使役態になるものとがある。
これは強制態に限らず能動態(自動詞、他動詞)でも、可能態に活用すると2義の動詞になることがあります。
・立つ(自動詞)→立てる(可能態):自動詞で可能の意味と「看板を立てる:他動詞」の2義がある。
という両義性は多くの動詞に表れるもので、その動詞が人を対象にするか、物を対象とするかで意味が決まります。
(へそ曲がりなところは、物が動かせる:可能、物を立てる:他動詞、人を歩かせる:使役、人が立てる:可能 のように物と人の組み合わせに交替があります)
(9)自動詞・他動詞・使役形に関して
今回の考察の発端は、インターネット上にある吉川武時ホームページ:日本語文法再入門の記事を読んだからです。
「日本語・外国語」のカテゴリーでの考察記事のなかに節題の項目があります。(以下吉川考察と記します)
〇吉川考察では、強制形:立たす、並ばすの形態を認めず、使役形:立たせる、並ばせるで表現します。(辞書に:立たすはないとの理由)
・立つ/立てる/立たせる/立てさせる
・並ぶ/並べる/並ばせる/並べさせる
のうち、考察対象に、立てる/立たせる、並べる/並ばせるの用例を比較してある。
・?×こどもを立てる/〇こどもを並べる
・〇こどもを立たせる/〇こどもを並ばせる/?×こどもに机を立たせる/〇こどもに机を並ばせる
という考察の途中経過が記されてある。
〇吉川考察では動詞の分類に「意思動詞/無意思動詞」を提唱される学識者なのですが、
・こどもを立てる/並べる のように「人」を対象にしています。
普通と違いますが、教師経験があると「物」よりも「人」が先に浮かぶのでしょうか。
・こどもに机を立たせる/並ばせる は、どちらも不自然な表現です。「人を/人に」自動詞動作をさせる意味ですから「物を」動かす動作では普通と違います。
吉川考察の記載では、人と物に考察が及ばない検討中で終わっていますが、立てると並べるで違いがあると見ています。
しかし、(当方の意見)普通に考えて正しい使い方をすれば同じ機能の動詞だと分かります。
また、立たせる/並ばせる で考察する前に、立たす、並ばす:強制態で考察したほうが思考快適になるのになあと思っています。
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