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2014年11月

2014/11/30

日本語文法:日本語をどう見るか3

2014/11/30(日)

(5)日本語の動詞活用をどう評価するか

 助動詞の扱い方のなかで特に、動詞活用と動詞の態変化の文法則については重要です。
〇日本語の動詞活用は複雑そうに見えても、文法則を覚えると確実に繰り返して真似ができるようになります。
・前回の最後に記した:書ける/食べれるの例や<結果態の謎4>の「態の一覧表」の例で示したように、態活用の法則はまさに規則的で合理的に派生できるものです。
(文法学者が見抜けていないのが謎ですね)
〇日本人自身が動詞活用・使い方にもっと高い評価を与えてもよいはずだと感じますが、どうでしょう。

(6)膠着語の結合度を見極める

 日本語の動詞は同一語根から自動詞と他動詞に派生対応(自他対応)する語彙形態が多く、その派生のための接辞の対立関係も従来から解明が進んでいます。
例:(結合度が深い)
・休む/休める/休まる/休ます、など自他対応、強制化の機能を持った接辞は、その構造解析にローマ字つづりに書き直してみればよく分かります。
〇動詞(子音/母音)語幹+(接合用挿入母音/子音)・(頭部子音/母音)接辞 が接合一般法則になります。
・休m+(r/s)u/休m+(r/s)eru/休m+(r/s)aru/休m+(r/s)asu
・食べ+r(/s)u/食べ+r(/s)eru/食べ+r(/s)aru/食べ+(r/)s・asu
(2016年追記:能動系(r)、強制・使役系(s)を一括で(r/s)と表記したが、近年は別表記に変更)

〇自他対応の語彙段階の接辞が、文法的態の接辞にそっくり再利用されているのです。
 動詞活用形も深い結合です。
〇未然形(正規表記:語幹+(a)φ←零記号)
・休m+a・nai/食べ+(a)nai/
〇連用形(正規表記:語幹+(i)φ←零記号)
・休m+i・masu/食べ(i)masu/
〇終止・連体形(正規表記:語幹+(r/s)u・φ←零記号)
・休m+(r/s)u/食べ+r(/s)u
〇仮定形・可能形(正規表記:語幹+(r/s)e・φ←零記号)
・休m+(r/s)eba/食べ+r(/s)eba/仮定形
・休m+(r/s)eru/食べ+r(/s)eru/可能形
〇命令形(正規表記:語幹+(r/s)e・φ←零記号)/・決意形(正規表記:語幹+(y)oo・φ←零記号)
・休m+(r/s)e/休m+(y)oo/
・食べ+r(/s)e←o/食べ+y・oo/

 結合度がいくぶん浅くなった例:
〇連用形の正規表記の形態は動作の概念を表す名詞として「動名詞」の扱いもできます。
・相撲の決まり手の名称:寄り・切り/寄り・倒し/押し・出し/押し・倒し/すくい・投げ/はたき・込み/突き・出し/などは2種類の動作を連用形で直接接合して表現しています。
 この種類の結合方法も日本語の得意分野なのでしょう。
・見込み/見積り/見通し/見晴し/見合い/見舞い/見落とし/見つけ/見送り/見返し/見直し/見当たり/見初め/見掛け/見栄え/見納め/見過ごし/見つめ/見抜き/見間違い/見回し/見渡し/見切り/見極め/見殺し/見捨て/見逃し/見放し/見ごたえ/見違え/見限り/見定め/見届け/見聞き/見下ろし/見上げ/見下げ/見比べ/見劣り/など基本的な単語一つから関連動詞を産み出すことができる。
〇連体形は直接体言(名詞、形式名詞)に接合できる。

(7)動詞活用で接合できない例

 文語体での条件仮定法に、
・住まば都:これから住むならば都会で(未然形+ば)
・住めば都:住んでいればそこが自分の都になる(已然形+ば)
の二種類の表現があったが、
・母音語幹の動詞では、「未然形+ば」ではさまにならない。
・食べば育つ?(未然形は使われず)
・食べれば育つ(已然形+ば、でOK)
〇ところが打消し表現では、
・休まなば倒れる/休まねば倒れる
・食べなば倒れる/食べねば倒れる
打消しで「食べn+」と子音語幹になったので「未然形+ば」仮定法も使えるのですね。
〇日本語の動詞活用は簡単な法則で合理的に機能語彙を派生「させれる」のですが、「食べば育つ」などの耳障りな表現には誰も使わないという方法で淘汰してきているわけです。
〇逆に「ら抜き言葉」などは合理的な法則を守る意味でももっと表舞台で使われるといいですね。

2014/11/26

日本語文法:日本語をどう見るか2

2014/11/26(水)

(2)日本語の構造をどう評価するか

 日本語文法のなかで、文節区切りについては「詞+辞」区切りを目安にしている。
・日本語の構造を考察するとき、「詞・辞」区切りの形態をした言葉素材を複数個組み合わせて文章を作り上げるのだと想定できる。
・「詞・辞」組み合わせの解釈の方法にいろいろな発想があり、「日本語の四大文法:山田・松下・橋本・時枝」が生まれている。
〇学校文法(橋本文法)では、自立語(詞)と付属語(辞)と呼んでいて、以下の例のように文節区切りが表現できる。
例:最近・φ/手・に/し・た/日本語関連・の/本・を/読・んで/感じ・た/こと・を/記述し・て/み・ます。/
〇時枝文法の詞辞区切りは入れ子構造:〔最近〕φ>:を表現し、順次:〔〔最近〕φ>手〕に>と次の入れ子に挿入されていく。密結合を表現できるが窮屈なので、簡略的に下例のように記述してみた。
例:最近・φ>手・に>し・た>日本語関連・の>本・を>読・んで>感じ・た>こと・を>記述し・て>み・ます。>
(入れ子なしでは橋本文法と同じか。国語学原論:上下続を読み始めたところです)
〇金谷武洋の盆栽型構文での文節表現を簡略記号形式で表すと、
例:最近・φ→手・に→し・た>→日本語関連・の→本・を→読・んで>~感じ・た>→こと・を→記述し・て>~み・ます。)
(今回変更:述語連節:}→を>~に改変。見やすさのため)
〇補述演算(思考実験中)での詞・辞区切りの動き表示例です。
例:最近・φ↑手・に↑し・た→日本語関連・の→本・を↑読・んで↓感じ・た→こと・を↑記述し・て↓み・ます。↓
(会話の場にいる人々の頭の中に各文節が積み上げられ述語部分が来ると文章解釈:積み上げた文節と結合・消化されて意味だけが残ります。厳密な積み上げ・下ろしの加減には目をつぶります)
・盆栽型と補述演算では例文の途中で意味解釈を入れて、連体修飾記号を付加している部分があります。

 ひとつを選ぶならば、盆栽型説明が図解としても構文解釈としても解りやすいですね。    

(3)詞は(客観的)概念語、辞は(主体的)観念語を表出するもの

 時枝文法風に詞と辞を対比させた表現ですが、
・詞は辞典の見出し語になるような客観的概念を表す語彙を指す。
・辞は助詞(格助詞、副助詞)や助動詞、接続助詞、終助詞など辞典の末尾付録に載っているような、いわゆる文法的な語です。
〇市販され世に広まっている『辞書、辞典』の類の内容配分は、「詞」が95%、「辞」が5%程度かもしれない。
・辞書、辞典ではなく、『詞書、詞典』というべきものだったのか。
日本語では「詞書き:ことばがき」を和歌の前ふり説明書きや絵巻物の前書き・挿入文などの意味で使っている。
・中国語では「詞典」を使っているようです。日本語では『漢字大詞典』のように漢字と結びついた表現で使うだけのようです。

 話を元にもどすと、詞・辞の対応関係を明確にして、「辞」の機能を十分に解明する、理解することが日本語の文法理解につながるものでしょう。
〇この意味で『本来の辞・書、辞・典』が誕生しなければならないはずです。
・概念を表す「詞」について字引化しやすいですが、「辞」は文法的な機能を担って主体的な観念を込めた表現に使われるので、字引の形でなく、文法書になるでしょう。(それでも「辞書」と命名したいですね)

(4)「詞と辞の膠着度」に浅深・強弱あり

 日本語は膠着語ですから「詞」と「辞」が接合/結合して使われます。
・接合/結合の組み合わせは、詞+詞、詞+辞、辞+辞、辞+詞(+辞)が想定できます。
〇接合/結合の密着度には浅深・強弱があり、その詞・辞の切り貼りの仕方について種類や法則を開示する必要があるでしょう。
・文法的に正しく語の切り貼りを把握するのに、音素解析(ローマ字つづり)を用いることが必要だと感じますが、「現在の辞書、辞典」では「ひらがな解析」にとどまっています。
〇接合度が深くなると、語彙の語幹との切り貼りになります。
・「詞」が子音語幹の場合、母音語幹の場合のどちらもあり得るし、接合すべき「辞」が子音語頭の場合、母音語頭の場合のどちらもあり得ます。日本語の接合法則では、子音+子音、母音+母音の接合を許さず、子音+(接合母音+)子音、母音+(接合子音+)母音となるように「辞の頭部に接合音素を配置」します。
〇一例だけ記しておきます。
・可能態の接辞:(r/s)eruを「動詞」語幹に接合する場合、
 動詞語幹:書k+に、直接eruを接合できますから、書k・eru=書ける。
 動詞語幹:食べ+に、(r)eruを接合して、食べreru=食べれる。
・つまり、食べれる:可能態は正しい膠着語の形態です。
(「食べられる」は結果可能態であり、「書ける」と比べてはいけません。意味範囲が異なります。等価な可能態の対応は書ける:食べれる、です。結果可能態は書かれる:食べられる、の対応です)
〇詞と辞の接合法則を効率的に説明するのに、動詞活用の未然・連用・終止・連体・仮定などの形式を覚えても「ひらがな解析」をしていては、正しい結果が得られません。

(時枝文法の原点:国語学原論を読み始めていますが、どうやら動詞活用接辞や受動・使役の態接辞の扱いは「詞」に組み込むらしい。時枝視点の「辞」にはあたらないのは理解するが、、、現在の詞典にも辞典にも入らない「接辞」ができてしまうのか)

2014/11/23

日本語文法:日本語をどう見るか

2014/11/23(日)

(1)日本語をどう評価するか

 最近手にした日本語関連の本を読んで感じたことを記述してみます。
①『日本語が世界を平和にするこれだけの理由』金谷武洋:飛鳥新社:2014年6月25日
②『日本語は進化する~情意表現から論理表現へ~』加賀野井秀一:NHKブックス:2002年5月30日第一刷、2009年4月15日第3刷
③『驚くべき日本語』ロジャー・パルバース:集英社インターナショナル:2014年1月29日第1刷、2014年6月8日第4刷
この3冊を通読しての感想です。

 ②加賀野井本は、明治維新後の日本語の言文一致・共通語創造への先人の取り組みを隈なく記述しています。
・日本語が大和言葉に漢語を取り込み、漢文訓読、音読み、訓読みなどで表現の幅を広げてきた。蘭学、英語などの翻訳の必要性、維新後の共通語の必要性、言文一致の必要性が短期間に大きく日本語を変革させた。
・まさに日本語は情意表現から論理表現へ使い方を広げて進化してきた。
①金谷本は、日本語の「学校文法」が明治維新以降、英語文法を土台にして教えられているのは残念なことと記述します。
・「日本語は読み書きが難しいけど、話すのは意外に簡単です」という教え子の学習反応を肌身に感じる教師なので、「日本語が難しくない、簡単で柔軟な言語である」と語る。
・日本語は文法がやさしい:音素、発音が簡単/基本文型は動詞文・形容詞文・名詞文の3つ/不必要なら文に主語はいらない/動詞の人称変化がない/時制、態が接辞活用で簡単・規則的/補語につける格助詞が多彩。
・日本語は活力がある:省略合成力、造語力が高い/「~は」で主題を言うのは「相手と共通視線になる」ため/人称より直接自然に注目/会話の場を共感し合う:課題が明確なら省略構文を使う(蛇足「ぼくはウナギだ」、「こんにゃくは太らない」とか)/「相手の身になって考える道具」として日本語は大きな力がある。
③パルバースは、半世紀以上日本で過ごし、英語、ロシア語、ポーランド語、日本語をマスターして、日本各地を旅して日本と日本人の特質と独自性に驚嘆。作家/劇作家/演出家の経歴を持つアメリカ生まれ。
本の章立て:言葉とは何か/日本語は曖昧でもむずかしい言語でもない/日本語-驚くべき柔軟性をもった世界にもまれな言語/世界に誇る美しい響きの日本語とは/「世界語」としての日本語。
・この本の重要な章は第3章「驚くべき柔軟性」であり、文法論を注目する立場から読んでも興味を引くところ。

 3冊の本を読んで、日本語の将来に期待が高まりますが、日本語文法に対する日本人の理解度がそれを裏打ちするように高まってほしいと感じます。
ネット上の書評書き込みを調べてみると、日本人著者の本には好意的な反応がありますが、外人著者の本については概して評価が上がっていないようです。
・パルバース本の内容が、日本滞在での具体的体験、研究に基づく記述があるにもかかわらず、対する読者の読後評が少なからず共感的でなく懐疑的な意見にとどまっている。 
・書き言葉・漢字修得の難しさを殊更に論じて「日本語はやさしい」に反論する人もいます。
・日本人が日本語の理解に自信がなく、外人からの誉め言葉にも戸惑いを見せているような状態です。やはり英語文法を借用した日本語解釈では役に立たず、白紙の状態で日本語を日本語として理解すべきです。(本来理解できているのに、説明の言葉が出てこないのです。学校文法が追いついていないし、文法学者も取り残されています)
・また知識があって英語文法が優れていて、日本語の構造(語順が英語とは逆で、膠着語である)自体を劣っていると意識的に判断する人もいる。
(耳の痛い話しだが、当方は逆に膠着語の日本語語順が優れていると思う立場で、国際語エスぺラントを日本語風に語順変更する方法でfrazfarado作文実習を自習している)

 この3冊の内容に共通する「日本語の特徴」の記述がある。
〇「テニヲハ」機能が日本語の言葉の柔軟性を生み出している、との考え方が記されている。
①加賀野井本に詳しい考察がある。
・「テニヲハという翻訳装置」:万葉の昔から中国語を取り込もうとして漢文訓読体を編み出してきた。
・AハBニCガXヲVスルトVシタ。(「ハニガヲスル」翻訳装置と命名するほうがよいかも)
・日本語の構造は、ローマ字部分が詞・自立語(名詞、形容詞、副詞、動詞)であり概念を表し、カタカナ部分が辞・付属語(助詞、助動詞、接続詞、終助詞)であり文中の相互関係を表現する。
・詞+辞、詞+辞、詞+辞の繰り返しで文を構成していく。詞の単語としては、中国語でもカタカナ英語でもなんでもかまわない。
・だから、日本語では、動詞+辞の一塊でも文章になるわけです。

2014/11/16

日本語文法:結果態の謎4

日本語文法:結果態の謎4
2014/11/16(日)
 
(9)動詞態活用一覧表
 動詞態を学習するための仕上げ段階で覚えておくと、文法的な
整理ができる一覧表の例を示します。
(図表参照)
Photo
〇この一覧表では「態の双対環」方式に依拠した動詞態を記載し
 てあります。
〇表の見方で重要な点は、それぞれの動詞態の語彙が「どんな登
 場人物の相互関係でどんな動作を意味するのか」を考えながら
 理解していくことです。
・動詞態は、4つの態(能動/可能/結果/受動)と3つの系
 (能動:自力/強制:他力/使役:仲介)の形態があり、分析
 的に動作を表現できる体系になっています。
・一覧表には動詞態に後続して別の助動詞接辞が膠着接合する例
 を含めて示します。
・打消し:ない接辞と丁寧:ます接辞、ません接辞が後続する例
 です。
〇結果態は文語体の言い切り型に相当する形態なので、後続して
 接辞活用すると奇妙な感じの動詞になります。代わりに結果態
 と意味合いが近い受動態での表現が使われる。
・「休まる」「始まる」「変わる」など語彙的態として通用して
 いる「+ある」語幹動詞では、文法的態による動詞よりも比較
 的広く態活用できますが、それでも強制、使役系では奇妙に感
 じます。
・「さす:→ささる→さっしゃる、さっしゃれ」と音便変化して
 結果態とも尊敬態への流用とも言える使い方もあったようです。
 「歩かっしゃれ、食べさっしゃれ」など動作の強制と言うより
 も「動作を促す」ときの言葉使いだったかもしれません。
(いらさる:→いらっしゃる、おおさる:→おっしゃる、と同類
 ですが、「さっしゃれ」は尊敬態よりも動作促進態の意味が強
 いかもしれません)
 
〇さて、態活用一覧表をこんな風に展開して提示したのはなぜで
 しょうか。
・態の接辞は種類も限定されていますし、すべて基本は2音素の
 短い言葉です。それが動詞と膠着接合して多くの語彙を生み出
 します。受動態:結果+可能の接辞合成で3音、使役態:強制
 +可能の接辞合成で3音、使役受動態:強制+可能+結果+可
 能の接辞合成で5音、受動使役受動態:結果+可能+強制+可
 能+結果+可能の接辞合成で7音です。
・日本語が膠着語ですから、意味のある機能音素は関係語彙と結
 合してしまいます。自他対応の語彙的態の接辞が文法的態の接
 辞として再利用されるのは当然のことでしょう。
・「態の双対環」の文法概念としては、「態の接辞」として形と
 意味を整理して記憶に残すことを重要と考えています。
 「態の接辞」が記憶にあれば、膠着語の言語運用に慣れた人な
 ら迷わずに使いこなせるはずです。
・その他の接辞:動詞の五段活用、一段活用に膠着接合する接辞
 、つまり、助動詞一般(形容詞的、形式名詞的なものもある:
 活用接辞と命名すれば誤解がない)の接辞形態として一覧表化
 できる。
 それほど、日本語の動詞は規則動詞がほとんどなわけです。
・膠着語に適合した日本語文法が早く実現するといいですね。
 (別項の「新文法への道」で考察したい)
 
(10)パソコン・キー入力で結果態を漢字変換するには
 一覧表作成時の日本語入力で結果態を漢字変換しているときに
気づきました。
〇動詞態の動詞表記で漢字変換は大部分が支障なく変換されます
 が、結果態については変換できないケースが多いです。
・可能態:問題なく変換可能で、「食べれる、考えれる」も「ら
 抜き言葉だ」などとひねくれないで正しく変換されます。
・結果態:母音語幹の「食べ+、考え+」の場合は、そのまま
 「たべらる、かんがえらる」で変換すれば、「食べらる、考え
 らる」が出現します。
〇結果態:子音語幹の動詞では、「あるかれ」で変換→「歩かれ
 」出現→「れ削除」修正し「歩か」→「る入力」し「歩かる」
 とします。
・つまり、子音語幹の動詞を結果態で漢字変換するには、結果態
 の先(已然形・既然形)→受動態の一歩手前までキー入力して
 から漢字変換するのがコツですね。
 

2014/11/07

日本語文法:結果態の謎3

2014/11/07(金)

 

(6)可能態と結果態の対立関係を再考する

 

 「可能態の謎を解く」での記述を再考してみます。
〇可能態=「已然形+る」であると解釈するほかに、「命令形+る」だという見方もあり、また、
・可能態=「連用形+ある」=「[-/(r/s)]i+ar[-]u」→「[-/(r/s)]e[r]u」という解釈法もありそうだ。
(イ音とア音の混合成によるエ音発生化)
・可能態が連用形:いままさに行うさまを言う形態と「ある」の組み合わせですから、可能態がもつ意味は「現実に動作する姿を見ている状態」を言うのだろう。
・こんな語感もあって、可能態に対し「動作の開始」を表現する態でもあると見なしました。
〇ともかく、可能態=「動詞語幹+[-/(r/s)e[r]u 」という形態です。
〇一方、結果態=「動詞語幹+[-/(r/s)ar[-]u 」は動作相に中立的に「動作の結果」を示す機能があるのだろう。
(2016年追記:能動系(r)、強制・使役系(s)を一括で([-/(r/s)]と表記したが、近年は別表記に変更:[-/r],[-/s],)

 

〇動作の「開始と結果」の意味対立 これが、可能態と結果態の対立関係というわけです。
・この対立軸を含めて「態の双対環」方式では新しい動詞態の姿を提唱しました。
(再考でも可能態/結果態の対立関係を有効な弁別軸だと思います)

 

(7)自他対応の接辞から学ぶべきこと

 

〇「態の双対環」方式では、「自他対応の接辞」が果たしている機能を感じ取り、その接辞機能が文法的態の生成に再利用されているのだと判断して、能動系と強制系を弁別した構成に整理したものです。
〇しかし、学校文法では文法的態として受動態、使役態を明示しますが、その接辞要素は、
・受動:[-/(r/s)ar[-]e[r]u 
・使役:[-/(r/s)]as[-]e[r]u です。
文語体での受動:ar[-]u、使役:as[-]u の機能・形態は、現在でも自動詞、他動詞の単語語彙の中に生きている。それを顧慮しないで、文法(諸学者)が新しい口語体の受動、使役の成り立ちを説明できないでいる。
〇「態の双対環」方式では、原初である「自他対応の接辞」の、
・可能:[-/(r/s)]e[r]u ,
・結果:[-/(r/s)]ar[-]u ,
・強制:[-/(r/s)]as[-]e[r]u ,
各要素が合成されて文法的態の接辞になっていると見抜きました。
つまり、
・受動態は結果+可能の接辞合成で、
・使役態は強制+可能の接辞合成です。
さらに、文法的な態の活用が多重化すると、
・受動使役:[-/(r/s)]ar[-]e[s]as[-]e[r]u,
・使役受動:[-/(r/s)]as[-]e[r]ar[-]e[r]u,
・強制受動:[-/(r/s)]as[-]ar[-]e[r]u,
などの形態も接辞合成されて日常的に使われるのだと想定します。
〇短い音素の接辞ですが、明確な機能を持ちます。事態を分析的に解釈して「接辞」を組み立てて動詞の態述語を言語表現しているわけです。
〇これほど分析的で説得性のある日本語の動詞態に対して、この文法則を整理して一覧表で明示しないのはもったいないことです。
・国語辞典でも「助動詞の一覧表」を充実させる方針にすべきでしょう。一覧表が身近にあれば疑問が起きたときに見直して考える手掛かりになります。
(現在の日本語教育の現場に受け入れられるかどうかにかかりますし、国語学者の分析力が原初の自他対応の接辞に立ち戻り、たとえば次の例文をどう評価するでしょうか)
・見れる、食べれる、来れる:論理的で分析的で正しい「ら抜き言葉:らなしでよい言葉」です。
・休まさせる、食べささせる:二段使役:下請け→孫請けで動作をやらせる意味での正しい「さ入れ言葉」です。
・入れれれば:入れることができればの意味、正しい「れたす言葉」です。
〇上記3例ともにすべて可能態の使い方によるものです。正しく分析できれば折り合いがつくはずです。

 

(8)結果態、受動態に何を思うか

 

 受動態は「結果+可能」接辞で表します。「動作の結果でそうなっている状態」だという原意です。
〇それゆえに受動態は受身形専用の形態ではなくて、
・直接受身・間接受身/結果的可能、社会的可能/自然発生的可能、他力的可能/尊敬表現などの場面で使われる動詞態です。
〇寺村秀夫本『日本語のシンタクスと意味 第1巻』の例文:
・「殿が傷を負われたぞ」:尊敬表現(負傷の結果になられた)
・「素人には虎は育てられません」:結果的、社会的な不可能表現
〇小島剛一本『再構築した日本語文法』の例文:
・「今晩は、ある人に食事に招待されているんです」:情動相「招待される」から結果相「招待されている」が派生、と解説あり。
(受動態の受身形で情動を表す文のみを情動相と呼ぶ。それ以外を疑似受動態と見なして他言語の受動態と同様の扱いらしい。疑問です)

 

 日本語は、もともと「場の表現」にこだわる言語ですから、尊敬・謙譲表現や「やりもらい表現」、膠着語に現れやすい「金魚のふん構文・のらりくらり構文」などの情動的、情緒的な側面を持っています。
〇受動文にかぎらず通常の文章でも文末に感情表現である終助詞:ね、よ、だろ、だわ、などを付加しています。
〇明治以来、他言語と渡り合ってようやく動詞態接辞を分析的な運用に耐え得る構造に作り上げて来たのですから、正確に理解して使い分けていきたいですね。

 

2014/11/01

日本語文法:結果態の謎2

2014/11/01(土)

(3)結果態の接辞:(r/s)aru

 一般的には結果態、結果相とは?と訊かれて、明確な動詞形態を思い浮かべれる人は少ないかもしれない。
・「態の双対環」による思考実験では、
 自他対応接辞の一つ:(r/s)aru を結果態生成の接辞に見立てた。
〇「態の双対環」での結果態単語例:
・休まる、始まる、つかまる:(自他対応)語彙的態として結果態を表す。
・行かる、飲まる、食べらる、書かる:(無対動詞)文法的態として結果態を表す、と考察します。
これらの動詞は馴染みあるもの、馴染みのないものが混在するうえ、行かる~書かるなどは受動態へ移行する前の準備形態「さなぎ状態」なのかもしれません。
〇つまり、結果態「ある」接辞は、「終わる、休まる」のように動詞語彙に組み込まれて馴染んでいるものから、後付けで語尾活用的に使う方法:「食べらる、書かる」など文法的態活用まで両面の使用方法があります。
・しかし、多くの人は「結果態」という概念が具体的にどんな形態で語彙に入っているのか分からずにいるでしょう。

〇前回の『再構築した日本語文法』小島本では、「書く」の結果相として「書いてある」をあげています。
小島本結果相例:書いてある、縫ってある、持たせてある、予約してある など。
・「~てある」を結果相として薦めている。
・思考実験で音便変化をゆるせば、「~てある→~たる」:書いたる、縫ったる、持たせたる となります。
・関西語、九州語の音便変化ならば、「~ておる→~とる」:書いとる、縫っとる、持たせとる でしょうか。
 ちなみに継続相では「~い・おる→~よる」:書きよる、縫いよる、持たしよる でしょうか。
・小島本でも「ある」が結果相の表現要素になるわけですが、「~てある」が付属して結果相を表せる動詞は限られると述べてあります。結果相を表せない動詞がある理由については説明がありません。

〇さて気をとりなおして結果態を調べてみよう。
・休まりましたか、始まりましたか、つかまりましたか:馴染みあり。
・?行かりましたか、?飲まりましたか、?食べらりましたか、?書かりましたか :馴染みなし。
と連用形では差がありますが、仮定形(已然形・既然形)になるとほとんど差がなくなります。
・休まれましたか、始まれましたか、つかまれましたか:まあまあ。(結果可能態に感じます)
・行かれましたか、飲まれましたか、食べられましたか 、書かれましたか:馴染みあり。(結果到達態に感じます)
〇これは動詞形態が受動態と同形になったからですね。
・受動態と言うよりも結果可能態・結果到達態と表現するほうが本当は的確な概念なのでしょう。
・通常はこれらを尊敬態のように解釈することが多いのですが、「結果を見据えての表現」だということが肝心の根本意味・原意でしょう。

(4)結果態:書かる=書いてある

 「態の双対環」方式での深層文法則では、書かる=書いてある が結果態として成立する。
同様に、縫わる=縫ってある、持たさる=持たせてある、予約さる=予約してある がなりたつはずですね。
〇文語体の時代なれば、「書かる」で言い切りができたのだが、口語体では、最小でも「書かれる、書かれた」と書く必要があり、これは受動態と同形になります。
・口語体でさらに最悪な?表現になると「書かれてある、書かれていた」と「ある、いる」の二重表現になってしまう。
〇そうするくらいなら、「書いてある」のほうがはるかによい。
(小島本ではこの考察により結果相を「~てある」に絞り込んだのでしょう。同時に受身形以外の受動態を疑似受動態として遠ざけた)
〇念のために、語彙的態で生成された:休まる、始まる、つかまるを考察する。
・当然ながら結果相として、休まる、休まった、始まる、始まった、つかまる、つかまったが使える。
・休まれる、始まれる、つかまれる は、結果可能態:ついに結果としてできたこと、または、受動態と見なされる。
・ここで大事な区別を提起したい。通常の可能態:休める、始める、つかめる、行ける、飲める、食べれる、書ける、縫える、などと、結果である飲まれる、食べられる:結果可能態とは意味が違うことです。
〇通常の文法では、可能態も結果可能態もまったく両者を区別しない悪い習慣が続いていますが、日本語の動詞語彙が誕生してきた過程を見つめれば両者の違いが浮かび上がると思います。次節に記述します。
(通常の言語学者では気づかないだろうが、結果相を峻別される小島本に期待して読んでみたが可能・結果可能の区別に言及する部分はない)

(5)「言うに言われぬ」:結果不可能態です

○以前、寺村秀夫本から例文を引用したものを再掲する。(『日本語のシンタクスと意味①』可能態解説の項節)
・「言うに言われぬ苦しみを」、「止むに止まれぬ気持ちで」、「泣くに泣かれぬ」などの成句に打消しの受動態が使われる。
・「言うに言えぬ」、「止むに止めぬ」、「泣くに泣けぬ」の可能態でなく受動態で表現するほうが定着した。
・寺村本では、なぜ受動態で表現するのかについて、説得力のある理由説明がありません。
〇受動態が結果相の意味合いを含んでいるから、先人は受動態を迷いなく選んで表現したのだろう。
・「言わる→言われる」:形態は受動態ですが、受身ではなく、意味は結果可能態です。打ち消しの「言われぬ」だと結果不可能態と言えばよいでしょう。
・言われぬ:言おうにもたくさんありすぎてとても言い尽くせない。結果到達できない。
・止まれぬ:何度も躊躇し、止めかけたが、先を考えたら止めるわけにいかなかった。結果止めずにやりとげた。
・泣かれぬ:泣いて済むなら泣きたいが、責任ある身で泣いてしまったらおしまいよ。結果不可能態。
〇小島本でも残念ながら、受動態が結果相を含んだ表現であることに気づいていないようです。
・不思議なことに日本語学者の誰からも結果態を取り上げられることがなかったようです。受動態の中に結果態の姿を見出す人がいなかった。
・「言われぬ、止まれぬ、泣かれぬ」が受身表現でなく、話者の能動的心情表現でもあるので、小島本では情動相を定義して日本語特有の受身形態の情動側面をすくいあげたのだろうか。だが、結果態の側面を切り捨てたことになる。(小島本の情動相は受身+情動を指しているから、純粋な結果到達+情動が小島本の情動相に含まれるのか定かでない)
〇さあ、いつになったら日本語文法が正式に結果態を取り上げる時代になるでしょうか。
・昭和30年代のころ、神主の祝詞に「あらしゃります←在らさる:存在の尊敬態」とか、時代劇では「どこへ行かっしゃる←行かさる:行かすの結果態」などの言葉を子供心に興味深く聞いていたように思います。(結果態か受動態か、どちらの意味で使っていたのかわかりませんが、口語として音便変化で「しゃる」となったのでしょうね。また「しゃる」形にすると別語との混同が避けれたのでしょう)
・関西語では「書かれへん、飲まれへん」など結果不可能態を日常的に使っているらしいので頼もしいかぎりです。ずっと続けてほしい言葉使いです。

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