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2018/03/25

態文法:未然形はあるのか?4

2018/03/25(日)

 『岩波古語辞典机上版』:大野晋・佐竹昭広・前田金五郎:1982/11/12を図書
館で閲覧、参照しての考察を記述している。
(前2回を含め辞典の共著者名を訂正:前田金五郎)同辞典補訂版をネット注文し
て著者名の記憶間違いに気づき訂正しました。
〇古語辞典を読んでいると、「ク語法」使用が盛んだった頃には、
・行かまく:ik[a/・]m[・/r]ak‐u:行こうと思うコト、トコロ、
・見まく:mi[a/・]m[・/r]ak‐u:見ようとするコト、
・浮からかす:uk‐ar[・/r]ak‐as‐u:あおって興奮させる、陽気にさせる、
→当ブログ解釈:相手が浮かれてしまうようにする。(浮かれた本人には自律意
 識を思わせないで):浮く受動・無律・律他の接辞構成で「浮く受身・他動詞」を
 派生したもの。
 (浮からかされたその本人は、自責の念がないので言訳ができる仕掛けだ)
いろいろな単語に無律接辞:ak-を組み合せて使っていたようだ。

 2、3日前TVニュースで「オレオレ詐欺事件」の最高裁判決が報じられた。
・「だます」と「だまかす:damakasu」の犯罪構造の違いが争点になったらしい。
・地方裁判所:有罪、高等裁判所:無罪、最高裁判所:有罪。
(以下、裁判経緯を推測しての独自解釈)
・「だます」主張:必要金額をほのめかしただけ、金銭用意の判断は相手がした。
 (だます:主体は律他で指示・示唆だけ、客体は自律で服従し行動する)
・「だまかす」主張:金額指示、受渡しの手順を誘導、相手を話しに乗せる。
 (だまかす:主体が自律行動で必死になって客体を勧誘し誘導する)
→直接「だます/だまかす」の言葉が議論されたのかは法廷外では判らない。
 しかし、最高裁の判決は頼りになる。社会的判断の基礎になるのも「だます/
 だまかす」の意味の違いと、「だまされた:自責/だまかされた:狡猾さに脱帽」
 の被害感覚の違いを正確に感じとるその社会的知恵だ。
→★だが、残念ながらほとんどの国語辞典は「だまかす」を「だます」の俗語とし
 て扱うだけ。「ク語法」の意味を敷延しての派生が、態機能の付加、動作の律仕方
 の違いを表現することを誰も気づかない。古代・上代から社会生活が生み出し
 てきたものなのに。
 (古語辞典には見出語「だまかし」がないから、明治期の造語だろうか。いくぶん
  強引な接辞連結をして造語したのだから、社会的必要性が高かったのだ。
  「だます」は「黙る」を他動詞化する動詞だそうで、主体が言いくるめて相手を
  黙らせておくのが原意らしいから、口車を黙って聞いていたらだまされる)
・犯罪者側は「だます/だまかす」の意味の差を巧みに突いてくる。
 被害者側が言葉の差(詐欺の語り口の差)に無頓着ではダメなのだ。
 自己防衛のために、話し手の語り口が「だます」なのか、「だまかす」なのか見極
 める心積りを持つことが大事。勝手な語り口の展開に乗らず、話の発端に何度
 も何度も何度も戻って「うそ/本当」を追求し、何度もこだわることがよい。
・そうすれば、詐欺行為の被害を少しは防げる。

 本題の動詞活用形に戻ろう。
「岩波古語辞典」後部付録に、基本助動詞の詳しい解説が載っている。
〇明確な説明があり、よい点:
★助動詞相互の配列順序(4+1段階区分)の規則性を明示したこと。
 ①(自他交替接辞)態接辞:使役自発可能受身尊敬、②奉る接辞:尊敬謙譲丁寧、
 ③相接辞:完了存続、④想接辞:打消推量回想、⑤別類:指定比況希求、
(注:自他交替接辞、態接辞、奉る接辞(現代口語では不使用)、相接辞、想接辞は
 当ブログが付記、命名)
 別類は繋辞、断定詞に似た用法で、体言や助詞にも連結する助動詞。
・助動詞を2つ以上続けて連結する場合の順序は優先順に従うと明示した。

〇旧弊を残したままの問題点:
・配列順位①の第一類助動詞は、動詞と密結合して新機能の動詞となる
 (一部の学者は①類の助動詞を接尾辞としている)、と解説する。
★だが、自他交替接辞と態接辞の語尾音節「す」、「る」を敢えて同等に解釈し、
×語尾「す」は動詞の意味が人為的・作為的であることを示す。
×語尾「る」は動詞の意味が自然展開的・無作為的に成立することを示す。
 と位置づける。
→(注:無作為的/作為的の感覚は主語主体の無情/有情が直接影響する現象で
 あり不合理な区分法だ。さらに、語尾が「る」「す」でない動詞は何なのか、見捨
 ててしまうのか!!)
→(当ブログでは、「る/す」や自動詞/他動詞に関わらず、動作動詞(無情・有情
 共に)は自律動作を表すと見なす。 強制・使役の接辞:as-は、主体が指示・律他
 動作、客体が服従・自律動作であるような並行的な動作と見なす。
 結果態・受動態の接辞:ar-は、動作の結果事態が主体・客体・対象をお互に放射
 的に律する描写と見なす)
→★現代の文法界でも、特徴的に「る」「す」を把握するために、作為/無作為の識
 別法を鵜呑みにする風潮がある。見捨てられた動詞が有ること自体が区分法の
 間違いを証明しているので、早く思考停止から抜け出し目覚めてほしい。

〇抜け落ちた?発展考察:
 深い洞察で明確な提起が多い解説のなかで「見当らない提言」に気づいた。
×動詞の四段活用/二段活用/一段活用の区別について、何らかの規則性がある
 との提言がどこにもない。(と思う)
・態接辞のうち、受動の:ar-は「生る:ある」に由来し、下二段活用なので受動態
 も:areと活用する。(強制・使役も下二段活用:現在の一段活用)
・「生る:ある」は受動接辞:ar-:「ある:在る、有る」にも通じる。
×動詞未然形に態接辞や自他交替接辞が連結するのではなく、動詞語幹につながる、
 との提起がどこにも見当らない。(「ある」の「あ」を未然形に渡すな)
(折角、凡例でク語法が未然形連結でない、と指摘しながら動詞派生の本丸に対して
肝心の提言がない)
→四段活用は子音語幹動詞の活用形であり、二段・一段活用は母音語幹動詞の活
 用形であるが、古代の原動詞はほとんどが子音語幹であった。
〇原動詞から自他交替を経て自動詞、他動詞に分れ、動詞が増えていく。
実例:伸ぶ→伸びる/伸ばす、重ぬ→重なる/重ねる、休む→休まる/休める、
 起く→起きる/起こす、流る→流れる/流す、生く→生きる/生かす、
→★古代から江戸期にかけて長い期間で動詞が造語され、活用形が整理されて
 きたのだが、現代の視点を通して振返れば、なぜ動詞活用が四段(五段)/一段
 に収束してきたのか、の疑問に答えられるはずだろう。
★母音語幹動詞(一段活用)の語尾形態は、~i[r]u:いる、~e[r]u:える、の2種
 類である。
 これを洞察すると、動詞活用形の連用形:D[i/・]-、已然形:D[・/r]e-、の形
 態と合致する。 連用形、已然形は意味の自立性が強いので、それが自立・独立
 した単語として、D[i]ru、De‐ru、と変身し、母音語幹動詞になったのだろう。
(変身考察は思考実験の段階)

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