態文法:「ずる・ずらく・ずらかる」の派生
2017/07/07(金)
次の投稿に構想していた『「ある」と「なる」、「する」と「なす」』を考察中に、ふと、4年前に投稿済みの日本語文法:「する」と「やる」の区別のことを思い出した。
「ar[-]u/nar[-]u 」と、「su[r]u /nas[-]u 」と、「su[r]u /yar[-]u 」と、ローマ字つづりで見ていると、妄想が浮んできた。
[y]ar[-]u であれば、互律[y]の意味合いがぴったり適合するかもしれないと思ってにんまり。しかし、これは無茶な論理ですね。
まじめな話にもどすと、国語辞典で「する」から「ずる:zuru 」に目を移して気がついた。
「ずらかる」もある。
ずる:(名)ずるいこと、人。
ずるい:(形)おうちゃくだ。こすい。
ずるける:(下一自)なまける。おうちゃくする。(古語辞典:怠ける、ものが腐る)
ずらかる:(五段自)(俗)さぼって、にげ出す。悪者が高飛びする。
(ずらす):(五段他)ずり動かす。すべらす。
・「ずらかる:zur[-/r]ak[-]ar[-]u 」という派生の流れがあるのではと感じた。-ak-接辞の態機能的な使い方です。
ずらく:ずるをすること。ずるの概念外延化。これは岩波古語辞典に載ってない。
★「ずる」のク語法で「ずらかる」が生まれたのなら、ちゃっかり、ずるして、さぼ
って、姿を消してしまう、抜け出しもぬけ空にする意味にぴったりの造語です。
〇古語辞典では、「ずる:zuru 」自体が載っておらず、
・「す」のク語法として「すらく:su[r]ak[-]u =すること、なすこと」で載っている。
しかし、「ずる、ずらく、ずらかる」はない。
〇国語辞典に「ずる」があると言うことは、
・明治期に俗語として「ずらかる:zur[-/r]ak[-]ar[-]u 」が造語されて姿を現したらしい。
そのころまでは「ク語法」も少しは実用される活用範囲にあったのだろう。
やはり、無律接辞:-ak-、無律[挿入音素:k]は思わぬところで気づかれずに機能するものですね。
・「ずらく:zur[-]ak[-]u」の意味は、「ずる」を外延化した「ずるがしこく隠れて・してやったりの」行動概念を示すわけです。
・「ずらかる:zur[-]ak[-]ar[-]u 」、ずるの概念・出来事が「ある」「あらす」と言っておいて、自分は姿を消してしまうとは、なかなか明治人もしゃれている。
明治の善童、悪童は「ずらく」な行為を見極めていたのかな。
〇現代国語辞典で、こんなふうに「ずらかる」を解明してくれる日がくるとよい
ですね。
機能接辞と[挿入音素]の関係については、次回の投稿内容にも関わりますが、
背景説明は態文法:発見!挿入音素と機能接辞の同源性に示したことが
導入になります。
今回はここまでにします。
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