態文法:動詞活用の歴史に真価を活かす3
態文法:動詞活用の歴史に真価を活かす3
2018/12/14(金)
-日常の言語活動の中で、態派生に関して「ら抜き」言葉や、「さ入れ」、「れ足す」
言葉などが問題になって久しいようです。
〇これら態派生の問題ですから、「音素戻し検証法」で接辞構成を調べれば、解決
するはずです。 それでも長い間にわたり完全解決していないのは「かな解釈」
に頼り、「音素解釈」の役割りを研究して来なかったからだと思う。
★3つの「言葉問題」に関連する共通の態接辞は可能態:e[r]u、です。
・可能態:e[r]uは已然連用形の意味も含めて、「完遂・互律」動作を意味します。
完全解決しないのは、国語学、学校文法での可能態解釈(完遂・互律)が確立しな
いということが根本的な原因で、負の連鎖が続いています。
32.「さ入れ」言葉を「音素戻し法」で検証
-例:「さ入れ」:聴衆の前で代読するとき:①「読‐ま‐さ‐せ・て・いただきます」と言
う例や、①形式を②「読‐ま・さ‐せ・て」形式で解釈するらしい国語学者もあり、
(「読‐ま」?を「させて」の意味合い?)それが一層丁寧な表現だ、と学者が対談で
語る市販本がある。(①、②とも変則的な二段階強制の表現だとの示唆もない)
〇代読程度の代行申告なら一段階使役の③「読‐ま‐せ・て・いただきます」が判り
やすい。(読ませて:と已然連用の形態にするのが判りやすさの要因です)
・国語学、学校文法は代読状況を斟酌したうえ、直接①、②、③を比較・議
論することは少ないから、基本説明である③形式が解釈の基礎となる。
-②解釈は、まったくの論理破綻だが、検討を進めるために順に「音素戻
し検証」をしておこう。
①「読‐ま‐さ‐せ・て・」→読m‐as‐【as】‐e・te・→強制+強制可能の態形態で
二段階強制、強制+使役の形態であることが判ります。
★やはり「さ入れ言葉」も「さ」入れではなく、「as」入れ言葉なのです。
(★「ら抜き言葉」が実際は「ar」抜き言葉であるのと同根の錯誤名称)
(★ついでに「れ足す言葉」も実際は「e[r]足す」の錯誤名称でしょう)
②「読‐ま・さ‐せ・て」→読m‐a・sas‐e・te・→「よま?」を「させて」とは、何を
させてほしいのか? 不完全な表現です。
(未然形:読ま→yom[a/・]は、nai、mai、zu、など打消接辞に密結合
する形態であり、意味が自立しない「読ま」に疎結合で[+]させる、を並
べても不完全です)
③「読‐ま‐せ・て・」→読m‐as‐e・te・→強制已然・可能=使役態と同一形態
です。 代読でも自作読みでも「読ませ・て・いただく」でほぼ通用するで
しょう。「読ませ」:強制已然連用形=使役連用形が律他互律の意味を持
つので、読ます主体と読まされる客体との相互律動作の表現と把握でき
、「読ませ」・て・「いただく」なら客体立場からの表現だと確定します。
④念のため、正確な二段階の使役形態を調べておこう。
「読‐ま‐せ‐さ‐せ・て」→読m‐as‐es‐as‐e・te・→yom[・/s]as[]e[・/s]
as[]e[i/・]te、と「音素戻し」で順当に態接辞が切り出せるし、発言の
意図が判りやすい表現だと言えるでしょう。
・つまり、「読ませ」は発令者と受命者の互律の立場を表し、「させ・て」が
聴衆に向けた「読む」ことの許容を要請する発言に相当するからです。
〇以上のように「音素戻し法」を用いることで、態の接辞が正確に復元
できることと、「かな書きの錯誤名称」が起きる理由も「かな書き」の
宿命なのだと判っていただけたでしょうか。
〇集約すると、已然(完遂・互律)概念を込めての表現を進めて、
③「読‐ま‐せ・て・」→読m‐as‐e・te・が、日常の広い場面で適応すると想定
します。 ②「読ま?させて」は論外、丁寧さが云々どころではない。
・①「読‐ま‐さ‐せ・て」は、二段階強制(強制+使役)の表現が必須な場面で
許容限ぎりぎりでしょう。その場合、登場する発令者・受命者・要請者・
対象者・許可者の役割・位置づけが明確に判断できるように補語を立て
て説明するのが望ましい。(もちろん④「読ませさせて」が最適ですが)
・二段階強制を表現したい生活場面に、「子供が高熱なので、今日、学校を
(子を)休まさせてください」と母親が学校へ連絡する、などがある。
母親が子を休ますことを学校へ許可するように要請してるのだから、二
段強制の表現として聞手に誤解は起きないだろう。
★今後は、③、④「読ませ(させ)て」、「休ませ(させ)て」のような、已然連
用形の活用を徹底させること、(二段階の)使役の互律概念がしっかりと
生活場面で安定して広がる方向にしたいですね。
33.再度、已然連用形、可能態の真価を見る
③「読‐ま‐せ・て・」、「休‐ま‐せ・て・」「書‐か‐せ・て・」「食べ‐さ‐せ・て・」は
強制態の已然連用形ですが、同時に使役態の連用形とも解釈できます。
・態派生の一般形式:D[・/s]as[]e[r]u→D[・/s]as[]e[i/・]te、で
已然形式:D[・/s]as[]eは律他(対他を含めた)完遂・互律の意味です。
★已然:既に然るの原意から、動作の成就・完遂に尽力する事態に進ん
でいる表現であり、また、動作事象の完遂と同時に対他・対物・周囲との
順調な相互事態の進行(互律動作と定義)を意味しています。
・能動系動詞の已然形:D[・/r]e[r]u:、D[・/r]e[i/・]te:なら、自律動
作での完遂・互律の含意がある。
例:文字が/を書ける、納豆が/を食べれる、手紙が/を渡せて、20kmが
/を歩けて、など互律動作を表す已然形だから、「が/を」主格・対格両立
ができるのです。
(受動態も果互律動作:納豆が/を食べられる、20kmが/を歩かれる)
・強制系已然=使役系動詞なら律他動作:主体は発令指示し、受命者に自
律動作を行わせる。動作意図が主→客へ方向性が強いので、已然形でも
客体主格の文は独立せずに、「読ませて・いただく」のやり・もらい授受
表現が必要となります。(が、已然「読ませて」は客体動作も含意する)
〇強制・使役の発令者が、させる:s[]as[]e[r]u、受命者が、させられる:
s[]as[]e[r]ar[]e[r]u(受身)だけでなく、指示に適合する自律動作:
なされる:n[]as[]【ar[]】e[r]u(結果以前努力中→)なせる:n[]as[]e
[r]u、という2つの動作(させる・なせる)が同時進行するとの観察が必
要です。
〇強制の已然形以外:「さす、さして」の意味合いは律他動作に留まるから
指示しただけで終ってしまい、客体に対し「なさす、なす、なせる」まで
到達しない感覚になる。
〇松下電器松下幸之助の経営者語録に:「任せて任すな」あり、題意に共感
します。「任せて続けよ、しかし任しっぱなしではダメ」と解釈する。
「任せる」は完遂を目指した互律動作だから、適宜の状況確認や相互助言
、介助を行うべきだ、という動詞活用の核心を見抜いた表題だと思う。
(已然・可能の:e、e[r]uは、動作完遂を表す意味が根源にあります)
(つづく)
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