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2015/01/13

日本語文法:自他対応接辞と動詞態4

2015/01/13(火)

(4)なぜ「ら抜き」可能動詞が必要なのか

 江戸時代が起源だという「可能動詞」は、一部の子音語幹の動詞に対して使われ始めたらしい。
〇江戸時代:(推測復元)
・子音語幹動詞の可能態の創出:無対自動詞・無対他動詞だけに活用したのかもしれない。
 読める←読m・える/書ける←書k・える/直せる←直s・える など。
・母音語幹動詞に対しては「可能動詞形態」を創出できずにいた。
(受動態で表す可能表現にしてもどれほど普及していたのだろうか)

〇昭和時代:(推測復元)
 戦後の混乱期、目前の可能を表現するために母音語幹動詞にも可能態が必要になったのだろう。
・母音語幹動詞の可能態の創出:動詞已然形に+るを付加する方式で統一できた。
 食べれる←食べれ・る/立てれる←立てれ・る/見れる←見れ・る/来れる←来れ・る など。
〇これで子音語幹、母音語幹ともに全部の動詞が「目前の可能」を表現できるようになった。
〇目前の可能態:
・子音語幹動詞:読める/書ける/直せる。(江戸時代から継続)
・母音語幹動詞:食べれる/立てれる(有対自他動詞)/見れる/来れる。(昭和の時代が生み出した順当な法則)
 この「目前の可能」を整備したおかげで、従来の「結果の可能:受動態」の構造が全動詞で共通に結果可能として運用できるようになった。
〇結果の可能態:受動態中の可能成分
・子音語幹動詞:読まれる/書かれる/直される。
・母音語幹動詞:食べられる/立てられる/見られる/来られる。
(学校文法として目前/結果の区別・改訂がなされずに来ている)
〇注釈が遅れましたが、「ら抜き言葉の可能形」は「目前の可能」を表し、「ら入り言葉:受動態で表す可能形」は「結果の可能」を表しますから、区別して記述します。当ホームページで思考実験により提唱する「結果態」の概念を取り入れた命名です。(平成時代)

〇平成時代:いまだ混迷のなか。
・公的機関(学校文法、情報機関、文法研究)は「ら抜き言葉」と見なして排斥的な立場を公言している。
・近刊の、内館牧子:『カネを積まれても使いたくない日本語』:朝日新書:2013/7/12
を本屋店頭で立ち読みしました。
目次に第一章「ら抜き言葉」、えっ、一章全部がそれだけって!
〇内館本:文筆家だからと期待したが思考展開がなにもない。
・既読の小島剛一:『再構築した日本語文法』:ひつじ書房:2012年8月1日
〇小島本:言語学者で独特の感性を発揮されるが、「ら抜き可能態」支持には与しないだろう。
〇混迷する原因には、当然ながら学校文法の旧弊な教えがあるからだが、文法研究者が気づかないことには愕然とする。
〇両者の本には「共通する予断の視点」があります。つまり、
・普段は「ら抜き言葉」を使う人でも改まった場所では「ら入り言葉」を使うじゃないか。という見方です。ご自身で誤解されているのですが、誰も的確な意味の違いを教えて差し上げられないでいます。
〇「ら抜き言葉」と言われる表現は、「目前の可能」=今やることが可能だと思う意志の表明です。
・「ら入り言葉:受動態」で表現するのは「結果の可能」=実行結果(予測した結果発言でも可)での可能を表明するものです。
〇だから、同じ人が話すとしても、気安く「目前の可能」意志を言うときと、報告事項の「結果の可能」を言うときとは、区別して使い分けているのです。
・決していい加減に混同しているのではありません。
・意味の違いを感得した人は、読めると読まれるをきちんと区別するように、食べれると食べられるをきちんと区別して使い分けます。

(5)なぜ「ら入り可能」動詞(受動態の可能成分)が必要なのか

 戦後70年を経たというのに、「目前の可能」と「(過去の、将来の、現在の)実行結果の可能」とを区別して表現できないような日本語なのでしょうか?
きちんと区別して表現できます。
・「ら抜き可能:目前の可能」も「ら入り可能:結果の可能」もどちらも必要な動詞態なのです。区別して共存共栄すべき動詞態なのです。
・「目前の可能」:可能態接辞(r/s)eruを付加。
・「結果の可能」:受動態接辞(r/s)ar・eruを付加。
〇受動態接辞は、結果:aruと可能:eruの組み合わせで構成されているのです。
・受動態のaruは中間に挟まれているので、時制変化を担わなくて済むために、過去、現在、未来を見通して「結果」を表現できます。
〇可能態接辞、受動態接辞(結果態接辞+可能態接辞)ともに極小音素でありながら深い意味を持っています。自他対応接辞として生まれて文法的な動詞態を形成したわけです。
・「態の双対環」方式を活用して、可能・結果・受動の個々の接辞を操作してみると、接辞相互の意味合いがよく理解できますし、共存共栄と言うかどれかが欠落してしまうと、「双対環」が構成できないことが実感できるでしょう。

 前節で「2冊の本で共通する予断の視点」を指摘しましたが、もう1点の言語現象:「×取れれれば」、「〇入れれれば」のような可能仮定形に関しての「予断の視点」について別途記載していきたい。

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