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2015年1月

2015/01/30

日本語文法:動詞原形語幹+態の接辞

2015/01/30(金)

 前回は日本語文法:自他対応接辞と動詞態8のブログ記述中の思考実験で、図らずも真の動詞態の構造を発見できました。
〇学校文法で言う「動詞の未然形に助動詞:れる、られるを接続して受動態を作る」は間違いであると言い切る確信が持てました。
〇新発見の動詞態の構造は、「動詞の辞書形(終止形)語幹に態の接辞を接続して派生させるもの」だと定義します。

★動詞原形語幹:
〇動詞の語幹には2種類あり、
 ①子音語幹動詞:読m、書k、切r、帰えr、終わr、
 ②母音語幹動詞:食べ(r)、考え(r)、見(r)、調べ(r)、
・そのため、動詞活用の仕方が異なるところがあります。幸い動詞態の活用では、食べr、考えr、見rを語幹として構成したほうが実態に即した文法解釈ができることに気づきました。
〇動詞の意味上の区別には、能動系、強制系・使役系の3種類の動詞が系統的に派生されますから、動詞原形(辞書形)語幹も3種類あります。
(二重強制動詞なども同様の派生方法で生成できますが、説明は割愛します)
 (1)能動系動詞原形語幹
 ①能動系動詞原形語幹:
 ・読m、書k、歩k、さがs、たよr、
 ・食べr、考えr、見r、
 のような形態で、終止形の最後の母音を除いた子音終りの形態です。
 ・会う、言うなどの母音語尾の場合は、aw、iw、で子音終わりに見立てます。
 (2)強制系動詞原形語幹
〇強制系語彙接辞:2つあり
 〇強制語彙接辞:動詞語幹+(r/s)asu:(読m+asu、食べ(r/s)+asu)
 ②強制動詞原形語幹:読まs、書かs、食べさs、見さs、言わs、
 〇使役語彙接辞:動詞語幹+(r/s)aseru:(読m+aseru、食べ(r/s)+aseru)
 ③使役動詞原形語幹:読ませr、書かせr、食べさせr、見させr、言わせr、
・食べ(r)→食べ(s)+asu:(r/s)交替と言い、母音語幹(一段活用)動詞で強制系・使役系変換の際に起こります。

★動詞態の基本接辞
〇態の接辞には基本接辞4つがあります。
 〇基本接辞:4つ
 ①原形態:+u:(読m+u、食べr+u)
 ②可能態:+eru:(読m+eru、食べr+eru)
 ③結果態:+aru:(読m+aru、食べr+aru)
 ④受動態:+areru:(読m+areru、食べr+areru)
〇能動系動詞原形語幹に態の基本接辞を組み合わると
・読む/読める/読まる/読まれる、
・食べる/食べれる/食べらる/食べられる
・言う/言える/言わる/言われる
・探す/探せる/探さる/探される
〇強制系動詞原形語幹に態の基本接辞を組み合わると
・読ます/読ませる/読まさる/読まされる
・食べさす/食べさせる/食べささる/食べさされる
・言わす/言わせる/言わさる/言わされる
・探さす/探させる/探ささる/探さされる
〇使役系動詞原形語幹に態の基本接辞を組み合わせると
・読ませる/読ませれる/読ませらる/読ませられる
・食べさせる/食べさせれる/食べさせらる/食べさせられる
・言わせる/言わせれる/言わせらる/言わせられる
・探させる/探させれる/探させらる/探させられる

★なぜ能動系、強制系、使役系の3つに動詞を区分するのか
〇「態の接辞:4つの基本接辞」へ強制、使役の語彙派生接辞を組み入れる利点がなく、また語彙生成の際に必要な「r/s」交替機能を含めることは、基本接辞と違いがあります。
・「r/s」交替とは、能動系:食べ(r)→強制系:食べ(s)・asで現れる交替現象です。
(子音語幹動詞の場合なら:帰えr+asuと「r/s」交替なしですが、元来、帰えr/帰えsで自他対応語彙がありますね。帰らす←有情対象/帰えさす?:替えさす?←無情対象みたいですね)
・強制系、使役系の「rをsに交替させて」派生する方法は重要ですから、動詞原形段階でしっかり身につけるのが得策です。
・語彙派生接辞として動詞原形を作り出しているんだという気持ちで強制系動詞、使役系動詞を利用するとよいのでは。(日本語初学者には日本語動詞の構造が理解しやすいはずです)
〇受動態の動詞のあとに使役動詞化することもできます。
・修練のため滝に「打たれさせる」は、「打たれs+asu」→「打たれs+aseru」の順に生成させるのが、分かりやすい。
つまり、強制系動詞を生成するときには、打たれ(r/s)aseru:の(r/s)交替が起こりますから要注意です。

★「態の基本接辞」の意味は、決まっていますか。
〇意味は明確ですし、覚えやすいです。
 ①原形態:+u:動詞原形(辞書形)を作ります。
 ②可能態:+eru:(目前の)動作ができる、性能がある の意味。
 ③結果態:+aru:動作の結果状態を表す。
 ④受動態:+areru:動作結果がそこにあるという意味。(結果+可能の合成)
・4つの基本接辞を、順に使って並べてみます。
 ・休む、休める、休まる、休まれる:この並べ方が「態の双対環」に同じものです。
 ・休める:2通りの意味がある。自動詞から他動詞へ自他交替する/自動詞のままで可能を意味する。
  手を休める→いま手を止める意思がある。(交替他動詞の意味)、
  明日休めるかい?→(自動詞・可能の意味で使用)
 ・休まる:身体を休めた結果が「休まる」状態です。(原理:休むがある)
 ・休まれる:(原理:休む結果がある状態になる)
  客が休まれる→敬語。部下に休まれる→(間接)受身。よく休まれたね→結果可能。

★俗に言う「ら抜き言葉」は本来正しい可能態の活用で、「ら」が初めからなくてよいのです。
〇可能態は動作意図として可能かどうかに焦点があります。
 ・食べれる/見れる/来れる:可能だから取りかかる意図を感じます。
〇受動態の可能では、動作の結果可能に焦点があります。
 ・食べられる/見られる/来られる:
 ダメだと言っても、動作結果を表していますから、元には戻らない。また、習慣的繰り返しの動作可能を表現します。
・西欧語の受動態が助動詞「ある」+動詞過去分詞の形式ですから、日本語と似たようなものです。
・だが、日本語の受動態は、動詞原形+助動詞「ある+できる」ですから、時制の表現範囲にも、動作授受感覚にも多くの自由度があります。
・「結果」と言えども過去だけでなく、未来を見通した予測結果的な表現も日常的に使われています。
〇関西語の「熱つうて飲まれへん」は、飲めないと言うと意図が出てしまうので、不本意ながら結果的に飲めないのだと言う表現にするために「熱つうて飲まれへん」のような打消し受動態表現が使われているのです。
・この結果不可能の表現は、昔からの成句に多く残っており、なんともしがたい不如意の思いを語るのです。
 ・言うに言われぬ苦労を重ね、止むに止まれぬ気持ちから、泣くに泣かれぬ仕打ちを受けて、居ても立っても居られない。(不本意、不如意の思いは単純に可能態打消しでは表しきれないのです。だから受動態打消しを使うのです)

2015/01/28

日本語文法:自他対応接辞と動詞態8

2015/01/28(水)

(9)動詞の未然形に態接辞を付加するのではない

〇なぜ学校文法では受動態の助動詞を「れる、られる」と表現するのか?
・一見すると、公平な表現のように見える。
 学校文法:動詞の未然形に「れる、られる」を接続する。
 ・五段(子音語幹)動詞:読ま・れる、書か・れる、打た・れる
 ・一段(母音語幹)動詞:食べ・られる、考え・られる、見・られる 
しかし、よく考えてほしいのは、動詞の未然形で接合するならば「子音終わり」になるものはなく、すべて動詞側が母音になっているはずです。
・ですから、受動態接辞には「れる」一本やりで、
 ・読ま・れる、書か・れる、と同様に、食べ・れる、考え・れるが受動態でよいはずです。

・あるいは、「られる」一本やりで、
 ・受動態:読ま・られる、書か・られる と同様に、食べ・られる、考え・られる と統一すればよいはずです。
〇しかしながら、こんな統一にはだれも賛成しないでしょう。
 動詞態の派生を考えるとき、
〇学校文法で態の助動詞・接辞を結合する際の説明が間違いなのです。
「動詞活用の未然形につなぐ」という視点が間違いです。
・未然形の条件で足りずに、五段活用と一段活用の区別も付け加えている。本来は子音語幹か母音語幹かの区別だけでよいのです。
・日本語文法が早く「ローマ字つづり解析」を採り入れ、あるいは、問題発生したときの研究者の道具としての「ローマ字つづり解析」と限定してもかまわないですから、なんとか改善してほしい。

 以下、思考実験に入ります。
「態の双対環」演習図改でも示すように、動詞語幹に接辞をつなぐことを基本にします。
〇態の接辞はすべて、各態ごとに「一本やり」表現ができます。
 ・可能態接辞:(r/s)eru
 ・結果態接辞:(r/s)aru
 ・受動態接辞:(r/s)areru
〇子音語幹につなぐ場合、(r/s)が不要です。
 ・受動態なら「+aれる」を接合します。
〇母音語幹につなぐ場合、rかsを付加してつなぎます。
 ・受動態なら「+られる」か「+される」を接合します。

(10)未然形の落とし穴

〇学校文法は、動詞の未然形に受動:「れる、られる」をつなぐと説明する。これは大きな間違いです。
・受動態で思考実験してみましょう。
 ・読ま・れる=読ma+reru (読ma:未然形のaだと思い込まされます)
 ・書かれる=書ka+reru (書ka:未然形のaだと思い込まされます)
 が学校文法のやり方です。
〇受動態接辞の大事な構造:「ar・eru」が見失われています。
「態の双対環」では、動詞語幹との接合と規定していますから、
 ・読m+areru、
 ・書k+areru と解釈します。
 ・食べ+r・areru
 ・考え+r・areru と解釈します。
〇受動態は「結果:aru+可能:eru」であり、「態の双対環」によれば構造がきちんと保存されます。
〇逆に、学校文法の未然形接合では、「結果+可能」の構造が壊されています。
・学校文法に頼る人には受動態が内包する「結果」要素が見えないのです。
・文法学者の多くも受動態の「結果」内包を感じているかもしれませんが、構造として「結果」を見抜ける人は少ないはずです。残念ながら、、、
〇すでに、打消の助動詞:+(a)nai、敬体助動詞:(i)masuなど、未然形や連用形につながずに、語幹に接合できる助動詞を記述しました。
・ない、ます、は子音始まりの接辞ですから、動詞が子音語幹の時、+a・ない、+i・ます、でつながります。
(読m+a・nai、書k+i・masu、食べ+nai、考え+masu)

(11)態接辞は辞書形語幹に接合する

〇打消しや敬体助動詞は動詞活用につながると見なしてもよいかもしれませんが、態の接辞については動詞語幹に接合すると法則化したほうがよい。
 思考実験のたどり着くところ、はじめて記述します。
〇動詞語幹+(r/s)とは、いったい何かと考え詰めると、思い当たるのは、これで動詞辞書形の語幹を作り出しているのですね。
・動詞辞書形の語幹=動詞語幹+(r/s)ということなのです。
 ・読m、書k、休m、歩k、
 ・食べr、考えr、見r、
〇「辞書形語幹に接合する」と教えられれば、だれも間違えない。
〇「強制態」への派生は、辞書形が辞書にないので困りますが、
 ・読まs、書かs、休まs、歩かs、
 ・食べさs、考えさs、見さs、として辞書形語幹にできます。
〇「辞書形に接合する」との定義なら本当に「一本やりの接辞」ができます。
・辞書形語幹+eru:可能態
・辞書形語幹+aru:結果態
・辞書形語幹+areru:受動態
という美しい形態になります。
すごいですね。

日本語文法:辞書形語幹+態接辞が正しい使い方
2015/01/28(水)

 目から鱗の「態の双対環」操作です。
ブログを書きながらの思考実験中でしたが驚きの発想にたどり着きましたね。
日本語の動詞態の真実の姿を見つけることができました。
〇動詞態=動詞辞書形語幹+態の接辞。(未然形につなぐのは間違い)
 ・辞書形語幹:読m、書k、歩k、さがs、たよr、食べr、考えr、見r、
  辞書形語幹であれば、すべて語尾は子音終わりになっている。
①態の接辞:基本接辞4つ
 ・辞書態:+u:読m+u、食べr+u
 ・可能態:+eru:読m+eru、食べr+eru
 ・結果態:+aru:読m+aru、食べr+aru
 ・受動態:+areru:読m+areru、食べr+areru
 (読む、食べる/読める、食べれる/読まる、食べらる/読まれる、食べられる)
②強制系生成接辞:(r/s)asu
 ・強制系辞書形語幹:読m+as、書k+as、食べs+as、見s+as、
 (読まs、書かs、食べさs、見さs、)
 〇これに基本態接辞を付けると
 ・読ます、食べさす/読ませる、食べさせる/読まさる、食べささる/読まされる、食べさされる
③使役系生成接辞:(r/s)aseru
 ・使役系辞書形語幹:読m+aser、書k+aser、食べs+aser、見s+aser、
 (読ませr、書かせr、たべさせr、見させr)
 〇これに基本態接辞を付けると
 ・読ませる、食べさせる/読ませれる、食べさせれる/読ませらる、食べさせらる/読ませられる、食べさせられる

 態の助動詞は、動詞の未然形に接続すると言う間違った教えを捨てきれずに心の隅に残っていたんですね。今回、本当に「未然形に付けるのは間違いだ」と言いきったから、思考実験が先に進んだのでしょう。
〇日本語文法の宝箱にたどり着き、
・動詞態は辞書形語幹につなぐもの
 を「態の双対環」操作で確認しました。
(読める、食べれるが正に併行していること、読まれる、食べられるが併行していること、すべてが併行していると明示できたと思います)
〇やはり、文法則は簡潔で美しいものですね。

2015/01/25

日本語文法:自他対応接辞と動詞態7

2015/01/25(日)

(8)自他対応接辞:態の双対環図が意味するもの

 今回も本屋の店頭で立ち読みした本をはずみにして書き始めます。
加藤重広:『日本人も悩む日本語~ことばの誤用はなぜ生まれるのか?~』:朝日新書:2014年10月30日第一刷発行
加藤本の第一章のはじめに「ら抜き言葉」について記述があります。
・その論調は世間常識とほぼ同じか、少し劣るかくらいに「ら抜き」を生殺し程度にしか認めず、格式ある文体にはそぐわないとの見解です。
昨日今日に始まった問題ではないのだから、働き盛りの言語学者ならばもう少し掘り下げた論理を展開してほしいと欲目で思います。
全編で多数の誤用、混同を論じているが、白黒はっきりさせるのではなく軍配預かりの論調です。

 動詞の態について言えば、、、以下思考実験へ入ります。
3回目に掲載した自他対応接辞「態の双対環」演習図を別掲示しました。(図の後尾に説明を追記)
自他対応接辞:態の双対環演習図改 参照
いま、この「態の双対環図」を眺めると、そのなかにたくさんの文法的宝物が隠れているのだと痛感します。
ここ1、2年間の思考実験の各段階で浮かんできた「妙案だ!」と思い付いたこと、それらの発想は、実は双対環図のなかに盛り込まれてあったものなのだと思い至ります。

〇思考実験は、次の疑問から始まりました。
①動詞の自他対応を模型的に理解する方法として、直線上に受動態、可能・自発態、自動詞、他動詞、強制態、使役態が一列に並ぶと見なすのが伝統のようだ。
 しかし、一列構造では、自・他動詞、強制、使役の動詞自体がともに直接的に受動態へ派生できることを説明できないのではないか。
②可能動詞・可能態を派生させる方法が子音語幹の動詞だけに限定して、「+eru」を付加して作るという。例;書ける、読める、立てる、泳げる、呼べる、切れる(切れるはkirが語幹だから、~れるが現れるが、それ以外は現れない)。
 しかし、母音語幹の動詞に「+(r/s)eru」を付加して作る、食べ・れる、見・れる、着・れる、などを認めないのはなぜだろうか。「来・れる」も不規則動詞の可能態へ正しく活用を働かせる法則範囲にあると見なせるものだろう。
 食べれる、見れる、着れる、来れるを捨て去り、食べられる、見られる、着られる、来られるだけを、書ける、読めるなどと等価だとする言語感覚には共感し得ない。
等価なのは、書ける、読めるに対して食べれる、見れるの形態であり、また、書かれる、読まれるに対して食べられる、見られるが対応する形態なのです。意味の対応もこれならば釣り合います。

〇思考実験の最初の山場と感じたのは、自他対応の接辞が動詞態につながる助動詞と重なるものだと得心したときです。
・自他対応接辞の対構造:見つめていると
 ・能動の自他対立(語尾の音素)→自動詞:ru/他動詞:su
 ・動作を完結するの自他対立→自分完結:aru/他人任せ:asu
 ・動作の完結と開始の自他対立→完結・自動詞:aru/開始・他動詞:eru
 (aru/eruの自他対応の組み合わせが一番多いというが、eru接辞の意味は謎めいている)

〇思考実験が「態の双対環」へ到達したときには、
 ・完結、結果:aru←文語体の受動であり、
 ・他人任せ、強制:asu←文語体の使役であることに気づいた。
 ・口語体では、ar・eruで受動、as・eruで使役を表す。
 (eruが口調合わせの便利接辞として使われる)
 これで自他対応接辞が動詞態のための助動詞へも利用されてきた証拠を見つけたことになる。

〇「態の双対環」を操作して多数の動詞を思考実験してきて分かったことは、
 ・可能接辞:(r/s)eru の意味を整理できたと感じる。2つの機能がある。
①可能態としての機能:
 ・江戸時代:無対自・他動詞の子音語幹動詞に付加した:読める、書ける、歩ける(可能動詞)
 ・昭和時代:全動詞の子音・母音語幹の動詞に付加した:渡れる、食べれる、来れる
  (明治時代も含む)
②自他対応、自他交替の接辞としての機能:
 ・有対自動詞に付加した:立つ→立てる:他動詞に交替できる。(可能自動詞の意味もあり)
 ・有対他動詞に付加した:割る→割れる:自動詞自発に交替できる。(可能他動詞の意味もあり)

〇「態の双対環」を眺めて思考実験を進めると、
・可能態には深層心理として2つの意味を表しているのではないか、と感じる。
①第一の意味は、
 ・人がその動作ができる:可能の性状表現の意味:「漢字が読める」
 ・物がその動作に適した機能を発揮できる:自発の性状表現の意味:「ナイフが切れる」
②第二の意味は深層にあり、
 ・「目前の動作」が可能だとの意思/意図の表明:
 ・「目前の動作」に取りかかったとの表現にも使われるのではなかろうか。
 (動作の開始を示唆する)

〇可能態と受動態の可能表現の意味は、
 ・使える:目前の動作:使うことができる。
 ・使われる:結果可能、習慣的可能。世間で繰り返し実行可能。
 のように大きな違いがある。

2015/01/18

日本語文法:自他対応接辞と動詞態6

2015/01/18(日)

(7)「態の双対環」表記の改善

 3回目の「態の双対環」図表での修正追記したことから、今回は工夫しました。
〇思考実験三原則を「態の双対環」横書表記の形式で有効に視覚化してみた。
例:(補語:人:A、B。物:Z、Y。自他交替対↓、↑。態派生不可:×。不適:?)
・AがZを↓取る・↓取れる・取らる・取られる:他動詞
・Zが↑取れる・?取れれる・?取れらる・?取れられる:自発自動詞(離され自然に取れるの意味)
 (4型)動詞は、割れる、破れる、焼ける、など、物が破壊される方向へ状態変化することを表す自発態の自動詞です。人が破壊的動作をすることを表すのが割る、破る、焼くなど他動詞側になるわけです。
〇そこで受動態の場合の構文例を、
・AがZを・取られる:で考察すると、取る・が・あれるですから、尊敬でも、結果可能でも解釈できます。
・AがBにZを・取られる:と言うなら、Bによる取る・が・あれるで受け身の意味合いが確定します。
・Aが罰金を・取られる、と具体的な補語が決まれば受身らしくなります。
〇日本語の受動態が被動作者を主格補語にした構文を作ることが多いのも、この表現方法があるからでしょうね。
 (6型)動詞も倒れる/倒す:自他対応ですが、
・A/Zが↓倒れる・倒れれる・倒れらる・倒れられる:自動詞・いくぶん自発的
・A/ZがZ/Bを・に↑倒す・倒せる・倒さる・倒される:他動詞

 また、能動系と強制系、使役系の併行状態を思考実験表記してみよう。
・AがZをNと・呼ぶ・呼べる・呼ばる・呼ばれる:他動詞
・AがZをNと・呼ばす・↓呼ばせる・呼ばさる・呼ばされる:強制他動詞
・AがZをNと↑呼ばせる・呼ばせれる・呼ばせらる・呼ばせられる:使役他動詞
〇この例は補語を拡張して「N:名詞」を表記しました。そこで、「K:形容詞」や「KN:形容名詞、形容動詞」、「D:動詞」、「H:副詞」など品詞を定義しておくと、日本語の基本文型を表現するのに便利になります。
→『国際文法感覚で作った新日本語文法 N記号体系』西村肇:インターネットHP情報による「品詞記号」をヒントにしたもの。
・基本文型への応用はまだ何もありませんので範囲外としておきます。
〇もう一度、AがZをNと、に戻ります。
・能動系と強制系、使役系ともに受動態の構文を考察する。
・AがZをNと・呼ばれる/呼ばされる/呼ばせられる、の構文は受身であれば補語の格変化が必要になります。
→AにZがNと・呼ばれる:
・BがAにZをNと・呼ばされる:
・BがAにZをNと・呼ばせられる:
このように強制系、使役系では動作を自分でするのではなく、相手・仲介者にやらせる構図ですから、補語関係(登場人・物)が膨らんできます。
・日本語の会話の場では、すでに話題になった事態について既知の補語を省略することがありますから、述語文節が焦点を当てている補語(登場人・物)を頭の中に共有しておく必要があります。また、逆に「ぼくはウナギだ」のように述語文節が明確ならば省略・短縮してしまう場合もあります。

 さて、各動作系の受動態接辞を比べて見てください。
・能動系受動態:(r/s)areru だが、ひらがな形態では、
 ①子音語幹t+aれる:立たれる
 ②子音語幹s+aれる:逃がされる
 ③母音語幹e+raれる:逃げられる
の3種類があるように見える。
・強制系受動態:(r/s)asareru
 ④子音語幹t+aされる:立たされる
 ⑤母音語幹e+saされる:考えさされる
の2種類があるように見える。
・使役系受動態:(r/s)aserareru
 ⑥子音語幹t+aせられる:立たせられる
 ⑦母音語幹e+saせられる:考えさせられる
の2種類があるように見える。
 各系で受動態接辞の原理は一つですが、子音語幹と母音語幹に対応する方法が選択肢になっています。母音語幹に対しては(r/s)のどちらかを選択して挟み込みます。
特に、強制受動態(~aされる/~さされる)と使役受動態(~aせられる/させられる)との意味の違いには、思考実験を試みています。以前に「受動態の多面性-4、-5」で取り上げていますがすっきりした解釈ではありません。「日本語文法『曲がり角の日本語』水谷静夫7」でも取り上げて少し進んだ考察を述べました。
 今回はここまでにします。
〇表記法を工夫した「態の双対環」方式で、考える道具の説得力が少しは増したでしょうか。

2015/01/15

日本語文法:自他対応接辞と動詞態5

2015/01/15(木)

(6)なぜ「れ足す言葉」を使ってしまうのか

 まず、修正を記述します。3回目の内容・図表で自他対応接辞の(4型)解説を直しました。
〇取る(他動詞)/取れる(自動詞)群の自他交替で派生する動詞は2義あり:一つは自動詞自発態、一つは可能他動詞です。
・「人形の手が取れた」:自然物の変化状態を言う自発自動詞の使い方です。
・「免許証が/を取れる」:人の動作だから可能他動詞としての使い方です。
〇さらに注意すべきは、2義ともに動作の表現でなく、状態や性状を言い表す動詞(所動詞)になっており、これ以上に態の活用を進めると意味が飛んでしまいます。
(受動態が作れない動詞:所動詞)
・動作動詞(能動詞)ではないと確認するには、「態の双対環」で
・取れる→?取れれる→?取れらる→?取れられる、と派生させてみる。態の回りがおかしく、意味が異常になります。
〇特に図4型動詞の解説には必須の重要事項であるのに欠落させてしまいました。お詫びいたします。(図と記事内容をすでに訂正)
〇自他対応接辞の思考実験原則②を忘れず実践しなくては・・・

 「れ足す言葉」とは、
・読める→読めれるのように、すでに可能態である「読める」に「読め(れ)る」と「れ」を足すことから名付けられたようです。
・二重可能態という変な形態です。
〇若者の傾向として、動詞の語幹を見つけるのに、「ひらがな分析」を続けているから、子音語幹だと見つけられないのでしょうか。
・読む=読m・uに戻れずに、読める=読め・ると分解したうえで、読め・れる と二重に可能活用してしまうのか。(下一段活用が増えていく理由だろうか)
・「られる」の「ら抜き:れる」が独り歩きしているのでしょうか。
・可能態は「れる」付ければよいとの安直な教えに従っているのでしょうか。
・逆に可能態には「ら・れる」しかないと、すべてに「ら足し」する傾向もある。
・また、強制・使役態での「さ入れ言葉」の問題もありますね。
〇学校文法での助動詞教育に問題がありますが、特に「動詞の態」に関しての教育内容が貧弱です。
・英語教育の前に、日本語の音素教育をローマ字つづりで教えることと、動詞の語幹を見つけられるように動詞活用をローマ字つづりで練習するのがよい。世界では通用しない「ヘボン式」を教えるのではなく「訓令式ローマ字つづり」が日本語の五十音図表に適合しています。
・その上で「態の双対環」で動詞の態活用を操作しながら、意味を考える練習をすると、なにが間違いかが分かるようになる、と思います。

 今までに「れ足す言葉」の実例を直接耳にしたことがありません。
〇「取れれれば」と言われて、即座におかしいと感じるかどうか自信がない。
・しかし、「態の双対環」を操作して可否を判定できますし、なにがおかしいのかを説明できます。
〇「入れれれば」を聞いて、即座にOKと感じるかどうか自信がありません。
・しかし、「態の双対環」を操作して可否を判定できますし、なにでOKなのかを説明できます。
〇もしも「態の双対環」でなく、手抜きして「ら足し検査」を試してみると、
・「取れ・ら・れれば」で判定できますか。
・「入れ・ら・れれば」で判定できますか。
 通常、この「ら足し検査」に近い感覚で可能態を判定しているのでしょう。
「ら足し:r・ar・eru検査」ですから、受動態検査:所動詞検査でもあります。
〇しかし、「入れれれば:可能他動詞」を「入れられれば:結果可能・受け身」と言い換えてはいけません。意味が違います。
〇「予断の視点」に染まっていると意味の違いに気づきません。
・また「ら足し検査」だけで、「取れれれば」の間違いを相手に納得させるだけの説明ができるでしょうか。
(取れるが持つ可能他動詞性を生かすなら「取れれば」で十分のはずだが、納得が得られますか)

 自他対応接辞の4型の修正解説から始めましたが、別の視点で無対自動詞、無対他動詞などでの「れ足す言葉」を考察したい。(語尾が~れる・~eru の動詞)
・忘れる・忘れれる・忘れらる・忘れられる:忘れ・までが共通語幹。(語幹が見つけやすい)
・別れる・別れれる・別れらる・別れられる:別れ・までが語幹。
・避ける・避けれる・避けらる・避けられる:避け・までが語幹。
・触れる・触れれる・触れらる・触れられる:触れ・までが語幹。
〇文語体では、忘る、別る、だったのが、口語体へ変化するとき、忘るる、別るるから→忘れる、別れる、と融通性のある「れる」になったのだろうか。
・下一段活用の動詞が増えてきたのは間違いない。
〇小島剛一本「再構築した日本語文法」の記述では、忘れれる→忘れれれば、別れれる→別れれれば、(可能+仮定)が論理的に派生できるのだが、実際には忘れられれば、別れられれば、が使われる場合が多いとある。
たしかに、「3連れれれ」は珍しいだろうが、昔語りに出てくる忘れる、別れるのことだとすれば、当然「忘れられれば」「別れられれば」という「結果の可能態」で話されるはずです。
目先の忘れるや別れる可能性を話しているわけじゃないだろうから。
・「結果」を本当に実感するには、「忘れらる」、「別れらる」という結果態を脳裏に浮かべて「忘れるがすでにある」、「別れるがすでにある」と想像するように訓練すると良いのだが、どうだろう。
〇「予断の視点」を修正して、受動態に含まれる「結果接辞」を見つけてほしい。
・「忘れれれば、別れれれば」などでは「3連れれれ」が理論的に派生できるし、必要なら使うべきでしょう。
・強制態接辞:(s/r)asuの場合、二重強制受動態で「食べささされる、試ささされる」のような「3連さささ」が論理的に派生できる。必要なら使うべきでしょう。
・親に命じられた子どもに餌を食べささされている猫からみた受け身表現ですから、めったには必要にならないでしょうが、、、
こんなときは、省略的に一段の強制受動態にして、子どもに餌を食べさされる猫と言っても遠からずかもしれませんが、、、
〇いずれにしろ「態の双対環」方式で、可能態、結果態、受動態、強制態、使役態を動詞語幹+態接辞で作り上げる練習ができれば、「ら抜き、れ足す、ら足し、さ入れ」などの動詞態の混乱問題は全部解消できるのだろう。
・日本語教師や学習者のための考える道具になるはずです。

2015/01/13

日本語文法:自他対応接辞と動詞態4

2015/01/13(火)

(4)なぜ「ら抜き」可能動詞が必要なのか

 江戸時代が起源だという「可能動詞」は、一部の子音語幹の動詞に対して使われ始めたらしい。
〇江戸時代:(推測復元)
・子音語幹動詞の可能態の創出:無対自動詞・無対他動詞だけに活用したのかもしれない。
 読める←読m・える/書ける←書k・える/直せる←直s・える など。
・母音語幹動詞に対しては「可能動詞形態」を創出できずにいた。
(受動態で表す可能表現にしてもどれほど普及していたのだろうか)

〇昭和時代:(推測復元)
 戦後の混乱期、目前の可能を表現するために母音語幹動詞にも可能態が必要になったのだろう。
・母音語幹動詞の可能態の創出:動詞已然形に+るを付加する方式で統一できた。
 食べれる←食べれ・る/立てれる←立てれ・る/見れる←見れ・る/来れる←来れ・る など。
〇これで子音語幹、母音語幹ともに全部の動詞が「目前の可能」を表現できるようになった。
〇目前の可能態:
・子音語幹動詞:読める/書ける/直せる。(江戸時代から継続)
・母音語幹動詞:食べれる/立てれる(有対自他動詞)/見れる/来れる。(昭和の時代が生み出した順当な法則)
 この「目前の可能」を整備したおかげで、従来の「結果の可能:受動態」の構造が全動詞で共通に結果可能として運用できるようになった。
〇結果の可能態:受動態中の可能成分
・子音語幹動詞:読まれる/書かれる/直される。
・母音語幹動詞:食べられる/立てられる/見られる/来られる。
(学校文法として目前/結果の区別・改訂がなされずに来ている)
〇注釈が遅れましたが、「ら抜き言葉の可能形」は「目前の可能」を表し、「ら入り言葉:受動態で表す可能形」は「結果の可能」を表しますから、区別して記述します。当ホームページで思考実験により提唱する「結果態」の概念を取り入れた命名です。(平成時代)

〇平成時代:いまだ混迷のなか。
・公的機関(学校文法、情報機関、文法研究)は「ら抜き言葉」と見なして排斥的な立場を公言している。
・近刊の、内館牧子:『カネを積まれても使いたくない日本語』:朝日新書:2013/7/12
を本屋店頭で立ち読みしました。
目次に第一章「ら抜き言葉」、えっ、一章全部がそれだけって!
〇内館本:文筆家だからと期待したが思考展開がなにもない。
・既読の小島剛一:『再構築した日本語文法』:ひつじ書房:2012年8月1日
〇小島本:言語学者で独特の感性を発揮されるが、「ら抜き可能態」支持には与しないだろう。
〇混迷する原因には、当然ながら学校文法の旧弊な教えがあるからだが、文法研究者が気づかないことには愕然とする。
〇両者の本には「共通する予断の視点」があります。つまり、
・普段は「ら抜き言葉」を使う人でも改まった場所では「ら入り言葉」を使うじゃないか。という見方です。ご自身で誤解されているのですが、誰も的確な意味の違いを教えて差し上げられないでいます。
〇「ら抜き言葉」と言われる表現は、「目前の可能」=今やることが可能だと思う意志の表明です。
・「ら入り言葉:受動態」で表現するのは「結果の可能」=実行結果(予測した結果発言でも可)での可能を表明するものです。
〇だから、同じ人が話すとしても、気安く「目前の可能」意志を言うときと、報告事項の「結果の可能」を言うときとは、区別して使い分けているのです。
・決していい加減に混同しているのではありません。
・意味の違いを感得した人は、読めると読まれるをきちんと区別するように、食べれると食べられるをきちんと区別して使い分けます。

(5)なぜ「ら入り可能」動詞(受動態の可能成分)が必要なのか

 戦後70年を経たというのに、「目前の可能」と「(過去の、将来の、現在の)実行結果の可能」とを区別して表現できないような日本語なのでしょうか?
きちんと区別して表現できます。
・「ら抜き可能:目前の可能」も「ら入り可能:結果の可能」もどちらも必要な動詞態なのです。区別して共存共栄すべき動詞態なのです。
・「目前の可能」:可能態接辞(r/s)eruを付加。
・「結果の可能」:受動態接辞(r/s)ar・eruを付加。
〇受動態接辞は、結果:aruと可能:eruの組み合わせで構成されているのです。
・受動態のaruは中間に挟まれているので、時制変化を担わなくて済むために、過去、現在、未来を見通して「結果」を表現できます。
〇可能態接辞、受動態接辞(結果態接辞+可能態接辞)ともに極小音素でありながら深い意味を持っています。自他対応接辞として生まれて文法的な動詞態を形成したわけです。
・「態の双対環」方式を活用して、可能・結果・受動の個々の接辞を操作してみると、接辞相互の意味合いがよく理解できますし、共存共栄と言うかどれかが欠落してしまうと、「双対環」が構成できないことが実感できるでしょう。

 前節で「2冊の本で共通する予断の視点」を指摘しましたが、もう1点の言語現象:「×取れれれば」、「〇入れれれば」のような可能仮定形に関しての「予断の視点」について別途記載していきたい。

2015/01/09

日本語文法:自他対応接辞と動詞態3

2015/01/28(水)
 演習図に再度追記しました。
〇動詞語幹に(R/S)を結合すると言うことは動詞の基本形、辞書形を作ることだと気づきましたので、急ぎ追記しました。 詳しくは28日付の8回目をお読みください。

2015/01/09(金)

(3)動詞態を思考実験するための三原則:③

③自他対応接辞の意味と、動詞態として使うときの接辞の意味を明確にして「態接辞の体系」を検証に耐え得る定義にすること。

 日本語学習者にとって動詞の自動詞・他動詞の区別を学ぶことも課題のひとつだから、簡便な区別法があるとよい。古来より研究されて来たようだが、金谷本、寺村本には、本居春庭や 佐久間鼎の研究の成果が記述されてある。それを出発点に思考実験をしてきました。
〇参考図をみていただきたい。
Photo
・自動詞と他動詞の対が見つかれば、その対の型から容易に判定ができる。
・自他対応型が(5)型~(11)型ならば、語根にR音があれば自動詞、S音があれば他動詞と見分けられる。
・(1)型~(4)型の場合ならば、語根にARUがあればそれが自動詞、語根にERUがある場合には次の注意点を確認してください。(3)型と(4)型がERUありの自他対応型ですね。
追記:(4)型の図に追記。自動詞へ交替した動詞は自発態になり次段「双対環」活用は不適になります。
〇接辞:ERUは二刀流のような融通性があり、
・自動詞語幹+ERU=~の状態にする:他動詞化の機能と、
・他動詞語幹+ERU=~の状態になる:自動詞化の機能と の二義(自他交替の機能)を内包しています。
・また「動詞の動作:自他交替」でなく「性状化を表す」場合の第三義は、
・自/他動詞語幹+ERU=~ができる、~が可能だ、という意味を表現できます。
 日本語文法:可能態の謎を解くにも少し記述したように、
〇接辞:ERUには上段のように3つの意義がありますが、3つに共通する意味の深層構造が存在します。
 それは動詞活用の已然形(既然形、仮定形)が持つ意味によるものです。(接辞:E・RU)
・動詞の已然形(既然形):~E(読め、飲め、食べれ、見れ、歩け、泳げ、立て、取れ)には、「すでに然る」ですから動作に取りかかる意味合いが生じており、それに「RU:る」が付いた形態になると取りかかる意味合いが定着します。
・取りかかる意味合い:~の状態にする/なる、~が実行できる・可能だ という想念が定着する。
〇思考実験:(思いめぐらしてみます)
自動詞已然形+る:立て+る(自他交替なら他動詞、交替しないなら可能自動詞)、 
他動詞已然形+る:取れ+る(自他交替なら自動詞自発態、交替しないなら可能他動詞)、
・自動詞已然形+る:?乾け+る(乾く:状態動詞だから適用できず)、
・自他動詞已然形+る:蒸せ+る(交替しない?、交替ないなら可能他動詞)、
・無対自動詞已然形+る:歩け+る(交替しないから可能自動詞)、
・無対他動詞已然形+る:食べれ+る(交替しないから可能他動詞)、
(已然形・仮定形の活用は、終止形・連体形「食べる」のあとだから、「食べれ」までが已然形態です。
 同様に、見れ、考えれ、調べれ、なども已然形態ですから、食べれる、見れる、考えれる、調べれるが成立します。「ら抜き言葉」と言われる理由はありません)
〇読める/読まれるを区別し、混同しないのと同様に、食べれる/食べられる、見れる/見られるを混同しないで使い分けができる日本語の使い手が必要なのです。

〇動詞態に活用する可能態接辞:(r/s)eruも当然にこの融通性を受け継いでいます。
・その融通性は、受動態=結果態+可能態の組み合わせでも十分に活かされます。
・つまり、受動態が「eru接辞」をつけても違和感なく能動的役割にも、受け身的役割にも、結果可能、習慣的可能にも(活用されて)解釈できる理由がこの融通性なのでしょう。
〇「態の双対環」演習には、自他の対関係だけでなく、無対自動詞や無対他動詞などに対しても応用できますので、試してみてください。

2015/01/06

日本語文法:自他対応接辞と動詞態2

2015/01/06(火)

(1)動詞態を思考実験するための三原則:①

 前回に記した「動詞態を思考実験するための三原則」の①自他対応接辞が動詞語幹と結合して動詞態を形成する、と言う視点は、突き詰めて考えると、新しい動詞が生み出されるということです。
日本語文法:動詞語幹と態接辞の接合法の連載で示すように、すべての態接辞の表記を動詞基本形(辞書形)となるように構成しています。
・能動:休む/可能:休める/結果:休まる/受動:休まれる(どれも辞書見出し語になる資格あり)
・強制:休ます/強制可能:休ませる/強制結果:休まさる/強制受動:休まされる(どれも辞書見出し語になる資格あり)
・使役・強制可能:休ませる/使役可能:休ませれる/使役結果:休ませらる/使役受動:休ませられる(どれも辞書見出し語になる資格あり)
〇この「動詞態を含めて派生した動詞基本形だ」との考え方は、時枝文法の述語文節区切りと合致します。
 日本語文法:日本語をどう見るか7
・助動詞のなかでも、態接辞は動詞語幹と密接に結合しており、専用の「動詞態一覧表」を作成して辞書の付録にも優遇配置すべきものでしょう。
・可能態(eru/reru/seru)と結果態(aru/raru/saru)、受動態(areru/rareru/sareru)はそれぞれ別枠にして説明すべきだろう。
(本来別枠にすべき「れる」と「られる」を同一視して一緒枠にしたまま文法化したのが間違いの始まりです)
・強制態(asu/rasu/sasu)と使役態(aseru/raseru/saseru)はそれぞれ別枠にして説明すべきだろう。

 なお、態以外の助動詞でも、動詞語幹と密結合するものがあります。
〇打消の接辞:+(a)nai:休m・anai、食べ・naiや
〇ます、たい・たがるの接辞:+(i)masu、(i)tai・(i)tagaru:休mimasu、休m・itai、食べ・masu、食べ・tai
〇動詞中止形:+(i)φ:休m・iφ、読m・iφ、書k・iφ、考え・φ、食べ・φ(動名詞の形式、連用形)
などのように
密結合の助動詞があるので、その他の疎結合の助動詞と扱いを調整しながら助動詞一覧表(動詞態の一覧表とは別表)を作成するべきです。

(2)動詞態を思考実験するための三原則:②

②動詞態の意味解釈は文中の補語(登場人・物)との関係で左右されるから、場面情景と意味を併記して考察すべき、ということ。

・寺村本の記述文法では、補語と動詞態との関係について詳述しているが、肝心の受動態に関しては主に直接受け身、間接受け身の分析にとどまり、尊敬、自発、(結果)可能の用法にはほとんど触れていない。
なぜ受動態が多義性を持つのかにも言及していない。
 「態の双対環」思考実験では受動態のなかにある結果態接辞「aru/raru/ saru: ある・らる・さる」に気づいたところから急展開できた経緯があります。
 日本語文法:結果態の謎2
例:休むという動作に対して、
〇「休む」の受動態→動詞の動作(休む)+結果(ある)+可能(える)=休m・ar・ eru=休まれる。
・意味:(休む動作)があって、その(動作結果が存在する状態)に(なっています)。という原理で構成されているのです。
・休まれる:おじいさんは夜9時には休まれます。(習慣的可能動作、尊敬:能動)
・休まれる:昨夜はゆっくり休まれましたか?(結果可能動作、尊敬:能動)
・休まれる:急に休まれると、予定が狂ってしまうよ。(間接受身:受け身)
・休まれない:心配で心配で、休まれないだろう。(結果不可能・不可抗力的結果不可能:能動)

 このように日本語の受動態は能動的意味にも、受け身的意味にも使われる特徴があります。
〇非常に分析的に客観的に「動作の結果がそこにある」という把握をして「その状況が周囲に対して如何なる影響を生じているか」を陳述する文章を作ります。
〇注目すべきは、西欧語を含めて多くの言語で「動作の結果がそこにある」式の表現手法が受身語法に使われているのです。さらに東南アジア系の言語では、この表現を受身語法(直接受身、間接受身)だけでなく、能動的語法(尊敬、習慣的可能、結果可能)にも活用しているわけです。
〇日本語の受動態・結果態の要素接辞「ある」は、それ自身が時制概念を含まない。英語などでは過去分詞(動作をしてしまった結果を示す)で表現するので時制でも制約が生じます。日本語の結果態、受動態は時制の点でも自由です。
〇通常、日本語の受身語法では直接受身でも間接受身でも、主格補語には被動作者が表現されて、目的語は「を格補語」のままで残ります。 当然、自動詞からも受動態が自由に作れます。


 蛇足になりますが、可能態は、
・休める/読める/書ける と同列に
・食べれる/見れる/来れる を認める方向が論理的で、何の混乱も起きません。
むしろ、休める/読めると同列に、食べられる/見られる/来られる や、さらに休まれる/読まれる の3形態が同じ範疇ですと言い出す文法のほうが混乱を招いているのです。可能態と受動態は意味が違います。

〇どなたでも「態の双対環」方式を一度操作していただけば、たくさんの動詞が合理的に生み出されることを実感されると思います。
・「態の双対環」を操作して、自由に態変化動詞を生み出して、使える動詞か、使えない動詞かを思考実験してみられたらいかがでしょうか。

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