日本語動詞の態拡張3
2015/07/21(火)
(7)「態の双対環」の効用:
「態の双対環」を使えるようになると、いろいろな場面で効用があるはずです。
・「行けれる」と言う人に対して、双対環「行く・行ける・行かる・行かれる」を示して、行けるが可能を表現するので、「行けれるだと二重可能態になってしまう」ことを根拠に示して説明できる。
・TV中継で「台風11号が通過して、風雨がすこし弱mっ、、弱くなってきています」と実況されたが、(実況者が)「双対環」練習をしてあれば、「(弱む)・弱める・弱まる・弱まれる」により、言い淀まずに「・・弱まっています」とスッキリ結果態を使って伝えられたろうにと思う。
・実況者がスッキリ「伝えれた=予測可能」ろうに、と言わずに、「伝えられた=結果洞察可能=受動態」ろうにと表現するのが適しています。
・「伝えれる=単に可能だという意図、意向=」予測可能が使える発話時空は瞬間で短いが、受動態なら時制表現の幅が広いのでこれを使うのが多くなります。ただし可能態を使うべき発話時空で取材した生の声に対して安易に受動態に塗り替えてしまうのには同意できません。
(つまり、ら抜き可能を使うべき発話瞬間を大切にしてほしいのと、結果洞察可能=受動態の意味を正確に理解してほしい。双対環演習での深層文法則です)
ここまで、「態の双対環」を構成する可能態や結果態、受動態について効能書き的な解説をしました。ただ、共感していただける方はほとんどいないだろうと思っていますし、心配です。
(8)新時代の「態の文法」
現状の日本語教育の教材には、助動詞の概念を使わずに、動詞の語尾活用として一体化した形態で説明します。
(複数の動詞活用例を学べば、自然に接続接辞が類推、分類できるでしょう)
〇日本語の助動詞が動詞と融合した語尾活用だと見なすかどうかは別にして、文法法則として正確に把握する必要があり、工夫して助動詞一覧表に表すことは学習者にも記憶の整理に役立つはずです。
現状の(学校文法、国語辞典)文法法則では、「態の文法」を正しく説明していません。
順番に誤りを訂正しながら「新たな文法法則」を作り上げてみましょう。
①動詞の未然形に態接辞(助動詞)を接続する--これ自体が誤りです。
(受動態の例:行か・れる、食べ・られる:態接辞=areruが見る影無しのこま切れ的な扱いだ)
②動詞語幹に(r/s)態接辞を接続する--音素解析を採り入れた方法です。
(受動態の例:行k・areru、食べ(r)areru)
(受動態、使役態に有効だが、残念なことに可能態、結果態への法則化を言及していない)
③新たに法則②を可能態、結果態にも適用拡張すれば、「ら抜き:ar抜き」言葉:OK、「さ入れ」、「れ足す」言葉:NGは理解され、問題解消するでしょう。
(可能態の例:行k・eru、食べ(r)eru)
(使役態の例:行k・aseru、食べ(s)aseru))
④動詞語幹が母音語末のときには(rか、sか)を付加してから、態接辞を接続するとは→「動詞辞書形の語尾子音までを語幹」として扱い、それに態接辞を接続するという文法法則だということです。
(動詞原形語幹の例:行k-、立t-、食べ.r-、見.r-、考え.r-、使役の場合:食べ.s-、見.s-、考え.s-)
★有標動詞(いわゆる「る型」動詞)は能動系標識としての「.r-」語尾子音を付けたままでは、強制・使役系への変換が不自然になるので「.s-」語尾子音に変換してから強制系態接辞と結合するのが文法です。
(つまり、態動詞を派生させるときは、すべて動詞原形語幹:辞書形語尾子音までの語幹=子音語幹に態接辞を接続すればよい)
⑤態接辞は語彙的態派生(自他交替の接辞:aru/asu/eru)の接辞から生まれたものであり、動詞原形語幹(辞書形語尾子音までの動詞原形)に接続する文法則は当然の帰結だろう。
⑥動詞文では、第一に原形語幹(辞書形語尾子音までの動詞原形)に態接辞を選定して「動詞の態」を決める。第二に「動詞活用」に進む。第二段階からは、その態動詞の語幹が子音なら助動詞接辞に付加する挿入母音が工夫される。
(否定の例:行k・(a)nai、行k・are・nai、食べr・e・nai、食べs・as・(a)nai、食べs・ase・nai)
(ますの例:行k・(i)masu、行k・are・masu、食べr・are・masu)
⑦さて、法則⑤により可能態動詞の派生は拡張される。
(例:食べr・eru、見r・eru、来r・eru)
ただし、文法則:可能態:行ける/受動態の結果可能:行かれる、との意味の違いを十分に説明することが重要です。
(行くに行かれず、泣くに泣かれず、言うに言われぬ、越すに越されぬ、止むに止まれず:行動意図に対する洞察結果不可能態・人為及ばず態=受動態打消しの対向成句を吟味すると意味の違いを理解できる。行くに行けず、泣くに泣けず、言うに言えず、越すに越せず、止むに止めず、とは大違いのはずですね)
★現代の文法学者で法則③~法則⑤までを採用認知する方は誰もいません。
つまり、「ら抜き言葉」の真の原因を解釈できていない。
(「ら抜き」でなく「ar抜き」だと見抜く方も3~4学者しかいません:一般語学書を読む限りでは)
⑧日本語の受動態を特殊化し過ぎた解釈にこだわる文法学者がいるが、
・無情物を主語にした受動態:財布が盗まれる、よりも
・有情の主語の受動態:財布を盗まれる、を重用する。という程度でよいのでは。
★小島剛一著『再構築した日本語文法』では、
・黒板に漢字が書かれている:疑似受動態(西欧語の真似)と呼ぶ。日本語本流の受動態から除外したいようだ。
日本語の受動態を「情動相」と命名して、喜怒哀楽にかかわる受身表現のみを選んでいる。
・塀に落書きを書かれた:ならば、情動相の呼び名を付けるのでしょう。なんだか恣意的に過ぎる気がします。
★しかし、21世紀に生きる日本語文法としては、受動態が持つ基本構造を正しく解釈しておくべきでしょう。
・受動態=動詞原形(辞書形語尾子音までの動詞原形)+ar・er- が基本構造です。
例:書かれる=書k+ar・er・u という叙述形式が大昔から伝承された文法法則です。
・西欧語の受動態=be+書く・の過去分詞、という似たような叙述形式です。
・だから、疑似受動態などと別扱いにするのではなく、同じ受動態接辞で表す「情動相」の発展形式であり、用法を広げただけのことです。
もともと、受動態の深層の意味範囲が西欧語よりも格段に広いですから。
★受動態の意味の一部に「結果可能=結果実績的可能、苦難越えての可能、公共的可能、到達結果推測しての可能など」を表現する機能があり、通常の可能態では表現できません。ですから、可能態と受動態の結果可能は用途が異なり、独立して両者が存在すべき動詞概念なのです。
(残念ながら「可能態を受動態から独立させる利点を述べる」文法学者をお見かけするが、「動詞概念として両者の独立・併存の必要性」を唱える文法学者には未だ巡り会ったことなし。なお、前出の小島氏は今年になって「ar抜き」に気づいたことをブログ記述されたが、「ら抜き慎重派」のままです。今後「ar付き可能=受動態」と「ar抜き可能=可能態」の違いに対してどれだけ新たな考察発展があるのか期待したい)
以上、「態の文法」に関する考察を手短に記述しました。
文法法則①~⑧は動詞態の文法ですが、態の接辞には自他交替を作り出す機能力:造語力が内包されていますし、既に基礎的な動詞にはその接辞が組み込まれて使われている単語例が多数あります。
〇動詞の語彙として造語してきた伝統の文法法則と、現代人が今、自分の発話として動詞文を叙述するときに態動詞を造語するための文法法則とは基本的に同じものです。
〇その意味で「態の双対環」で態動詞派生の練習と派生動詞の「双対環:関連性」に注意しながら動詞態を活用する習慣がつくとよいですね。