態文法:已然の-e-と可能の-e[r]u-
2017/07/03(月)
文語文法で動詞の已然形と呼ばれた形態が、口語文法では仮定形と命名されて
残っている。
平安期~江戸期に日本語の変化がひろがり、動詞活用も大きく変化して、
・下二段から下一段化へ、
・終止形、連体形の一体化、
などが多発連動的に変化が起り、文法の簡略化にもつながるものであった。
ただ、「已然形」の概念が弱まり、仮定条件の概念も強化にはなっていない?
あえて欲目で仮定条件を整理してみると、
・未然仮定:D[・/r]aba:書かば/食べらば/帰らば/変えらば、
打消未然仮定:D[a/・]na[k]eraba:書かなけらば/食べなけらば
/帰らなけらば/変えなけらば、
・已然仮定:D[・/r]eba:書けば/食べれば/帰れば/変えれば、
打消已然仮定:D[a/・]na[k]ereba:書かなければ/食べなければ
/帰らなければ/変えなければ、
已然打消仮定:D[・/r]e[]na[k]ereba:書けなければ/食べれなければ
/帰れなければ/変えれなければ、のようになります。
★しかし、未然の仮定形は文法化されず、現在ではなじみがない。
さいわい、已然の方は、仮定形の名称・形態で口語文法、学校文法にも残りました。
せっかく残った「已然の仮定形」ですから、「已然」の概念をじっくり考えてみた
い。 そもそもの始まりは?
〇已然形の特長は-e-音にあります。
・子音語幹動詞から已然形が発生した? 推定で一つの発生源を述べると、
書き・あり:kak[i]・ari→kak・eri:書けり(書きつつあり:進行形)
書く→書けり(進行相、すでに書いている:已然)の意味があります。
・こんな言い方は母音語幹:「食べる」ではできません。
食べ・あり:tabe[?]ari→tabe[r]ari:食べらり?(事象:食べるがあり)。
無茶な比較です。 kak[i/?]ari/tabe[?/r]ari、こんな[挿入音素]での派生
比較は、他の機能接辞ではあり得ません。 間違いです。
・しかし、書ける:可能動詞と平衡するのは、食べらる:受動動詞で釣り合うはず
だと、長い間思われてきました。ところが、本当は別の考察通路があります。
〇実際には、已然形は母音語幹動詞にもあり、もう一つの共通の発生源です。
・已然仮定形では、書けば/食べれば/帰れば/変えれば のように、子音・母音
ともに共通接辞がつながり、已然形を形成します。
・つまり、仮定接辞:ebaにより、共通一般式:D[r]ebaで派生できます。
★だから、接辞:ebaを已然動詞化接辞:e[r]uに替えれば、共通した已然態動詞
が誕生します。(D[・/r]e[r]u:書ける/食べれる/帰れる/変えれる、が誕生)
〇下二段の動詞:受け・受け・受く・受くる・受くれ・受けよ、の未然・連用の-e-音
は、深層の意味が已然に通じるものだが、下一段化と終止・連体一体化の変化で
受け・受け・受ける・受ける・受けれ・受けろ、となった。
・已然概念の1本軸が通った「受ける」動詞の誕生で、「受ければ」の-eba-を
-e[r]u-に替えて「受けれる」と派生させる流れも起きたのだろう。
★書ける/食べれる/帰れる/変えれる、已然概念を持つ態動詞で、一般式は
:D[・/r]e[r]uです。つまり、子音/母音語幹に共通で派生できるのです。
・派生の結果は、已然態動詞語幹:D[・/r]e+[挿入音素:r]+原形接辞:u、なので、
(D[・/r]e)は新しい語幹になり(D[r]e)→Dですから、母音語幹系のD[r]uの
動詞系を生み出します。つまり、
★(書け)る/(食べれ)る/(帰れ)る/(変えれ)る の( )内が新母音語幹動詞の
扱いとなります。(已然態動詞が誕生しました)
〇なぜ、已然形の態動詞が「可能、できる」を意味するのでしょうか。
それは、動詞基本形、動詞終止形の語尾:[r]uの力によるものです。
・動詞基本形、動詞終止形は、時制としては「現在、未来」の動作を意味します。
已然形は「すでにやりとげた動作、完遂の尽力動作」を意味しますから、連結・合
成すると、「現在・未来に、やりとげる、または、完遂尽力の動作である」こと
を表出する。これが、已然態動詞が可能表現になる必然的な理由です。
文語文法から口語文法の変化(大衆の言語活用行動がひきおこした歴史的変遷)
です。 動詞活用の方法が大きく変化する中で、可能態が已然形だけから誕生し
たという説明は独断的な考察になるでしょうが、
・ただ、口語文法にわずかに引き継がれた已然形の概念:仮定形に残る已然概念
の目に見える小片-e-を考察に活かしたいと思っています。
学校文法則のなかで、已然の-e-を両語幹共通に示せるのは、仮定形しかない
のですから。
・また、可能接辞-e[r]u-については、その素性を特定の単語に求める方法もあ
ります。たとえば、「書き得る」のように可能を「得る」と提起する人もあります
が、あまりにも「的を射すぎた」接辞となり、応用範囲が狭くなりすぎて同意は
できません。
・応用範囲の広さ(自他交替接辞として自他両用されたり、受動、使役の後段接辞
になったり、)が特徴的だが、(可能動詞が動詞活用の変化移行期の試行錯誤か
ら生まれたがゆえに、)可能態そのものにしぼった検証が遅れたのではないか。
已然概念で包み込まれた可能態接辞であるから、自・他動詞にも、使役・受動動
詞にも、どんな動作動詞にも連結して意味を発揮できるのであろう。
・子音語幹の「書ける」には、前述したように、已然誕生の道が2つ(「書き・あり/
書けば」)あり、残念ながら「書けり」の新道に迷い込み、母音語幹の仮定已然と
出会えない状態が続いています。(迷い込んだ人は「ら抜き」に憤慨します)
・いまや現代口語文法やローマ字音素解析が進んだ日本語文法で、早く迷路から
日本語自体を引き上げてほしいですね。
蛇足を一つ、
・「書ける」は(書け)を母音語幹とする態動詞に派生したものだが、この動詞を
再度、可能態派生してはいけません。二重可能態となり意味を混乱させます。
だから、「書ける」、「行ける」、「歩ける」、「読める」、「飲める」などは、再派生に
向かない所動性(性能、状態だけの描写)の動詞です。一回性の態動詞です。
・通常、どの態動詞も一回性の扱いですが、特に已然仮定形は正しい使い方に
なっているから、仮定形に乗りすぎて二回可能態にしてしまうことが、誤用に
おちいりやすい理由です。
・「書ければ」はOKで、「書けれる」は二回可能態へ飛んだことで、ダメ判定です。
・「かけれる」をPCで漢字変換すると、掛けれる、賭けれる、架けれる、駆けれる、
懸けれる、などが出てきます。
同様に、「食べれれば」はOKですが、「食べれれる」は二重可能態でダメ判定。
・理由を思考実験すると、仮定形は:書け(るとす)れば、:書け(るのであ)れば、
のように、仮定には隠れた「する」、「ある」が意味を支えていると思う。
・二重可能:「書け(るをするとす)」れば」→「書け(るをするとす)る」=「書けれる」?
はダメでしょ。 (事象が存在しない) 単純に「書ける」で十分です。
同様に「書けれた」「行けれた」「飲めれた」「食べれれた」はダメ判定です。
(二段階に強制指示する二段強制、二段使役などは事象としてありえますから、
事象に即した使い方をしてよいわけです)
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