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2015/10/08

日本語動詞:「態の双対環」質問箱3

追記はじめ-
★★→投稿本人注:2015/11/16:動詞基幹の名称概念を廃止します。態接辞にしか通用せず、動詞活用接辞、助動詞接辞などを含めて通用する概念としては、「動詞語幹+挿入音素+機能接辞」の全体構成から「動詞語幹+挿入音素」の部分を「機能接辞」と接続するという解釈がよい。(一般化した「動詞語幹+挿入音素」は子音終わりの基幹形態にならない場合もあるから)
追記終わり-

2015/10/08(木)
(3)「態の接続文法」に対する疑問:

Q-3 今回は私自身が感じている疑問を提起したい。「態の双対環」を考え始める契機になったことですが、
 「動詞の態文法」に関して、いわゆる学校文法に疑問を持った事柄を質問したい:
①「子音語幹動詞には、可能態、可能動詞の生成を認めるが、母音語幹動詞には認めずに、受動態による可能表現しか認めない」という文法法則に「合理的な説明」が見当らないこと。
②逆の表現で言うと、本来の動詞機能として「子音/母音」両語幹に対して「共通の理念で運用すべき法則がある」はずではないのか?
③江戸期以前では、両語幹動詞で受動態での可能表現を用いていたのだから、特別に理由があって、子音語幹動詞だけが「可能態」を生み出さなければならない文法的変革が必要だったのだろう。それは何か?
④可能態と受動態可能表現との意味の違いに対して合理的な文法説明をしていないこと。
・書ける:kak・eruは、書かれる:kak(ar)eruから「ar」抜き落したもの。
・食べれる:tabe.r・eruは、tabe.r(ar)eruから「ar」抜き落したもの。
 もちろん可能態は直接生成できますし、子音・母音両語幹で差はなく生成できるのです。
・ただし、「ar」の有無による「可能状態の意味の違い」を確実に説明すべきだと思う。
以上、4点の疑問を常々感じています。

A-3 上記の疑問に対して即答できないけれども、自問自答をしてみます。(推測だらけですが)
 従来の学校文法では、動詞活用、助動詞活用を「ひらがな解析」しているため、音素単位の解析(ローマ字解析)でなければ識別できない「子音/母音語幹の概念」がなかった。いわゆる五段活用、一段活用などで動詞を区別していた。短い単語では語幹を定義できない動詞などがあり不正確だった。
★さらに本来「動詞活用」と「態接辞の接続規則:態接続文法」とは区別すべきであるが、残念ながら文法書に明文化されずに時代を経ている。(「動詞活用の未然形に態接辞を接続する」は間違いだ)
〇帰る:kaeru→帰られる:kaer+are.ru という子音語幹の受動態接続の方法と同様に、
 母音語幹動詞でも動詞原形語尾(文法的に「.r-」語尾付加と等価)に対して態接辞を接続するので、
・変える:kae.ru→変えられる:kae.r+are.ru という受動態形態になる。
・切られる:kir+are.ru、着られる:ki.r+are.ru も同様です。
★この「態接続文法」は、「動詞基幹(動詞原形語尾子音までを動詞基幹部とする)+態接辞」が態生成の法則だと教えてくれています。
・動詞基幹:帰r-、変え.r-、切r-、着.r-、のように、母音語幹の動詞も文法的に「.r-」語尾を付加して態動詞を生成することを示している。使役態にするときは、変え.s-、着.s-:文法的に「.s-」語尾に交替させて、態生成する。(変え.s+ase.ru、着.s+ase.ru)
〇つまり、「子音/母音」両語幹に対して「共通の理念:共通の態接辞で態を生成する法則」が存在しているのです。見過してはいけない大事な法則です。
★国語学言語学者の時枝誠記は、「態接辞」を助動詞でなく「接尾語」として区分し、辞書の中では「見出し語」形式で掲載した人ですが、残念ながら「ひらがな解析」に留まっていました。現代文法には即応できません。
★「態の双対環」では、態接辞が、ar-、as-、e.r-など単音節の音素組み合せで、かつ「自他動詞の交替機能接辞」をそのまま再利用するものだと考察しました。 子音語尾の動詞原形に接合させて自他交替を生み出す接辞だったから、その原則法則を引き継いで「態接続文法:動詞基幹+態接辞」が成立すると見抜いたわけです。
(動詞基幹:母音語幹には文法的な「.r-/.s-」子音付加をして子音語尾に統一化する法則)
〇初期「態の双対環」には未熟な部分があり、態接辞に(r/s)ar-、(r/s)as-、(r/s)er-、を付加して両語幹に対応する小細工をしていました。小細工の対応幅を広くするため(r)だけでなく(s)も含めるため(r/s)形式まで考えました。(例:可能形態も広がり、寝れる/寝せる、見れる/見せる、乗れる/乗せる、など一気に生成できる)
しかし、正しくは「態接続文法:動詞基幹+態接辞」なのです。
〇以上が質問の②に対する解答です。

 質問①を整理すると二つに分けられる。
〇なぜ母音語幹の動詞に対して可能態を認めないのか?
〇なぜ子音語幹の動詞に対してだけ(可能態)可能動詞を認めるのか?(質問③で考察、前回の質問箱2に解説)
後者は質問③と重なるので、まず、前者の質問に向き合おう。
★動詞実例で考察してみる:可能態と受動態を並べて見比べる。
・食べれる:tabe.r+e.ru、食べられる:tabe.r+are.ru、
・見れる:mi.r+e.ru、見られる:mi.r+are.ru、
・覚えれる:oboe.r+e.ru、覚えられる:oboe.r+are.ru、
〇母音語幹の動詞であっても、可能態も受動態の可能表現も問題なく「可能」を表せる。
(新しい態接続文法を遵守すれば成立する。一部方言では食べれる、見れるなどが定着している)
〇古い文法(現在の学校文法も)では「可能態」を説明できない。
・食べれる:食べ+れる→未然形?+れる、が母音語幹では無理矢理通っても、
・書ける:書け?+る→已然形?+る、となり子音語幹では説明に行き詰まる。
・渡せる:渡せ?+る→已然形?+る、となり子音語幹では説明に行き詰まる。
★新規開拓したい子音語幹動詞の可能形態をうまく態として説明できない。反対に母音語幹ならなんとか説明できるのに、、、そこで、「可能動詞」という言い方で「書ける、行ける、読める」などを例示したのではないか。苦肉の策がいつまでもまかり通るようでは困ったもの。
〇新しい態接続文法を適用すれば、母音/子音語幹に拘わらず動詞基幹の考え方により、
・書ける:書k+e.ru、行ける:行k+e.ru、読める:読m+e.ru、と問題なく態形式で可能を生成できる。
〇古い文法では可能態を合理的に説明できないから、
・母音語幹動詞は可能表現を受動態で行わせ続けた。(大きな犠牲だ)
・子音語幹動詞の一部:「す」語尾の動詞は、受動態では可能を表現できない理由がある。(最近の発見)
・古い文法は理由を明かさず、子音語幹(全部)に「可能動詞」特別枠を新設した結果になるので、子音語幹の受動可能の表現がご用済みのような扱いになってしまった。(これは質問③に関連する)
〇全国的には母音語幹動詞でも可能態を使う地方もあり、「ら抜き言葉」方言として不当な扱いを受けている。
・全国的に子音語幹の受動態による可能表現を忘れかけており、可能態も受動態可能も両方を使うと方言扱いにする風潮も出ている。(これは質問④に関連する)
〇皮肉をいうと、書かれる:書k+(ar)e.ru、渡される:渡s+(ar)e.ru、の「ar」抜き短縮形が子音語幹動詞の可能態なのだと大発見したつもりで安堵する日本語学者もいたりする。
★自他交替の動詞例で一番多いのが「ar-/er-」の:あがる/あげる、かわる/かえる、やすまる/やすめる、などであり、「ar-」、「er-」ともに個別に、また対向的に使用される接辞です。受動態は2つが合成されて「ar・e.r-」の形態で使用されます。
 冗談のネタで短縮形だと言ってもよいでしょうが、それを問題の解答にするのは余りにも安易すぎだろう。(質問④に答を出してほしい)
(次回に続く)

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