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2019年4月

2019/04/19

態文法:動詞派生の共通構造

態文法:動詞派生の共通構造
2019/04/19(金)
 連載の区切りとして、動詞構造の全体像を考察します。
全体像とは、動詞の①自他交替派生、②態派生、③活用形派生を含む動詞形態
の変化構造をなるべく均等に鳥瞰した構造群を意味します。
〇動詞派生の基本的な仕組は、どんな派生でも共通の方式であり、
・動詞派生=動詞語幹[挿入音素]接辞語幹[挿入音素]接辞語幹・・・
 と必要な機能接辞が順次付加されて意味が重層化していきます。
〇[挿入音素]とは語幹と語幹の間に挿入して発音可能な音節にするための
 単一音素で、次のような二者択一形式にしてあります。
・[挿入音素]=[挿入母音/無音]または[無音/挿入子音]であり、
 実例は、[a/-],[i/-],[-/r],[-/s],[-/y],[-/k]、の6種類のみです。
〇動詞派生の実例:(派生の仕組は①~③ともに共通方法です)
①自他交替:はじむ hazim[-]u(自他両用)→はじめる hazim[-]e[r]u(他)
 →はじまる hazim[-]ar[-]u(自)
 割る war[-]u(他)→割れる war[-]e[r]u(自、また他・可能でもある)
(接辞確定の2段目以降の[挿入音素]は一択で[-],[r]などと表記可能)
②態派生:はじめさす hazim[-]e[-/s]as[-]u(強制態)
 →はじめさせる hazim[-]e[-/s]as[-]e[r]u(使役態=強制態+可能態)
 →はじめさせられる hazim[-]e[s]as[-]e[r]ar[-]e[r]u(使役受動態)
 おこなう okona(w)[-]u→おこなわる okonaw[-]ar[-]u(結果態)
 →おこなわれる okonaw[-]ar[-]e[r]u(受動態=結果態+可能態)
③動詞活用形:一般形式表記として動詞語幹:Dで示す。
 未然:D[a/-]na[k0]i→書かない/見ない(不動作、打消、動作否定)
 将然:D[-/y]ou→書こう/見よう(意向・勧奨)
 正然連用:D[i/-]te[+]→書いて+/見て+(動作進行+、[i]te:イ音便)
 事然終止:D[-/r]u→書く/見る(動作事象の陳述)
 事然連体:D[-/r]u[+]→書く+/見る+(動作事象+で後続体言を修飾)
 已然連用:D[-/r]e[-]te[+]→書けて+/見れて+(動作完遂+)
 已然仮定:D[-/r]e[+]ba、→書けば、/見れば、(動作完遂想定)
 已然命令:D[-/r]e【yo】/【ey】o→書け/見ろ (動作完遂命令)
     
 「派生」=語幹と語幹の密結合には[挿入音素]をはさむ。
 「複合」=単語と単語の疎結合は[+]記号をはさむことで表記した。
 (複合の例:文法書 bunpou[+]syo、小雨 ko[+s]ame、酒屋 sak[e=a+]ya、
  などの変化形もあるが、自立単語の複合[+]:単純並置的な結合である)
日本語が[挿入音素]に無頓着な膠着語であれば、子音連結や母音連結を残し
たままの造語法を用いただろうが、実際は語幹相互の密結合には[挿入音素]
を挿入する特徴的な調音方法を守ってきた。
日本語の膠着流儀に添うように、[挿入音素]=[連結母音/無音]または、
[無音/連結子音]という形式で子音末・母音末の両語幹に挿入できる表記法
を考案した結果、動詞派生全体を広く見渡すことができるようになりました。
     
 9.動詞派生の全体像から教えられること
 ①自他交替派生で注目すべきことは、接辞:e[r]u の機能が自→他への交替
  と、他→自への交替という両用機能を持つという不思議さ・柔軟さ。
 ②態派生で注目すべきことは、古語時代に強制態で使役を、結果態で受動を
  表現した(実際は終止形より、連用形:[i/-],[e/-] の使用が多かった)
  が、現代では、強制態+接辞:e[r]u →使役態、結果態+接辞:e[r]u →
  受動態に移行している。この不思議さ・柔軟さ。
 ③動詞活用形の派生で注目すべきことは(前段では強調のため、已然の用法
  を連用・仮定・命令に展開して示した)江戸期前後で加速した二段活用が
  一段活用へ収れんする事態を正確に受け止めること。
  (ここでは[挿入音素]採用で活用構造を「五段/一段」共通表記する
   工夫をした)
 →正然連用(二段活用):D[i/-]、D[e/-]、や已然連用:D[-/r]e、に
  [r]uを付加することで一段活用化が進み、奉る文、候文が不要になって、
  待ちに待った母音末動詞の独立化が大量に発生・成立・開放された。
  D(i)[r]u、D(e)[r]u→落ちる、起きる/投げる、受ける、
  (挿入音素を語幹に繰り入れて独立動詞化)が誕生する。
  D[-/r]e[r]u→書ける、読める、起きれる/見れる、投げれる、受けれる
  (動作完遂動詞=可能動詞)が誕生する。
 →これらの誕生は、①自他交替、②態派生とも関連する。
     
 現代国語学が接辞:e[r]u の機能を正しく解釈できないでいる理由は定かで
はないが、この問題を過小評価、もしくは看過していることが原因の第一だろ
う。(当ブログでの問題提起は、前回の「8.敢えて已然形を体験する」に記
したので、ここでは割愛いたします)
     
 先週、図書館で借り出した本を通読して触発されて、前段の派生全体像を書
きました。
『日本語は哲学する言語である』:小浜逸郎:徳間書店:2018年7月31日
走り読みの通読で、本文で引用の文法書や著者の名前が次々に目に入り、懐か
しく思いました。(次々と私も文法書の市販本として読んだ記憶を思い出し
ました)
動詞派生の機序・仕組を哲学したりするために、なにか参考になるだろうかと
思ったのだが、仕組に関しては余り収穫はありませんでした。
     
 以下、簡単な読後感想です。
〇小浜逸郎:第2章の1節、「いる-ある」問題
<小浜本の1節説明:(相当要約)
 ・いる:主に有情物がその場に存在すること。:身近に存在を感じる。
  ~ている:動作進行状態を表現する。転じて形状変化の特徴表現にも
  使う。(曲がっている道、)
 ・ある:主に無情物が存在すること。:離れた存在と感じる。
  ~てある:動作済みであることを表現する。(他動詞に~てあるを使う)
/本の説明終り>
〇反論的感想を記す(相当簡略)
 ・「ある/いる」問題は山口明穂『日本語の論理』に魅力的で詳細な説明が
  あり、有情/無情に関係なく注目の時間幅の中で存在を続けると見做すと
  「ある」と言い、そのうちに存在しなくなると見做すと「いる」と言う、
  と記述あり。これに納得がいく。
 ・漠然と「ある/いる」問答をしていると、動作態(主体が替る)が変化
  することを見逃してしまう。無意識にある:無情、いる:有情、という
  ように態(主体)変化してしまう。
 ・いる:身近、ある:遠方、の感覚差異は、まさに態の違いに惑わされた
  結果だろう。
 ・~てある:多くの文法書では、自動詞では使わないと記述するが、理由の
  説明ができていない。「ある」を無情の遠方のことだと思い込みなのか。
 歩いてある、行ってきてある、走ってある、など自動詞の「てある活用」に
 何の問題もない。(日課的な自動詞の行動を済ませてあることを示す)
→接辞:te(二段活用→一段活用)は、te([-]na[k0]i,[-]te,[r]u,[r]e,[r]o)と
 なったから、本来の形状変化の表現には、~てる:~te[r]u が使える。
 ・曲ってる道、山がそびえてる、看板が立ってる、野菜が並んでる、
  ドアが閉っている、いやもう閉ってる、知ってるよ、見てたから、
  動作進行が完了したあと、その形状が継続する状態を表現するのに最適な
  形態です。
 (世間では「てる/でる」の使用が進んでるが、国語学が追いついてない)

2019/04/05

態文法:「動詞活用形の構造」-3

態文法:「動詞活用形の構造」-3
2019/04/05(金)
 7.未然形:D[a/-]は、単独では意味を持たない
  未然形の構造を一般形式表記するとD[a/-]であり、後続する機能接辞には、
  na[k0]i、zu、mai、などの子音語頭接辞が用いられる。
 ・未然(未だ然らず)と同類の将然形(これから然る:意向・勧奨)は、古語
  時代にはD[a/-]mu:書かむ、見む、で、やはり子音始まりの接辞であった。
  (現代語ではD[-/y]ou:書こう、見よう 母音語頭接辞に構造が変化してる)
     
→未然形:D[a/-]は、不動作・未動作を意味する機能接辞と連結する、と限定
  して使用するのがよい。(使役や受動の接辞が連結するのではない)
  もっとも、反語的な表現で「やらまいか!:yar[a/-]mai[+]ka!」と呼びかけ
  ることもあるが、「やらずにおれるか、やろうじゃないか!」に通じる勧奨
  発言であり、不動作の意向を翻意させる発言と考えられる。
 ・未然形中止法:D[a/-]Ø←独立では意味が成立しない。
  旧来、未然形[a/-]の「a」音だけに着目して、未然まがいの造語派生があっ
  た。
 例:住まば都:住むなら都を選べ:?sum[a/-]0[+]ba、?sum[-/r]a[+]ba、
  住めば都:住んで暮せばそこが都:sum[-/r]e[+]ba、
 ・住まば:住むことを前提条件に場所を選ぶなら、都がよい。
 (前提条件の未然形態:[a/-]0[+]baは、子音語幹動詞にしか適用できない。
  見ば、食べば、来ば、が定着していない))
 (事象然の形態:[-/r]a[+]baの例:見らば、食べらば、来らば、が定着すれ
  ば、「a」単音が前提の仮定接辞と言えるのだが、容認度がまだ低いか)
 ・住めば:住まっている(確定条件)なら、そこが都と感じる。
 (已然形:[-/r]e[+]baならば、子音末・母音末語幹ともに一般形式で適用可
  能である)
 〇未然形は不安定で独立し難く、「a」音に頼るだけの構造になる。
 (古語時代に「あ」音始まりの接辞を意図的に用いて、連用・已然の「い」
  音、「え」音と区別する風潮があったかもしれないが、それを「未然形」
  の役割だと捉えていたのかは定かでない。江戸期の解釈上の錯誤かもしれ
  ない)
 〇已然形は動作完遂を意味する安定した機能接辞です。
  それに関連する例をあげます。
 (詳細は既述・態文法:未然形はあるのか?2を参照)
 例:古語の助動詞で「継続」を表す:あふ(四段活用)についての考察です。
 ・合う:au,awu,ahu,afu、の意味に由来する接尾辞と辞典説明がある。
  用例は(子音末動詞の未然形に接続と辞典に説明あるが、語幹連結だろう)
 ・D[]af[]u:tatak[]afu:叩かふ→戦う、katar[]afu:語らふ、
  tir[]afu:散らふ、sum[]afu:住まふ、などの「継続、反復動作」の新造語が
  生み出された。
 ・母音末動詞の未然形?に連結すると(連用中止法と動詞:afuの複合)
  mi[+]afu:見合ふ、tabe[+]afu:食べ合ふ、k[i/-]0[+]afu:来合ふ?などの
  複合語が生み出される。(この接辞は汎用性が高くないようだ) 
 (汎用性が高い接辞ならば、D[-/r]af[]uの形態で、見らう、食べらう、の
  方式の形態もありうるはずだが、定着してない)
〇この接辞:au,awu,ahu,afuの未然形に関わる考察は、ここまでとします。
★この接辞の已然形が重要な意義をもっているので、最後に触れておきます。
     
 8.敢えて已然形を体験する
 (既述・態文法:未然形はあるのか?2に参照事項あり)
  古語辞典に「敢えて」が「合ふ、合へて」と同根との説明を発見したとき
 「敢えて」が已然形の意味を完全に具現化した言葉であると直観したのです。
 ・合ふ:あはない、あひて、あふ、あふ、あへて、あへ:四段活用。
 ・敢ふ:あへない、あへて、あふ、あふる、あふれて、あへよ:二段活用。
  (合へて:四段・已然形、敢へて:二段・連用形)
 〇同根動詞の四段・已然形が分家的独立化して、二段・連用形の異段同形
  構造を創り出す活用方式です。歴史的に二段活用が一段活用へ変移する
  前の長い先駆けの二段活用の構造だったのです。
  もっとも、敢ふは一段動詞に変移しても、活用幅は広がらなかった。
 ・敢える:あえない、あえて、あえる、あえる、あえれて、あえろ:一段。
  となっても、使用範囲が狭く「敢えなく、敢えて、」などの副詞的用法に
  留まるが、それでよいのでしょう。→すべての(動作)動詞の已然形が
  本質的に「合へて、敢へて、合えて、敢えて」の意味を包含してるから
  です。
 〇古語辞典での意味説明を比べてみる。
 ・合へ:①合わせる②(動きに、相手に)合わせる、了承する③和える。
 ・敢へ:事の成行き、相手・対象の動き・要求に合わせる→転じて、ことを
  全うし、堪えきる意。①(事態に対処し)どうにか持ちこたえる②こらえ
  きる③(連用形に続いて)~しきれる、すっかり~する。
 〇現代国語辞典での意味説明は、躍動感がまったく感じられない。
 ・合う:①一つになる②集まる③一致・適合する④釣り合う、調和する。
 ・敢えて:(副詞)①しいて、おしきって、わざわざ、
 ・敢えず:①こらえられない②~しきれない(古語用例として掲載)
→★古語「敢へ」の持っている意味が、動詞の已然形が表す意味と完全に一致
  する。
 ・形態に対して思考実験:連用形+敢えて=已然形、を検証してみる。
 例:D[i/-]0[+]afe[i/-]te=D[-/r]e[i/-]te :一般形式表記。
 ・書き敢えて:kak[i]ae[]te→kak[]ee[]te→kak[]e[]te:書けて、
 ・食べ敢えて:tabe[+]ae[]te→tabe[-/r]ae[]te→tabe[r]e[]te:食べれて、
 どちらも強引な変形を必要とするので、構造上の起源を求めるには無理があ
 る。
→〇ただし、已然形の意味は「敢へ」の意味と共通する。
 ・敢える:動作への向き合い→相手、対象、事態に合わせて(難しい周囲条
  件であっても)、動作開始へ踏み出して(条件を乗り越え、相互に助け合
  い)すっかり完遂・成就させる。
 ・書ける、食べれる:が可能動詞である所以は、「強いて完遂しきる」との
  意味を包含した形態(已然形+[r]uの独立動詞の形態)であるからです。
 ・可能動詞、可能態:D[-/r]e[r]u、使役態:D[-/s]as[]e[r]u、受動態:
  D[-/r]ar[]e[r]u、などe[r]uが付属する派生動詞は、主体・客体・対象・
  自然法則が相互に好循環の動きに合わせて動作を全うする、そう言う状態
  を意味します。
 例:「これを書く、書かす、書かる、食べる、食べさす、食べらる」よりも
  「これを書ける、書かせる、書かれる、食べれる、食べさせる、食べられ
  る」と聴いたほうが、動作内容への関心度が高くなり、周囲状況・相互の
  関与状態(互律)がすごく気になってくるはずです。
 

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