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2017年12月

2017/12/24

態文法:態接辞「ある/あす/え」考

2017/12/24(日)

 態文法を調べてきてようやくこの一年で全部の態接辞を見つけ出せた。
〇態接辞一覧:
①-ar-:結果態接辞(文語受動態接辞):[・/r]ar-(ある/らる)
②-as-:強制態接辞(文語使役態接辞):[・/s]as-(あす/さす)
③-e-:可能態接辞(文語已然・自発):[・/r]e-(え/れ)
④-are-:受動態接辞(文語受動態連用形):[・/r]are-(あれ/られ)
⑤-ase-:使役態接辞(文語使役態連用形):[・/s]ase-(あせ/させ)
⑥-ay-:現代例希少・(上代可能接辞):[・/r]ay-(あゆ/らゆ)
⑦-ak-:例希少・動名詞化(上代ク語法接辞):[・/r]ak-(あく/らく)

〇態接辞のローマ字つづりとかな文字つづり:
 上記の一覧を調べてください。
・左端:ローマ字つづりの接辞。(動詞語幹+[挿入音素]に同一形態で連結する)
・右端:かな文字つづりの接辞。(動詞語幹の子音/母音に合わせ異形態で示す)
だが通常、国語辞典表記は(る/らる)、(す/さす)のように最初の「あ」音がない。
(現状の学校文法では、五段活用の動詞は未然形活用語尾として「あ」音をもぎ取
る、という「かな文字」文法に則っているからだ)
→かな文字解釈をしている限り、「あ」音のあるなしにかかわらず(ある/らる)
 、(る/らる)のように異形態で表記するしかない。
 ローマ字つづり解釈を採れば、接辞を音素的に同一形態で表記できるし、説明
 も理解も簡単になる。
→文字がなかった「音素」の古代から、漢字の到来を受けてかな文字を作り出し
 た「音節」の上代時代になり、音素言葉からの離脱が始まったかもしれない。
 歴史的には記録に残る「かな文字」の影響が優勢になってしまうのは当然だろ
 う。

→口語文法の研究著作書のなかに、①~⑦のローマ字つづりの態接辞形態を個別
 的に指摘するものが存在しますから、当方にも見つけれた。(見つけられたと言
 えるほど実績がないので、見つけれたとしておきます)
〇かな文字/ローマ字での研究を市販本により概観して分ってきたのは、
・時枝誠記:態接辞は動詞直結の接尾語(詞に相当)とするべきもの。
・大野晋:文語受動「ある」は「生る(ある)」の意味で、活用形も「あれ、あれ、ある、
 あるる、・・」と古語辞典で記述する。
・→文語連用形が「あれ」だから、口語受動接辞「-are-」には馴染みやすいはず。
 使役接辞も文語(あせ、あせ、あす、あする、・・)で、口語接辞「-ase-」へ馴染や
 すい移行だったはず。
 (二段活用の広がった後の一段活用への収束だから、移行しやすかった)
・寺村秀夫:可能態接辞「-e-」を明確にしたが、母音語幹に連結する「-(r)e-」を
 許容していない。(可能・受動の意味が重なり合い、境界は曖昧だと記述あり)
・金谷武洋:動詞の自・他、態の受動・使役の意味を「自然の勢い←→人為的意図的
 行為」という直線軸に並べて(自他交替接辞や態接辞の機能を)解説した。
 自・他の対や態の対が鏡像関係にあるとの示唆あり。
 さらに、厄介な自他交替の事実として「可能態(と断定してないが)の振舞い」が
 自・他の直線軸に交差する様子を解説している。
 〇例:立つ(自)→立てる(他)、(自・可能):自動詞に可能態接辞を連結で対物・他
  動詞と自動詞の可能表現の2つの意味を持つことになる。
 〇例:割る(他)→割れる(自・自発)、(他・可能):他動詞に可能態接辞を連結で対
  物・自動詞・自発と他動詞の可能表現の2つの意味を持つことになる。
 (上例で、接辞-e-は可能態表現で自他交替への捻れがないのに、動作表現では
 他・自交替が起きている。接辞-e-は自動詞にも他動詞にも変えてしまう)

→金谷本:『日本語に主語はいらない』では、自・他動詞と受動・使役を一直線上の
 対向関係で考察開始しても、可能態が軸に交差し捻れた自他交替の姿が見えて
 しまうことを教えてくれる。
〇態接辞:①~⑦のうち、③可能態だけが「あ」音を持たない接辞であり、出自も
 今となっては特定しにくい。
★仮説を述べれば、接辞:-e-は「已然の概念」を表すだけの機能を持つ。
 自・他動詞の「動作が進んで已然状態になる」ことを表す。
 (いわゆる動詞活用の已然形(二段活用では連用形に相当)に[r]uがついて、新
 しい態動詞に生長した。態となる一方、已然概念は一段活用の流れに吸収され
 仮定形へ様変りすることになった)
→不思議なもので、かな文字解釈の立場にあっても「ある/あす」を他の助動詞か
 ら優先して扱う学者もいるし、ローマ字解釈の立場でも、「-e-」接辞を可能態
 と見抜きながら、出自が已然の必然にあるとの言及がない状況もある。
・可能態動作の律仕方を「互律」と見立てた。行為者が「動作できる」とき、対物が
 「動作の已然状態を受ける(それが自他交替動作に相当する場合もある)」とい
 う相互関係にあり、相互の動作関係が「物理、事理、人理、自然の理」に合うこと
 なら動作成立となる。

★「ある(受動)/あす(使役)/え(可能)」三態を考察するとき、
 (現代口語での三態は「え」がつき、「あれ(受動)/あせ(使役)/え(可能)」だ)
〇日本語の態機能の使い方は、西欧語などに比べてはるかに複雑だが、接辞の構
 造自体は単純だ。それに惑わされて、西欧語風の文法に習う思考に陥ると、「一
 本線に並んでいる」ように錯覚してしまう。
→態機能を正しく理解するための自習方法がある。
①一つの原動詞を書出し、能動系の態派生をすべて書き出す。
②その原動詞を使役系原形態に派生して、さらに使役態でのすべての態を派生さ
 せる。
③これで、能動系四態(原形態-可能態-結果態-受動態)、使役系四態(原形態-
 可能態-結果態-受動態)ができたでしょうか?
④おそらく(←osor[]ak[]u:⑦無律接辞の例)、1、2回の自習では二系四態に届
 かないでしょう。それは、
⑤日常的に使いこなしている動詞の基本構造のなかに結果態接辞や強制態接辞
 が含まれてあり、それを組み込まないと完全な理解に到達しないと気づくのに
 相当な自習時間がかかります。
・自習で完成した成果が、前回態の「双対環、マトリクス」図に図示したもので、
★三系四態の構成で、「態の双対環」もしくは「態のマトリクス」で把握するのが
 確実だと思う。
①自動詞・他動詞は行為者の「自律動作による事象の発生表現」であり、態として
 区別する必要がない。自・他動詞は能動系原形態と見なせばよい。
②強制・使役動詞は第一行為者が「自律意図により対他(人物)に命じ・指示して
 対他(第二行為者)の自律動作をさす(強制)、させる(使役)表現」であり、態とし
 て、強制系原形態と使役系原形態の二系別立てにする。
③能動系、強制系、使役系の三系はそれぞれ四態(二軸「双対環」、二軸「マトリク
 ス」)の態機能を持つ。つまり、原形態-可能態-結果態-受動態の四態がそれぞ
 れの系に付随する構成であり、「三平面の各面に四態が並ぶ」構造なのだ。
④各系が四態を含むので相互への「乗り移り」は少ないのだが、例はある。
・例:滝に打たれさせられる→ut[]are[s]ase[r]are[r]u:受動→使役受動への
 乗り移り。

 この「三系四態の態構造」の説明は随時追加を載せたい。

2017/12/16

態文法:態文法を組み上げる6

2017/12/16(土)

3.「態の双対環」とは:
 日本語動詞の「態の表現」も動詞派生の方法を用いて、動詞語幹に態接辞を付け
替えて使役・受動などを表現する。
西欧語では他動詞に限り「受け身文型」を作るが、日本語では自動詞でも他動詞
でも受動態を構成するし、その他の態派生にも制限はない。
(制限は、状態動詞(所動性)を態派生させて意味不明となる場合だけ)
〇なぜ自動詞、他動詞ともに受動態が派生できるかといえば、
 ・受動態は「動作の結果」に対応する事態(行為者、被行為者、対象物)を表現する
  形式であり、動作結果は必ずあり得るから自・他動詞の制限は生じない。
 ・つまり、受動態は受け身だけを表現するのではなく、動作結果への対応表現だ
  ということを理解しておきたい。
→従来の学校文法の概念を離れて、新しい設計図を眺めるつもりで見てほしい。
 態接辞の付け替え法則を図形的な態配列で示したのが「態の双対環」である。
(参照図2種:「態の双対環」図と「態のマトリクス」図) 
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★「態の双対環」図は、態のすべてを組み合せることを目標に
 ・原形態-受動態の:能(動)-受(動作結果への対応)の対向関係、と
 ・可能態-結果態の:動(手掛け)-静(動作結果)の対向関係、の「2つの対」を
  直交配置させて環状に「双対で環」を創作した図形である。
〇簡略的に文字列で表記する場合は、原形態-可能態-結果態-受動態の並び方
 にすれば、動作発意-着手態勢-結果状態-受動態勢を表現する構文の流れに
 合致する気分になる。
★「態のマトリクス」図は、態表現使用の局面を事象軸(出来事)と事態軸(態勢)
 の2つの尺度で区分けしたものです。
 ・原形態:事象の生起・事態の中心:自律/律他:動作の起点であり、「能動性」。
 ・可能態:事象の生起・事態の周辺を含む:互律:対他と協調動作、「所動性」。
 ・結果態:事象の結果・事態の中心:果律:動作の結果を表現、「所動性」。
 ・受動態:事象の結果・事態の周辺を含む:果互律:動作結果に対応、「所動性」。
〇両方の図で示す一般形式とは、原動詞が自動詞/他動詞の両方を対象にでき、
 また、動詞語幹が子音末/母音末のどちらでも処理できるということ。
〇両図で示すように可能態を正式な態動詞として扱うのが正道だといえる。
 (ら抜き言葉を排除する概念は賢くない)

つづく

2017/12/10

態文法:態文法を組み上げる5

2017/12/10(日)

2.自他交替派生と態派生
 動詞を生み出す法則のなかで重要なものは、まず、動作表現の種類を十分に増
やすことだ。動詞を生み出すには、「自他交替派生」と「態派生」という2つの派生
法則がある。

2-1.「自他交替派生」とは:
 一つの原動詞から「有対」になる自動詞/他動詞の対を生み出すために、特定の
 機能接辞を連結して派生する法則をいう。
〇有対動詞の例:休む→休める(自律)/休まる(自発・果律)、動く(自律)→動か
 す(自律・律他)、割る(自律)→割れる(自発・互律)、移る(自律)→移す(自律)、
 見る(自律)→見せる(互律)、
 (日本語では自他交替派生で有対動詞が多く、機能接辞にもなじみが深い)
→有対自動詞/有対他動詞:動詞語幹に特定の機能接辞を連結して対応する自動
 詞もしくは他動詞を派生する。(自動詞化接辞/他動詞化接辞、変化接辞などの
 機能接辞がある)

 なお、動詞のなかで有対でない「無対動詞」や「両用動詞」もある。
〇無対自動詞/無対他動詞:意味の上で対となる他動詞や自動詞が不必要な動詞
 で、「無対動詞」として扱われる。 もし、どうしても必要ならば、使役・受動の態
 動詞を援用して表現する。
例:歩く(自律)→歩かす(強制態・律他)、読む(自律)→読まれる(受動態・果互律)、
 (態の機能接辞も自他交替接辞に由来する)
〇両用動詞:それ自身が自動詞、他動詞どちらにも使われる。
例:ひらく(自律)、とじる(自律)、わらう(自律)、

2-2.「態派生」とは:
 動詞の行為者が自己の意思で自ら行う動作を「自律動作」とすれば、自動詞・他
動詞ともに一括して「自律」動詞と見なせる。
一方、行為者が自己の意思で他者に行わせる動作を「律他動作」と名付けるとし
て、たとえば、「強制的(命令、指示、許可)に相手に動作をやらせる」事態は日常
生活で起りうるし、多くの動詞を「律他:強制・使役」的に造語派生したい。
つまり、行為態度(意図識別:自律/律他など)を明示するための文法則として、
原動詞の語幹に「態」機能接辞を連結して態動詞を派生させる方法を用いる。
→態の接辞には、行為態度(自律/律他)のほか、各種の機能があり、動作可能(互
 律/自発)、動作結果(果律/果互律:受動)などの識別に利用される。

★行為者の視点で動作態度を語るとき、
→「自律動作」には、自ら実行する自動詞と他動詞が含まれる。
 「律他動作」には、他者に実行させる強制動詞と使役動詞が含まれる。
 (行為者が律他の意図を発し、被強制者はそれを受けて「自律」動作をする)
 の3つの態:能動態/強制態/使役態に区別できる。
〇「動く」の他動詞/強制態動詞:「動かす」などは、動作に関与する登場人物の役
 割により「自律/律他」が交差する。
・机を動かす(意図者=行為者:自律・他動詞/対象物:動作受容)、
・担当者を動かす(意図者:律他/担当者:自律・自他動詞)
 (担当者は命じられた事柄を解釈して自律動作をする)
〇もちろん、担当者を動かす:担務替え、配置替えの場合ならば、意図者の自律・
 他動詞の動作であるかもしれない。
→「自律か/律他か」解釈が交錯するのは、被動作者が対象物(無情)なら他動詞
 に解釈されるから問題ない。ところが、上記のように対象が担当者(有情)だと
 他動詞(自律)か、強制態動詞(律他)か、事例ごとに検証が必要になる。
★上代の動詞造語の知恵を顧みるとき、
 「律他」動詞を単純な「対他(有情)他動詞」へ変換させる機能を持った接辞を使
 っている。その機能接辞は「無律接辞:ak-」であり、古語での「ク語法」という用
 法だ。残念ながら現代口語では文法的な説明がほとんどないが、単語としては
 現役ばりばりなのだ。
・「甘えさせる」:amae[s]as[]e[r]u(律他)を推奨せずに、
 「あまゆ」:amayu(自律)→「あまやく」:amay[]ak[]u(甘えるの無律化)→
 「あまやかす」:amayak[]as[]u(無律対他・他動詞化)が意味明瞭である。
・「おびえさせる」:obie[s]as[]e[r]u(律他)を推奨せずに、
 「おびやかす」:obiy[]ak[]as[]u(無律対他・他動詞化)が意味明瞭である。
・「わらわす」:waraw[]as[]u(律他)よりも「強烈・強引な笑い取り」を表現する
 には、「笑わかす」:wara【w[]a】k[]as[]u(次第に【w[]a】が省略されて)→
 「笑かす」:wara[k]as[]u(無律対他・他動詞化)が使われる。
 (対他が自律で笑うのではなく、対他に有無を言わさず笑う動作を行わせる)
・「寝さす」:ne[s]as[]u(律他)は対他の寝る(自律)をさせること。
 「寝かす」:ne[k]as[]u(無律対他・他動詞化)は対他(無情の赤児)・対物を横た
 わらせること。
・「だます」:damas[]u(自律・他動詞)だが、相手は(自律)で自己思案するうちに
 間違った判断へ到達する(ように誘導する)。
 「だまかす」:dama[k]as[]u(無律対他・他動詞化)は、相手に(自律)冷静な判
 断をさせないように大げさに話しを盛って間違わせること。
 「だまくらかす」:dam[]ak[]u[r]ak[]as[]u:余程の複雑なだまし手口だ。
・「散る」自動詞の事象をふくらませて、「散り積む概念=散らく」:tir[]ak[]u→
 「散らかる」:tir[]ak[]ar[]u(結果動詞・果律)、「散らかす」:tir[]ak[]as[]u
 (無律・対物他動詞)が生み出された。
・「ずる、ずるい、ずるける」→「ずらく=ずる行為の概念化」:zur[]ak[]u→
 「ずらかる」:zur[]ak[]ar[]u:サボって逃げ出す、姿を隠す(自律)が現代国語
 辞典に載ってある。(だが当然、紛らわしい「ずらかす」:zur[]ak[]as[]u:は通
 用しない。無律・他動詞(自律)の「ずらかす」が意味するところは、行為者自身が
 「ずらかす」動作を全部やり遂げなければならないからだ。つまり「ずらかる」と
 同じことをやり遂げなければならないからだ。どうしても言いたいなら「ずらかる」
 を「ずらからす」(律他)と言えば通じる)
〇無律接辞:ak-は、汎用的に使い回せる機能接辞ではないので、自ら造語派生
 する機会はないでしょうが、文章、単語の中で見つけ出したらこの解説を思い
 出してください。

つづく

2017/12/03

態文法:「やる」と「やらかす」の差は?

2017/12/03(日)

 本屋の立読みでノウハウ新刊本に1冊、目に留り手に取った。
 『「売れる営業」がやっていること。「売れない営業」がやらかしていること』
:松橋良紀:大和書房:2017/6/25第一刷、2017/11/25第五刷。
なかなか内容は役立ちそうだ。目次を走り見した程度であるが、売れる/売れな
いの対比で構成されているようだ。
 たまたま、新書判の棚で『富士そば~(経営者)』の本を立読みした後だったので
営業の話し内容で繰返しになる感じがして、奥付の発行日だけ確認した。短期間
で第5刷まで到達しているから、評判を得ているのですね。

 ここで気に入った言葉の対比:「やる/やらかす」を整理しておこう。
→動詞「やる」と「やらかす」の意味の差については、当ブログでも思考対象にし
 てきたので、今年に入ってようやく説明できる段階にある。
 やらかすには、無律接辞:ak-、が組み込まれて単純他動詞化した動詞です。

まず、順番に動詞派生の状況をみよう。
①やる(律他):yar[]u:行かせる/与える(原則的な動作の構図)
 →主体(律他)が客体(自律)に共有の課題(対象物)を実行するよう仕向ける。
 (あるいは主体が律他・自律の二役をやるという想定も可能だ)
②やらす(強制・律他):yar[]as[]u:主体(律他)が客体(自律)に(課題)をさす。
③やらせる(使役・律他互律):yar[]as[]e[r]u:主体(律他)が客体(自律)に
  (課題)をさせる(互律:主体が補助してもよい)。
④やらかす(律他無律化・単純他動詞化):yar[]ak[]as[]u:主体(自律)が企図し
 た課題を動作・実行する。(やらく:やろうとすることの概念化・名詞化)
→「何をやらかしたのだ?」と詰問するのは、何を意図しどんなやり方で実行した
 のか、を聞き出すためだろう。 ついでに、「仕出かす」自律他動詞:sidekas[]u
 :(ak接辞なし)ならば、「やってしまった結果状態」に描写の重点がある。
→本来、④やらかす:という動詞は、「やらす」と言うべき相手が自律動作をやれ
 ない状態・条件にある場合に「やってやる」という理屈が通る機能でもあるが、
 「宿題や調査を本人に代ってやらかしました」は通用しにくい。「やる:遣る」の
 原意が恣意的な代行や共有性のない意図行為を許さないのだろう。
(無律接辞:ak-の例:D[・/r]ak[]u→曰く、願わく、望まく:nozom[]ak[]u、
 散らかる/散らかす:tir[]ak[]ar[]u/tir[]ak[]as[]u、ずらかる:zur[]ak
 []ar[]u、など。古い上代語に使われたク語法:無律:ak-だが、ずる→ずらかる
 が出現したのは明治期になってかららしい。古語辞典には載っていない)

「やる」が描き出す現場:
①原動詞:yar[]uの語幹:yarに、接辞:as(強制)がついて②yar[]as[]u、さらに
接辞:e(可能)がついて③yar[]as[]e[r]u、となり、強制+可能は現代口語では
使役態として使われている。
〇原動詞:やる、は主体・客体が同一化すると単純他動詞のように課題を実行す
 る意味にも使われることがある。(主体:律他を胸に秘めての)客体自律の動作
 と見なせる。それでも、やる動作に第3者が絡んだ局面では、主体が客体の意図
 を誘導して賛意(自律)を得なければ課題実行を果せない。
つまり、①やる、②やらす、③やらせる、には主体(律他)客体(自律)が共通意図
での動作をするという原則が存在する。
→「売れる営業」がやる:営業職(律他)が顧客職(自律)に企図する販売・購買(課
 題)を納得させる。つまり顧客が自律で購買を判断するように誘導する。
 顧客の自律が優先なので、営業が勝手に命じて待つものではない。
①やると②やらす、は動作の律仕方が主体(律他)客体(自律)で似ている。元来の
 意味が「やる=遣る、遣わす」であり、主客の力関係がはっきりしており、かつ、
 「やり遂げる課題」も明確に共有している前提だ。

「やらかす」が描き出す現場:
④やらかす:(単純な他動詞(自律)として)意図する計画を実行する。
 やらく:やる意図のもの:計画、戦術。(公式でなく、自己発想でのやる気計画)
→「売れない営業」がやらかす:営業職(自律)が自身の企図・計画(課題)を客筋に
 勧誘する。客筋の反応を顧みずに営業戦略に走るだけでは結果が成らない。

以上、新刊書の立読みで見つけた言葉の対比:「やる」と「やらかす」、の視点を解
釈してみました。

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